第六話 同業者
「こちらをご覧ください。主人が毎晩、殿下への想いを綴った日記……もとい魂の、そして愛の記録です」
私が懐から取り出した分厚いファイルを差し出す。
すると、宰相が手を伸ばすよりも早く、補佐官のグレン卿が横から手を伸ばし、受け取った。
無駄がなく、洗練された事務動作だ。
「げっ!? アメリア、それはダメよ! 死ぬ! 社会的に死ぬぅぅぅ!」
お嬢様が絶叫し、ファイルに飛びかかろうとするが、私は慣れた動きでお嬢様をソファに縫い止める。
関節を極めないだけ、私の慈悲だと思ってほしいし、何よりドレスにシワをつけない絶妙な力加減。
これぞ、プロの技だ。
「お静かに。今は私たちの命運がかかっているのです。物理的に死ぬよりはマシです」
私が小声でお嬢様を諭している間に、グレン卿は真顔でファイルをめくり、パラパラと中身を確認していく。
冷徹だった表情がわずかに崩れ、目を見開いて凝視する。
「こ、これは…………」
なるほど、さすがの彼も言葉を失ったようだ。
無理もない。お嬢様のポエムは常人の精神力では直視できない。
いくら冷静沈着な補佐官といえど、その恥ずかしすぎる内容にドン引きするのは当然のこと。
グレン卿は震える声で呟く。
「これは、すごいな……」
頬が微かに紅潮し、驚愕している。
「はい。グレン卿、悪いことは言いません。精神が汚染される前に、即刻閉じた方が身のためです」
私が冷ややかに忠告すると、お嬢様は「なんてこと言うのよ!?」とソファの上で暴れ、殿下と宰相は苦笑を浮かべている。
だが、グレン卿は真顔で首を横に振った。
「そうではない。いや、確かに内容も凄まじいが……私が言っているのは、この処理能力のことだ」
「はい?」
「日付順に整理され、感情の起伏ごとにカラーインデックスで分類されている。筆跡の乱れから当時の精神状態を推測する注釈付き。赤ペンで日毎に点数までつけている。完璧なファイリングだ……」
感動するポイントがそこか。
私は心の中でツッコミを入れると同時に、彼に無言の握手を求めた。
この男、やはり私と同じ相当な事務屋だ。
彼は「危険物ではありませんでした、どうぞ」とファイルを渡し、私に向かって小さく頷いた。
殿下はくしゃくしゃになった紙を丁寧に伸ばし、読み上げていく。
「『クロード様、貴方の瞳は碧い湖のよう。溺れてしまいたい……?』
『初めて目が合った時、時間が止まったわ。私の心臓を返して……?』
『本当は素直に言いたいのに。貴方が好き。大好き。神様、どうか私に勇気をください……?』」
殿下の読み上げる美声が、静かな部屋に朗々と響いた。
お嬢様は「あーっ! あーっ!」と耳を塞いでソファの上で悶絶し、最終的にクッションに顔を埋めて動かなくなった。
耳まで真っ赤だ。いや、全身から湯気が出ている。
宰相が片眼鏡の位置を直し、息子であるグレン卿に視線を移し、問いかける。
「グレン、真偽は?」
「筆跡、インクの滲み具合、そして紙に残された涙の痕跡。全て本物と断定します。演技や偽装で出せるデータではありません」
グレン卿が淡々と、しかし確信を持って報告する。
私は宰相の目を真っ直ぐに見つめ、静かに口を開いた。
「閣下、これを『悪意』と断罪されますか? それとも、将来の王家にとって有益な『情熱』と判断されますか?」
宰相は長い沈黙の後、鼻を鳴らした。
クッションに埋もれて虫の息になっているお嬢様と、顔を真っ赤にしてファイルに見入っているクロード殿下を見比べる。
「……ふん。どうやら我が国の情報部は『詩的表現』の解読能力が不足していたようだな。確かに、これほどの熱量は暗殺者には出せんか」
