第四話 影のプロデューサー
お嬢様にとって久々の舞踏。
まるで生まれたての小鹿のように震えながらも、クロード殿下のリードで何とかステップを踏んでいた。
(ア、アアアメリア……! 息が、息ができないわ! 殿下の吐息がかかるたびに、寿命が縮んでいく気がするわ!)
(お嬢様、息を止めているから苦しいのです)
壁際から送る私たちの視線だけの会話に、お嬢様がひきつった笑顔を返す。
端から見れば初々しい令嬢だが、私には『爆発寸前の時限爆弾』にしか見えない。
けれど、その平和な綱渡りは長くは続かない。
フロアの端から刺すような視線。
派手なドレスを着た数人の令嬢たちが、扇子で口元を隠し、ヒソヒソと話しながら、お嬢様を睨みつけている。
公爵家の悪役令嬢が、第一王子と踊っているのが気に食わないようだ。扇子で口元を隠しているが、その目はまさに獲物を狙うハイエナのようだ。
「はあ……また面倒なことになりそうですね」
私は一人小さくため息を吐いた。
案の定、曲が終わると同時に、令嬢たちが殿下とお嬢様を取り囲む。
「あら、ロザリア様でなくて? 相変わらずエキセントリックな言葉遣いですこと」
「クロード殿下、お気をつけあそばせ。この方は『氷の薔薇』どころか、『狂犬』と呼ばれているのですのよ?」
「先ほども殿下に暴言を吐いていましたわよね? 不敬罪で捕らえるべきですわ」
令嬢たちが口々に捲し立てる。
お嬢様の肩が小さく震え始めた。
不味い、怖がっている。何より、大好きな殿下の前で侮辱されたことに、お嬢様は耐えられない。
「うるさいぞ、ハエ女どもがぁぁぁっ!」
会場の空気が凍りつくほどの絶叫。
お嬢様はドレスの裾をまくり上げんばかりの勢いで吠えた。
「なっ……!? ハ、ハエですって!?」
「そうよ! ブンブンうるさいのよ! わたくしの殿下に近付かないで! 全員殺虫剤で消毒してやろうか!?」
ああ……やってしまった。
お嬢様は自分を守るためではなく、殿下を守るために吠えただけなのだが、言葉選びが悪すぎた。
令嬢たちが「きゃあ!」と大げさに騒ぎ、被害者を演じ始める。
さらに殿下が困ったように眉を寄せる。
このままでは、お嬢様が悪者にされて終わる。
『業務発生:主人の名誉挽回、及び敵対勢力の排除』。
私は懐から『業務効率化ツール』と呼んでいる、鉄板入りの黒手袋を取り出し、戦闘モードに入りそうになったが、思いとどまる。
ここは王宮、力の制圧は最終手段だ。
物理で黙らせるのは簡単だが、床の血痕を拭き取る作業は腰にくるし、何よりクリーニング代に加え、王宮への器物破損賠償金まで請求されては大赤字だ。
まずは、コストゼロの話術で制圧するのが基本。
私はスルスルと人混みを抜け、お嬢様の隣に立つ。
そして騒ぎ立てる令嬢たちに向かい、氷の微笑を向けた。
室温を三度は下げる、絶対零度の営業スマイルだ。
「皆様、少々誤解があるようですので、私から一言申し上げます」
「な、何よ、たかがメイドの分際で生意気ね!」
「主人は、こう申しております。『皆様のような高貴な方々が、ハエのように群れて噂話に興じる姿は見るに忍びない。どうか清らかな水で心を洗い、本来の美しいお姿に戻っていただきたい』と。実に慈悲深いお言葉ではありませんか?」
ポカンとする令嬢たちを置き去りに、私は一息つかずに続ける。
「ところで、そちらの男爵令嬢様。先月、裏カジノでの借金を、父親に肩代わりさせた件は解決しましたか? それと、そちらの侯爵令嬢様。婚約者がいながら庭師の青年と『熱い個人授業』をされているという、お噂。とてもロマンチックですね」
私は懐から一通の分厚い封筒を取り出し、静かにひらつかせる。
紙擦れの音が、彼女たちにはまるで死神の鎌の音に聞こえているだろう。
「ちなみに、ここには皆様の『課外活動』の記録が書かれております。裏カジノの借金返済計画書や、庭師との情熱的な恋文の写しなど……旦那様方の目に触れる前に、こちらで処分しておきましょうか? それとも……今この場で朗読会でも開きましょうか?」
「なななっ……!?」
私の言葉に、令嬢たちの顔色がみるみる変化していく。
次第に顔面蒼白になった令嬢たち。
私が握っているのは、何も物理的な鉄拳だけではない。
公爵家の情報網が集めた社交界の『爆弾スキャンダル』だ。
「主人は全てご存知の上で、あえて『ハエ』という抽象的な表現で皆様の過ちを諌められたのです。これ以上、主人の慈悲を無駄になさらない方がよろしいかと存じますが?」
私はニッコリと微笑む。
令嬢たちは「お、覚えてらっしゃい!」とありきたりな捨て台詞を残し、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。
その背中は、見事なまでの敗走だった。
静寂が戻る。
お嬢様がポカンと口を開け、私を見ている。
しばらくすると、殿下が感心したようにゆっくりと拍手をし始めた。
「すごいな。主も主なら従者も従者だ。サザランド家には言葉の魔術師しかいないのか?」
「恐縮です、殿下」
私は優雅に一礼すると、お嬢様が震える手で私の袖を引いてきた。
その瞳は涙で潤んでいる。
「アメリア、わたくし、また……」
「胸を張ってください。お嬢様は何も間違ったことは言っていません(通訳済みですので)。堂々としてください」
私は小声で、しかしはっきりと伝えると、お嬢様は瞳を潤ませ、コクりと頷いた。
お嬢様は殿下に向き直り、再び精一杯の虚勢を張る。
「雑音が消えて清々したわ! クロード様、続きを踊りますわよ。足を踏まれたいのでしょう?」
「殿下、『ご迷惑でなければ、もう少しだけお時間をいただき、再びご一緒に踊れたら幸いです』と、仰っております」
殿下は思わず笑みをこぼした。
「ああ、ぜひ頼む。ロザリアのステップなら、いくら踏まれても構わない」
再び優雅なワルツが流れ出す。
不器用なステップで、互いの足を踏み合いながら踊る二人。
その微笑ましくも危なっかしい光景を壁際で見守りながら、私は懐中時計を確認する。
午後21時00分。
ここからは『深夜割増料金』が適用される時間帯。
お嬢様の一途な想いは、予想外の方向ではあるが、確実に殿下へ伝わりつつあるようだ。
私の優良物件の資産価値は、今夜だけでストップ高を記録したと言っていい。
けれど、私のミッションは終わらない。
帰宅後には、お嬢様が枕を濡らしながら書くであろう『感動と猛省のポエム』を、こっそりと回収・ファイリングし、次回のデートに向けた戦略的ファッションチェックと、『暴言翻訳リスト(第4版)』の更新作業が待っているのだから。
私の安らかな老後と、実家の借金完済への道は、まだ始まったばかり。
悪役令嬢のメイドA。
それは、主人の不器用な恋路を影から導き、時に助ける『影のプロデューサー』。
それが私、アメリア・オーシャンである。




