第四十話 王女の賄賂、公爵家の制裁
ヴァレリア王女が王立淑女アカデミーに編入して数日。
彼女の行動は極めて迅速、かつ苛烈だった。
放課後。高位令嬢たちにのみ使用が許された『青薔薇のサロン』。
ロザリアお嬢様が優雅に紅茶を傾けているところへ、ノックもなく、真紅のドレスを揺らしてヴァレリア王女が現れた。
彼女の後ろには、重厚な木箱を抱えたファルネーゼの従者が数名控えている。
「ごきげんよう、皆様。そして、アメリア。今日も完璧な仕事ぶりね」
ヴァレリア王女はサロンの空気を一瞬で支配すると、壁際に控えていた私に向かって妖艶に微笑んだ。
そして従者に木箱を開けさせると、サロンの中が眩い光と、芳醇すぎる香りに包まれた。
木箱の中に敷き詰められていたのは、王族ですら滅多にお目にかかれない、ファルネーゼ産の最高級の魔石と、純金でも取引できないと言われる『幻の茶葉』だった。
「アメリア、貴女のその明晰な頭脳には、それに相応しい対価が支払われるべきよ」
ヴァレリア王女が、魔石の一つを手に取り、私に見せつける。
「私に仕えるなら、このようなものは毎日でも与えましょう。サザランド家という狭い鳥籠の中で、その才能を安月給で腐らせる必要はどこにもなくてよ。さあ、私の手を取りなさい」
圧倒的な国家の富をチラつかせた、公衆の面前でのあからさまな贈賄と引き抜き工作。
サロンにいた令嬢たちが、そのあまりの露骨な権力の行使に息を呑み、硬直した。
ガチャンッ! 鋭い音が響く。
ロザリアお嬢様が、手にしていたティーカップをソーサーに叩きつけるように置いた音だった。
「……随分と貧相な国ですのね。ファルネーゼというのは」
お嬢様の青い瞳が、極寒の氷のように冷え切っている。
「私の半身を、そのような光る石と枯れ葉で買えると思いましたの? アメリアに相応しいのは、サザランドが誇る絶対的な庇護と、わたくしが与える底なしの恩愛のみ。これ以上、わたくしの所有物を金で侮辱するなら、貴女の国の国庫を干上がらせて差し上げますわよ?」
お嬢様が扇子を握りしめ、静かに、だが明確な敵意をもってヴァレリア王女を睨みつけた。
一国の王女の贈賄に対し、公爵令嬢が徹底的な経済制裁で応酬する。
サロンの空気は一触即発の緊張感に包まれた。
「ベルジュ家としても、その貧弱な物資提供には失望を禁じ得ませんわ」
さらに静かに本を読んでいたエレノア嬢が、赤い髪を揺らして立ち上がった。
彼女は木箱の中身を一瞥し、冷ややかな声で告げる。
「光る石や嗜好品では、人の骨格や筋肉は育ちません。もしアメリアを揺るがしたいとお考えなら、最低でも最高品質の肉と濃縮栄養素を1トン単位で献上すべきですわ。国家の軍事力を支える『兵站』の基礎が、貴女の国では機能しておりませんのね」
次期軍部トップからの、冷酷な兵站批判である。
ヴァレリア王女が「兵站……?」とわずかにペースを崩し、眉をひそめた。
私は静かに二人の間に音もなく進み出る。
「失礼いたします。ヴァレリア殿下、このたびは王立淑女アカデミーへの『多大なる教育支援物資のご提供』、心より感謝申し上げます」
私の淀みない事務的な声がサロンに響く。
ヴァレリア王女がハッとして私を見た。
「主人は一個人のメイドへの贈賄などという下世話な目的ではなく、この学舎全体への『両国の友好を示す高尚な文化交流』であると、その真意を正しく理解しています。同時に、国家の根幹にあたる人材を金銭で切り売りしないという、厳格な反腐敗の姿勢を示されたものです」
私はヴァレリア王女に向けてカーテシーを行った後、従者が持つ木箱をスッと引き寄せた。
「そして、エレノア様は両国間の『より実用的な食料安全保障に関する条約締結』を提案しておられます。表面的な贅沢品よりも、国家の体力を根本から支える実体経済の交流こそが、真の同盟の姿であるという、極めて現実的な外交提言にございます」
莫大な賄賂が『学園への寄付(共有財産)』にすり替え、お嬢様たちの殺意と筋肉理論が『反腐敗宣言と食料安全保障条約』へと変換する。
ヴァレリア王女は目を細め、わなわなと唇を震わせる。
これを否定して「いや、お前個人への賄賂だ」と言い直せば、自ら王族の品格を貶めることになる。
サロンの空気がふっと緩み、令嬢たちが「自国の富をひけらかす輩を、教育と安全保障の理念でねじ伏せる。さすがは我が国の誇りですわ!」と感嘆の声を漏らした。
「……素晴らしいわ。本当に鉄壁の防壁ね。でも忘れないで、アメリア」
ヴァレリア王女はギリッと奥歯を噛み締め、忌々しそうに私を睨みつける。
「私の手札は、こんな石ころや茶葉だけではないわ。必ず貴女を、私の膝元に跪かせてみせるから」
ヴァレリア王女は優雅に踵を返し、足早にサロンから立ち去っていった。
◇
日暮れ時。
学園の裏手にある搬入口で、私は『寄付された』木箱を前に、王宮から密かに視察に訪れていたグレン様と立ち話をしていた。
「……見事な手際だったな。一歩間違えれば、あの賄賂で学園内の貴族令嬢たちのパワーバランスが崩れるところだった」
「お疲れ様です、グレン様。厄介な代物ですが、学園の共有財産として王宮の国庫へ納入いたします。つきましては、私の『特別防諜手当』として、魔石の売却益から一割を頂戴したく思います」
私が淡々と見積書を差し出すと、グレン様は苦笑し、その羊皮紙を受け取る。
「一割か。君が防いだ国家の損失を思えば、安いものだ。即座に決済しよう」
「助かります。老後資金の目標額に、また一歩近付きました」
私が小さく安堵の息を吐くと、グレン様は静かに私を見つめ、低い声で囁く。
「……彼女は諦めないぞ。次は金ではなく、もっと精神的で、逃げ場のない手段を使ってくるはずだ。君の身の安全は、私が王宮の権限を行使してでも守り抜くが、警戒を怠らないでくれ」
「はい。私も自分の職務と平穏を他国に売り渡すつもりは毛頭ありませんから」
夕闇が迫る中。
私たちは静かに言葉を交わし、激化するであろう他国の王女との、静かで冷酷な防衛戦への覚悟を固めた。
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