第四十五話 元日の朝
「クロード様成分が足りないわ。この黒豆の艶、殿下の瞳の輝きに比べれば、泥水も同義ね……」
元日の朝。
クロード殿下は王宮の神事で多忙を極め、今朝の『暁の茶会』への出席は叶わなかった。
部屋の中央に置かれた伝統的な『暖卓』。その上には、新年の吉兆を願う色鮮やかな迎春の重箱が広げられていた。
「ごきげんよう、ロザリア。殿下に会えず、独りで重箱を突つく惨めな姿……見ていて涙が出ますわ」
またしても招かれざる客、ヴァレリア王女が暖話室へと足を踏み入れた。
彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、手に持つ小皿を暖卓に置いた。
「私は先ほどまで王宮におりましたの。外交特権による新年の拝謁で、殿下と至近距離でお言葉を交わしてきましたわ。これはその際、殿下から手向けられた『太陽の果実』。独りぼっちの貴女に、少しだけお裾分けして差し上げましょうか?」
殿下に会えないお嬢様に対し、特権を利用した接触を自慢する、精神的干渉。
お嬢様の青い瞳から、スッと光が消える。
「……泥棒猫が。その果実、今すぐゴミ箱に捨てなさいよ」
令嬢の仮面が剥がれ落ちた。
お嬢様は表情を崩さず、扇子で果実の乗った小皿を力強く押し返す。
「いいこと? この重箱に詰められた食材は、すべて我がサザランド領の土と水だけで育ったものよ。春にクロード様が戻ってきたら、その血肉になるものは全部、私が徹底的に管理するの。アンタみたいな不純物(他の女)なんて、一ミリたりとも混入させないわ」
お嬢様が扇子をピシャリと閉じる。
「この極限まで甘く煮詰めた黒豆のようにね。クロード様を私だけの濃密な蜜で絡め取って、外の空気にも触れさせず、永遠にこの手の中で保護してやるわ。それが、私の愛の形よ!」
容赦ない不在の殿下への『完全なる監禁と食料統制』の宣言。
ヴァレリア王女が、その狂気じみた愛の重さに、僅かに頬を引きつらせる。
「見事な保存食ですわね、ロザリア様」
そこへ背後の障子を静かに開けて、軍服風の外套を羽織ったエレノア嬢が姿を現した。
「砂糖と塩による極限までの脱水と防腐処理。これならば、王宮が敵軍に包囲され、数年にわたる籠城戦になっても殿下の生命活動を維持できますわ。ただ甘いだけではない、究極の『兵站技術』の結晶です」
お嬢様の重すぎる愛情を、軍事的な兵糧の観点から絶賛するエレノア嬢。
ヴァレリア王女が「……ずいぶんと執念深い兵糧ですこと」と冷ややかに言い捨てようとした瞬間。
私は静かに歩み寄り、令嬢たちの前で一礼した。
「失礼いたします、ヴァレリア殿下。主人が申し上げたのは、単なる個人的な愛情表現ではなく、我が国における『完全なる食料安全保障の確立』にございます」
静かな暖話室に、私の事務的な声が響く。
「他国からの輸入(外交特権の果実)に依存せず、自国の資源のみで王室を永遠に支え抜く。これは、いかなる外交的圧力にも屈しないという、強固な『経済的独立宣言』です。他国の果実が入り込む余地のない、国内循環の証明でございます」
ただの独占欲にまみれた「不在の殿下への執着」を、『自国の完全なる食料安全保障と、他国への経済的牽制』へとすり替える。
「そして、エレノア様のご指摘通り、この重箱は有事の際の国家元首の生存率を最大化するための、防衛省推奨の保存技術でもあります。王国の王室防衛網は、殿下不在の折にこそ、その真価を発揮するのです」
完璧な論理の構築。
ヴァレリア王女は扇子を強く握り締め、反論の余地を封じられたまま、忌々しそうに暖話室から立ち去っていった。
泥棒猫を論理的に撃退し、お嬢様は満足そうに黒豆を口に運んだ。
「……見てなさい、クロード様。アンタが王宮でどんな毒(女)に触れようと、戻ってきたら、私が全部洗浄してあげるわ!」
不在の相手に対して吐かれる、照れ隠しによる暴言。
今年も、お嬢様の騒がしい独り言であった。
◇
令嬢たちの静かな戦いを見届けた後。
私は暖話室の少し離れた廊下で、新年の挨拶状の整理を行っていた。
そこへ、王宮から殿下の近況報告を届けに来たグレン様が、足音を忍ばせて歩み寄ってくる。
「……見事な手際だ。会えない殿下への執念が、国家の食料安全保障と経済独立宣言に変わるとはな」
「明けましておめでとうございます、グレン様。お嬢様の愛は国産百パーセントですので、他国の介入(輸入)は許しません。例え、本人がその場にいなくともです」
私が淡々と答えると、グレン様は苦笑を浮かべながらも、一通の封筒を差し出してきた。
「王室補佐室から、本年度の『特別防諜手当』の概算資料だ。……君のその完璧な防衛手腕には、今年も王室の予算を大きく割く必要があるな」
「それは重畳です。私の老後資金の運用は、有能なビジネスパートナーの決裁にかかっていますから」
私が封筒を受け取ると、グレン様は一歩だけ距離を詰め、私を静かに見つめた。
「君という優良物件への投資は、私の生涯賃金を懸けた長期プロジェクトだからな。……本年も、よろしく頼む」
「はい、書類の不備なきよう、回収させていただきますね」
私は少しだけ口角を上げ、静かに一礼した。




