第四十六話 卒業論文発表会
春の足音が聞こえ始めた、王立淑女アカデミーの大講堂。
本日は最高学年の令嬢たちによる、学生生活の集大成である『卒業論文発表会』が執り行われていた。
来賓席には王室を代表して、クロード殿下が臨席されている。
未来の国母や重鎮となる令嬢たちの思想を、王宮が直接評価する極めて厳粛な学術の場である。
「――ゆえに、多国間外交と開かれた国境こそが、新時代の王室に豊かさをもたらすのです」
演壇に立つヴァレリア王女が、自信に満ちた声で自身の論文を締めくくった。
『外交による開放的な王室の構築』。
それは明らかに、閉鎖的なサザランド家を牽制し、ファルネーゼの介入を正当化するための政治的なアピールだった。
講堂に拍手が響く中、ヴァレリア王女は最前列に座るお嬢様へ、挑発的な視線を向ける。
「次。サザランド公爵家、ロザリア様」
司会の声に呼ばれ、お嬢様は静かに立ち上がる。
一切の隙もない淑女の歩みで演壇に上り、手元の羊皮紙を広げる。
「わたくしの論文のテーマは、『次期王室における絶対的環境の構築』についてですわ」
お嬢様の透き通るような声が、大講堂に響き渡る。
「外界からの風は、王宮に吹かせるべきではありません。殿下の視界に映るすべての景色は、わたくしの瞳を通してのみ色づくべきです。外なる声は雑音。わたくしの鼓動だけが、殿下の玉座を支える唯一の法となる。泥棒猫の影すら映らぬ無菌室で、永遠にわたくしだけの腕の中で微笑んでいただくこと――それが、わたくしの導き出した真理ですの」
厳粛な学術発表の場で、美しく優雅に朗読された『愛のポエム』。
しかしその内容は、国家元首に対する極度な『情報統制と、完全なる隔離監禁』の宣言だった。
静まり返る講堂の中で、ヴァレリア王女がふっと鼻で笑う。
「……呆れましたわ。神聖な学術の場で、ただの独占欲にまみれた『恋文』を読み上げるなんて。私情で国家の扉を閉ざし、殿下を鳥籠に閉じ込めることが論文の成果だと言うの? 未来の王太子妃として、あまりにも浅薄で知性を疑いますわ」
公衆の面前での明確な学術的批判。
その瞬間、お嬢様は演壇の上で手元の羊皮紙をパサリと置き、令嬢の仮面をかなぐり捨てた。
「浅薄? 知性を疑う? 笑わせないでよ、泥棒猫。アンタの言う『開放的な王室』なんて、泥棒が入り放題のザル警備ってことじゃない。クロード様に有象無象の女が群がるような隙を、わたくしが与えるわけないでしょ? 王宮の扉なんて溶接して塞いでやるわ。わたくしの腕の中こそが、クロード様の唯一の絶対安全圏なのよ!」
隔離と完全統制の宣言。
ヴァレリア王女は、殺気すら帯びた重すぎる情念に、思わず後ずさる。
そこへ最前列の席から、エレノア嬢が真顔で立ち上がった。
「見事な防諜プロトコルですわね、ロザリア様。外界からの情報を遮断し、国家元首の意思決定をクリーンルームで行う。これは敵国の心理戦や不純なプロパガンダを無効化する、究極の『情報統制マニュアル』。有事における国家元首の保護手段として、王立軍事大学の教本に載せるべき完璧な防衛理論ですわ!」
お嬢様の狂気的なポエムを、軍事的な防諜と認知戦の観点から絶賛するエレノア嬢。
ヴァレリア王女が「恋文を教本にするなど、狂っていますわ!」と声を荒らげた瞬間、私は壁際から来賓席の殿下と、講堂の聴衆に向けて一礼した。
「失礼いたします。ヴァレリア殿下、ならびにクロード殿下。主人が発表された論文の真意について、補足させていただきます」
大講堂の静寂に、私の事務的な声が響く。
