第四十二話 狂気の純愛
季節は巡り、王立淑女アカデミーは一面の雪化粧に覆われた。
男子禁制の要塞は、文字通り『白銀の絶対防衛線』としての冷厳な姿を見せている。
だが、その冷たい空気の中で、お嬢様は一人、大理石の柱に頭を打ち付けていた。
「……足りないわ。クロード様成分が圧倒的に足りないわ。今月のお茶会まであと十五日……? 無理よ、干からびて雪の結晶になってしまうわ……」
お嬢様が虚ろな目で呻いている。
『殿下との個人的な接触は月一回まで』。
王宮から課せられたその絶対的な制限条約により、お嬢様は現在、重度の殿下不足(禁断症状)に陥っていた。
「お嬢様、深呼吸を。王室の公式行事も当分ありません。ここは耐え忍ぶ時期です」
私が冷静に宥めていると、中庭の雪を踏みしめて、真紅の重厚な防寒具に身を包んだヴァレリア王女が現れた。
「ごきげんよう、ロザリア。……まあ、隨分と顔色がよろしくないこと。寒さのせいかしら? それとも、愛しい婚約者に一ヶ月も会えない『孤独』のせい?」
ヴァレリア王女が、これ見よがしに自分が羽織っている上質なマントの襟を正した。
その肩口には、ファルネーゼの紋章ではなく、我が国の王室紋章が金糸で刺繍されている。
「見てちょうだい。この温かく素晴らしいマント。昨日、王宮から同盟国の王女への労いとして、直々に贈られてきたのよ。貴女が月に一度しか会えない間も、私は外交特権で、王宮……つまり、クロード殿下と密に繋がっておりますの。本当に同情いたしますわ」
寒さを大義名分にした、見事なまでのマウントである。
会えない時間を逆手に取り、自分の優位性を誇示する悪辣な包囲網。
ピキリ、と中庭の空気が凍りついた。
「……泥棒猫が。王室が国賓全員に配っている量産型の贈答品で、わたくしのクロード様との絆を量ったつもり?」
お嬢様の青い瞳に、吹雪よりも冷たい憎悪と、狂気的な情念が渦巻く。
「アンタみたいな貧弱な他国人が、王室のマントに包まれて優越感に浸るなんて万死に値するわ。……そんなに温まりたいなら、サザランド家の領地から最高級の薪を取り寄せて、アンタの血肉ごと暖炉で灰になるまで燃やし尽くして差し上げようかしら?」
寒空の下、禁断症状で理性を失った公爵令嬢による、極めて重度な『放火と丸焼き予告』。
ヴァレリア王女も、その異常なまでの殺意に僅かに表情を強張らせる。
「ベルジュ家としても、その軟弱なマウントは見過ごせませんわ」
さらに、雪が積もる中庭の真ん中で、薄着のまま乾布摩擦をしていたエレノア嬢が立ち上がった。
「外交特権で得た防寒具で身を守るなど、戦士として恥ずべき行為だわ! 極寒の地においては、己の筋肉の震えのみで熱を生み出すのが基本なのよ!? さあ、ヴァレリア殿下、直ちにそのマントをパージし、私と共に雪中行軍十キロに出発しますわよ!」
猟奇的なお嬢様と、狂気の寒冷地訓練を実行しようとするエレノア嬢。
一歩間違えれば、他国の王女を消し炭にするか、凍死させるかの国際問題である。
私は静かに息を吸い込み、令嬢たちの間に音もなく進み出た。
「失礼いたします、ヴァレリア殿下。現在の状況における、我が国の『強固な情報統制』及び『大規模なインフラ支援計画』について通達させていただきます」
張り詰めた空気に、私の冷徹で事務的な声が響き渡った。
「まず、主人の接触制限について。これは孤独ではなく、最高機密という名のクロード殿下を、あらゆる情報漏洩から守るため、極めて厳格なセキュリティの証明に他なりません。表面的な外交特権では揺るがない、国家の根幹を支える絶対的な信頼関係にございます」
会えない呪縛が、見事なまでに『最高レベルの防諜体制と信頼関係』へとすり替える。
「さらに『灰になるまで燃やす』という表現。これは、量産型の防寒具に頼らざるを得ない同盟国の窮状を見かねた主人が、サザランド家が誇る莫大なエネルギー資源(薪と火力)を無償で提供し、貴国を根本から温めるという『人道的な大規模火力支援の提案』にございます」
猟奇的な丸焼き予告も、『他国への莫大なエネルギー援助計画(人道支援)』へと変換した。
「最後にエレノア様のご提案。これは物資の提供に留まらず、寒冷地における自立的な熱源確保(筋肉)のノウハウを提供するという、高度な『技術支援(合同演習)』の打診です。我が国は、貴国を全力で温める覚悟でおります」
私はヴァレリア王女に向けて、完璧なカーテシーを行った。
「くッ……」
ヴァレリア王女はギリッと唇を噛み締める。
これ以上、外交特権を誇示すれば、防諜体制への干渉となり、寒さをアピールし続ければ雪中行軍への強制参加が確定する。
完全に退路を断たれたのだ。
「……結構よ。貴女たちの『熱すぎる支援』は、丁重に辞退させていただきますわ!」
ヴァレリア王女は忌々しそうに踵を返し、足早に温かい校舎内へと撤退していった。
残されたお嬢様は「ふん、他愛もないわね」と鼻を鳴らしつつも、再び大理石の柱に頭をこすりつけ始めた。
「でも、やっぱり、クロード様成分が足りないわ……」
「よく耐えられました、お嬢様。部屋に殿下の肖像画を並べておきましたので、本日はそちらで概念の吸収を」
禁断症状は治っていないが、今回も完璧な防衛の完了だ。
◇
騒動が落ち着き、私が中庭の雪かき作業の段取りを確認していると、背後からスッと温かいコーヒーの入った水筒が差し出された。
「……見事な手際だった。猟奇的な放火予告が、大規模な火力支援に変わるとはな」
「お疲れ様です、グレン様。殿下の不在が続くと、お嬢様の情念のコントロールにも一苦労ですので」
王宮との連絡係として学園に駐在しているグレン様が、私の隣で白い息を吐いた。
分厚いコートを着込んでいるものの、彼の顔にはいつもの疲労感が刻まれている。
「それにしても、よく冷えるな」
グレン様がそう言うと、不意に彼の手が伸びてきて、冷たくなった私の左手を、コートのポケットごとごく自然に包み込んだ。
「……グレン様、これは、どのような業務の一環でしょうか?」
「寒冷地における『相互熱エネルギーのシェア』だ。君の冷え切った指先を温めるのは、有能なビジネスパートナーとしての立派な責務だろう?」
グレン様が、少しだけ悪戯っぽく笑う。
ヴァレリア王女の言葉をそのまま流用した、確信犯的なアプローチだ。
私は彼の手の温もりを確かに感じながらも、視線を雪景色に向けたまま淡々と返した。
「私は自家発電(自立)できております。これ以上の過度な熱供給は判断能力を鈍らせますので、暖房費(特別手当)として、冬のボーナスに割増請求させていただきますよ」
「それはいい。私の口座からいくらでも引き落としてくれ。……君がそうやって、私の前で少しずつ計算を間違えてくれるのなら」
彼は私の手を握る力を、ほんの少しだけ強めた。
白銀に染まった要塞。
殿下不在で荒れ狂うお嬢様と、他国の底冷えする陰謀。
そして、私の心の計算を狂わせようとする、有能な官僚との微かな熱交換。
私たちの冬は、雪に閉ざされて尚、静かに、そして苛烈な熱を帯びて進んでいく。




