第四十三話 聖夜のデート
12月、華やかな『聖夜祭』。
全寮制であり、令嬢たちが許可なく外出することなど不可能な男性禁制のアカデミー。
しかし今夜、その広大な中庭には、王都の中心広場と同じ規模の『クリスマスマーケット』が、きらびやかなイルミネーションと共に出現していた。
「クロード様! メリークリスマスですわ!」
誰もいないきらびやかな中庭のツリーの下で、純白のコートに身を包んだロザリアお嬢様が、待ち合わせに現れたクロード殿下へ満面の笑みで駆け寄った。
今夜は、月に一度の個人的接触が許された、待ちに待った解禁日である。
「ロザリア、メリークリスマス。君のコート姿は、雪の妖精のようでとても可愛いな。だが、ここは学園の中庭のはずだが、王都の市場にそっくりなんだが……」
白の外套を着た殿下が、雪の降る中庭に立ち並ぶ屋台と巨大なツリーを見て、信じられないものを見るように絶句する。
お嬢様は「ふふん!」と誇らしげに胸を張った。
「一ヶ月ぶりのクロード様との神聖なデートですもの! ですが、わたくしは学園から出られず、王都の広場では、泥棒猫どもが貴方様を視界に入れる危険がありますわ。ですから、王都の広場の出店ごと今夜の営業権を全額買い上げて、この安全な中庭へと移築しましたの!」
「ぜ、全額……!? この規模のマーケットを丸ごと、学園の中に建て直したのかい!?」
極限の独占欲が生み出した、まさかの『王都中心部の経済機能の強制移転』。
公爵家とはいえ、一介の令嬢が私情のために王都の商業施設をまるごと学園内に移築したとなれば、民衆からの反発や王室の面目に関わる大問題だ。
私は静かに息を吸い吐き、二人の方へ歩み出る。
「失礼いたします、クロード殿下。主人の意図について補足させていただきます」
雪の降る箱庭に、私の冷静で、よく通る声が響き渡る。
「主人は今夜のデートにあたり、事前にすべての商人へ『想定売上の三倍』の補償金を支払い、彼らに聖夜の休暇を与えました。これはただの買い占めではなく、王都の商業を潤す『大規模な経済波及効果』をもたらす慈悲にございます」
ただの独占欲による強権発動を、商人たちへの手厚い還元と、莫大な経済振興策へとすり替える。
「加えて、無防備な王都の広場ではなく、この強固な城壁に守られた学園内へ市場を移築したのは、テロや暴動から次期国王たる殿下を、お守りするための『最高レベルの要人警護空間の構築』に他なりません。主人は莫大な私財を投じて、殿下に絶対の安全と、甘いひとときをプレゼントされたのです」
よし、完璧な論理のすり替えだ。
殿下の瞳から戸惑いがスッと消え去り、代わりに、桁違いの財力で自身を守り抜こうとする婚約者への、深い感動が宿った。
「そうか……。商人の生活を豊かにしつつ、僕の安全のために、市場ごと安全なここへ移してくれたんだな」
殿下が優しく微笑み、お嬢様の手を取ろうとした、その時だった。
ザッ、ザッ、ザッ。
雪を踏みしめる、一切の乱れもない軍靴の音が中庭に響いた。
「ベルジュ家として、要塞内における無許可の商業施設の乱立は見過ごせませんわ!」
漆黒の軍服風の外套に身を包んだエレノア嬢が、冷徹な視線で、お嬢様を睨み据えながら歩み寄ってくる。
「事前の軍事作戦会議もなしに、学園という軍事拠点内に民間施設を移築するなど、致命的な怠慢にして規律違反ですわ! 私は軍部を代表し、この中庭の『一時的な治安維持』を宣言いたします。……ロザリア様、直ちに殿下から離れなさいませ!」
治安維持を大義名分にした、軍事力によるデートの強制破壊工作。
お嬢様の顔からスッと笑みが消える。
「……また泥棒猫が。わたくしは今夜、この中庭の『完全な独占使用権』を学園長から買い取っているのよ! わたくしの私有地に無断で踏み入る筋肉ダルマは、不法侵入者として排除してやるわ! それとも明朝、ベルジュ軍の兵站を買い占められて、兵士たちの食卓からタンパク質を根こそぎ奪われたいのかしら!?」