「主人が執筆されたのは感情の吐露ではなく、春からの新政権における『次期・国家基本法の草案』でございます」
ただの重すぎる愛のポエムが『国家の最高法規の学術的プレゼンテーション』へとすり替える。
「他国の干渉を許さず、王室の威信を不可侵の領域に置く。主人の愛を唯一の法とするという宣言は、いかなる外圧にも揺るがない強固な『中央集権体制の確立』を意味しております。これは国家の安全保障を成文化した、極めて高度な政治学の論文に他なりません」
完璧な論理の構築。
自由な外交という名目で付け入ろうとしていたヴァレリア王女は、国家の最高法規によって学術的、かつ物理的に遮断されることを悟り、扇子を強く握り締めた。
「……ええ、よく分かりましたわ。その閉鎖的な法案が、王宮でいつまで保つか見ものですこと」
反論の余地を封じられた彼女は、忌々しそうに席へ座り直した。
殿下は深い感銘を受けた面持ちで、お嬢様を優しく見つめている。
「素晴らしい論文だったよ、ロザリア。僕の治世の安全のために、あそこまで緻密な法整備と防諜の理論を構築してくれていたんだな。君のその誇り高く、献身的な愛……しかと受け取った」
「ッ……!?」
殿下の無自覚で真っ直ぐな称賛を浴びた、お嬢様の顔が一瞬で赤く染まる。
「ば、馬鹿じゃないの!? アンタがすぐ他国の甘言に騙されそうになるから、わたくしが法律でがんじがらめにして守ってあげるって言ってるだけよ! ちょっと小難しい解釈をされただけで感動してんじゃないわよ! このおめでたい鈍物ポンコツ殿下!」
お嬢様は扇子で顔を隠し、殿下にだけ聞こえる小声で早口にまくしたてた。
学術的な威圧からの、愛する殿下の前でだけ見せる、理不尽ないつもの照れ隠しだった。
◇
大講堂での熱を帯びた発表会が無事に終わり、令嬢たちが退室していく中。
私は最後尾で、王室法務局へ提出する『草案』の写しを整理していた。
そこへ、殿下を見送ったグレン様が歩み寄ってくる。
「……見事な手際だ。ただの独占欲にまみれた監禁ポエムが、国家の基本法案と最高レベルの政治論文に変わるとはな」
「お疲れ様です、グレン様。お嬢様の愛(法律)は極めて厳格ですので、他国の薄っぺらい解釈では違憲となりますから」
私が淡々と答えると、グレン様はまたしても一枚の書類を取り出して、私に差し出してきた。
「いつもの手当の封筒じゃないのかという顔だな、アメリア」
「違うのですか?」
グレン様が差し出してきたのは、王宮の印璽が押された『王室特別補佐官室・主席秘書官』の任命書だった。
「君への王宮からの正式なヘッドハンティングだ。……卒業後、ロザリア嬢が王宮に入る際、君には私の右腕として、国家の予算と実務を回してもらいたい」
「……あら」
「これは業務命令ではない。私個人の君という唯一無二の頭脳に対する『生涯契約』の申し入れだ。君の老後資金など、私が王宮の金庫ごと保障しよう。……卒業後も、私の隣でこの国を回してくれないか?」
静かな講堂の片隅。
それは実務と権力という名の皮を被った、彼なりの不器用なプロポーズの手前だった。
「……なるほど。王宮の金庫ごとですか」
私は任命書を受け取り、計算ではない心からの微笑みを彼に向けた。
「極めて魅力的な条件ですね。卒業式までの期間、私の残業代に見合うだけの優良なパートナーかどうか、厳しく査定させていただきますよ、グレン様」
「ああ、望むところだ」
主君たちが顔を真っ赤にして愛を育む一方で、裏方二人の静かでドライな契約劇もまた、着実に形を成し始めていた。