宰相がニヤリと、古狸らしい笑みを浮かべる。
私の『翻訳』を信じたのではない。この状況を利用する方が得策だと判断したのだ。
「クロード殿下、いかがなさいますか? このような『翻訳』が必要なほど面倒な令嬢ではありますが?」
殿下は顔を上げ、眩しいほどの笑顔を見せた。
「ヴァイデル、僕は難解な書物を読み解くのが好きなんだ。それに……」
殿下はソファに歩み寄ると、お嬢様の頭を覆っているクッションを優しく取り上げる。
「み、見ないでよ! 変態! 視界から消えなさい!」
「『も、もっと私を見て! 情熱的! 片時も離れないで!』と、仰っております」
殿下は翻訳を介さずとも理解したようで、お嬢様の手を取り、甲に口づけを落とした。
「ロザリア、君の愛の言葉を確かに受け取った」
「え? はい? あ、あわわわ…………」
お嬢様が「ひゅっ」と息を呑み、喜びのあまり今度こそ気を失った。
白目を剥いてソファに沈む主人を見て、殿下と宰相、そしてグレン卿が同時に、やれやれと肩をすくめる。
「……刺激が強すぎたか。彼女が目覚めたら伝えてほしい。『次は手紙ではなく、直接言葉で聞かせてほしい』と」
「承知いたしました」
殿下が優雅に踵を返す。
宰相も続き、部屋を出た。
だが、最後尾のグレン卿だけが足を止め、私の方へ振り返る。
銀縁の片眼鏡の奥の瞳が、私を射抜く。
「君、名前は?」
「アメリア・オーシャンと申します」
「アメリアか」
彼は小さく呟くと、懐から一枚の名刺を取り出した。
「私は、グレン・フォン・グラウフェルド。殿下の補佐をしている」
「存じ上げております」
「そうか。では単刀直入に言おう。王宮に来ないか? 君のような『翻訳官』兼『リスクマネジメント担当』がいれば、私の睡眠時間は現在の3時間から5時間に増える計算だ」
切実すぎる勧誘理由だ。
けれど、私は首を横に振る。
「光栄なお話ですが、お断りいたします。公務員は副業禁止規定が厳しいと伺っておりますので」
「特例で認める。給与は現在の5倍。さらに年2回のボーナスと、有給消化率100%を確約しよう」
「なッ……!?」
私の恋より、愛より、金の心が揺らぐ。
5倍。さらに有給完全消化。
私の南の島計画が10年は早まる条件だ。
しかしだ……。
「……大変、魅力的なオファーではありますが、私の手綱を握れるのは世界広しといえど、この手のかかる主人だけですので」
私が、お嬢様を見ながら断ると、グレン卿は残念そうにするどころか、口元に薄い笑みを浮かべた。
片眼鏡がキラリと光る。
「交渉決裂か。だけど私は諦めが悪いんだ。これほど優秀な『防波堤』を逃す手はないからな」
彼は名刺を私のエプロンのポケットに強引にねじ込むと、踵を返した。
扉が閉まる直前、グレン卿が振り返り、私に向けて指で「5(倍)」のサインを送ってきた。
……厄介な相手に目をつけられたようだ。
けれど彼のクマのある目には、同業者としての奇妙な親近感を感じずにはいられなかった。
嵐が去り、静寂が戻る。
緊急業務完了。怪物相手の交渉、完全勝利である。
ただし、お嬢様の社会的な死と引き換えにではあるが。
私は気を失っているお嬢様に話しかける。
「起きてください、お嬢様。今日の『愛のポエム』の執筆時間がなくなりますよ? 次は『宰相への謝罪編』もお願いしますね」
返事はない。お嬢様は白目を剥いたまま、ピクリとも動かない。
まあいい。お嬢様が目覚めるまで、少しだけ優雅な休憩時間を楽しむとしようかな。
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