お嬢様が扇子を広げ、明確な殺意をもって経済制裁を突きつける。
「ロザリア様、国家の安全保障は商業契約に優先しますのよ! 抵抗するなら、有事と見なして制圧するまでですわ!」
一歩も引かないエレノア嬢。
公爵家の莫大な富と権力対、圧倒的な軍事力の侯爵家。
聖夜の箱庭が、一触即発の戦場と化した。
二人の間に火花が散り、殿下が「どうしたんだ、二人とも……」と狼狽える中、私は再び一歩前へ出る。
「殿下、ご安心ください」
私の静かな声が、一触即発の空気を凪のように鎮める。
「現在、お二人が行われているのは、有事における『軍と民間の連携強化演習』でございます」
「演習……? 今にも二人の間で戦争が起きそうに見えるが……?」
「いえ、主人の経済的な空間封鎖に対し、エレノア様が軍事的な緊急介入のデモンストレーションを行うことで、我が国の要塞防衛体制に一切の死角がないことを、殿下の御前で証明しているのです。お二人の激しい視線の交錯は、国家を背負う者同士の、高次元の『防衛論議』に他なりません」
ただの恋敵同士の殺し合いが、国家の防衛力を証明するための軍民合同の防衛演習へと変換する。
我ながら完璧だ。
「そ、そうか……。僕の安全のために、経済と軍部の両面から、ここまでの徹底した議論をしてくれていたんだな!」
殿下は深い感動と共に、二人の令嬢に向かって力強く微笑んだ。
「ありがとう、ロザリア、エレノア! 君たちの王国を思う誇り高い意志、しかと受け取った!」
「と、当然ですわ! 貴方の平穏は、わたくしの財力で守りますから!」
「……ええ、私の筋肉も、すべては国家のためにですわ!」
殿下の笑顔に毒気を抜かれ、二人は忌々しそうに視線を逸らしつつも、それ以上、争うことはしなかった。
その後、エレノア嬢は「外周のパトロール」と称して屋台の影へと離れ、お嬢様と殿下は無事にホットチョコレートを分け合っていた。
私はイルミネーションの死角から、その光景を静かに見守る。
そこへ、二つの湯気を立てる紙コップを持ったグレン様が歩み寄ってきた。
「……見事な手際だ。一歩間違えれば、学園内で公爵家と軍部の内戦が起きるところだったぞ」
「お疲れ様です、グレン様。市場の移築費用の計上と、軍部からの介入予測は、私の老後資金の運用におけるリスク管理の応用ですので」
私が渡されたホットワインを受け取りながら答えると、グレン様は微かに苦笑した。
「心配するな。あの途方もない移築費用の一部は、王室の『経済・防衛演習対策費』として、後日公爵家へ補填させよう。君の老後資金に傷はつけさせない」
「素晴らしい決済スピードです。さすがは有能な補佐官殿ですね」
私が口角を上げ、スパイスの効いたワインを一口含むと、グレン様は一歩だけ距離を詰め、その片眼鏡の奥の瞳で、私を静かに見つめた。
「だが……私の決済には、少しばかり『裏の条件』がつくぞ」
「……それは公務員による不当な要求ですか? 帳簿に記録を残さなければなりませんね」
グレン様はフッと笑うと、周囲の死角になる位置で、私の左手をそっと握りしめた。
「君の老後資金は、私が『共同口座』で倍の速度で貯めてやる。だから、この静かな聖夜くらいは、仕事の計算を忘れてくれないか?」
それは業務と金貨の皮を被った、彼なりの不器用で誠実な告白。
彼の手から伝わる熱に、私の胸の奥の計算機が、再び高鳴り始める。
「……困った方ですね。クリスマスという需要過多な日に、有能なメイドの時間を独占しようとは」
「特別手当を、私の生涯賃金から払うと言っている」
「では、今夜の分は高くつきますよ?」
私は彼の手を握り返し、マフラーに隠れるように、ほんの少しだけ視線を伏せて微笑んだ。
雪の降る箱庭で、幸せそうに寄り添い合う主君たち。
外周を冷徹に警備する筋肉の求道者。
そして、暗がりで密かに手を取り合う、がめつくも不器用な裏方二人。
学園の聖夜は、打算と契約、そして計算しきれない熱情を帯びて、甘く静かに更けていった。




