第三十八話 読書の秋
王立淑女アカデミーは、穏やかな秋の深まりを見せていた。
王宮で激務に追われるクロード殿下と、お嬢様が会えない日々が続く中、令嬢たちの関心は文学や歴史といった内面を磨く教養へと向けられている。
秋の日の午後。
天井まで届く本棚が立ち並ぶ大図書室のサロンにて、お嬢様が主催する『秋の読書会』が開かれていた。
参加者は高位の令嬢たち。
それぞれが感銘を受けた詩や文学を持ち寄り、その感想を語り合うという、淑女らしい優雅な催しだ。
「――では次は、わたくしがクロード様への想いを綴った詩を朗読いたしますわ」
お嬢様が立ち上がり、羊皮紙を広げる。
令嬢たちが静かに耳を傾ける中、お嬢様の透き通るような、しかしひどく重たい声が響く。
『我が愛は深紅の茨。玉座を囲み、近づく愚か者の血を啜る。
光すら届かぬ静寂の底、一切の外界を遮断した揺るぎなき檻の中で。
貴方を傷つけるすべてから隔離し、私が永遠に守り抜こう――』
図書室の空気が冷え込んだ。
純愛の詩というよりは、あまりに排他的で、重苦しい愛の形。
玉座を血の茨で覆い、外界を遮断して王を隔離するという暗く独占的な思想に、令嬢たちは戸惑い、ティーカップを持つ手を止めた。
私は壁際から、足音も立てずにスッと進み出る。
「失礼いたします。主人の詩に込められた、高度な国家防衛のメタファーについて補足させていただきます」
静寂に包まれた図書室に、私の冷徹で淀みない声が響く。
「『深紅の茨』とは、王国を脅かす外敵や不穏分子を法と武力によって徹底的に排除する、厳格な近衛の刃。そして『光すら届かぬ静寂の檻』とは、いかなる他国の諜報活動や謀略も及ばない、完璧な情報統制と王室の防諜体制を示しています」
私は令嬢たちに向けて、完璧なカーテシーをしながら言葉を続ける。
「主人は自らが冷徹な茨(盾)となり、殿下をあらゆる政争の毒から隔離し、王としての責務にのみ集中していただくという、未来の国母としての苛烈なまでの自己犠牲を詠われているのです」
暗い情念の詩が、『徹底した国防と王室保護の宣言』へと変換した。
張り詰めていた空気が、ふっと緩む。
令嬢たちはハッと息を呑み、「おお……」「ただ愛を囁くのではなく、自らが血塗られた盾となる覚悟……なんて気高く、力強い愛の形なのでしょうか!」と深い感銘の息を漏らした。
お嬢様は「当然ですわ! クロード様の御身は、わたくしがどのような手を使ってでも死守してみせますわ!」と、誇らしげに扇子で口元を隠した。
私が新しい紅茶を淹れるため、お嬢様の手から羊皮紙をそっと受け取る。
その時、羊皮紙の右下の隅に、小さく描かれた挿絵が見えた。
それは涙を流しながら、必死に剣と盾を構えてガッツポーズをしている『下手くそなうさぎ』のイラスト。
殿下に会いたい。彼に微笑んでほしい。
その純粋な祈りは、今も変わっていない。
ただ、あの時、震えていたうさぎは、今や、自らを茨で武装し、凶暴で強固な『盾』へと成長してしまっただけなのだ。
方向性は歪んでしまったが、根底にある健気さは、昔と変わっていない。
その時、燃えるような赤髪を揺らし、エレノア嬢が立ち上がる。
「素晴らしい防衛思想ですわ、ロザリア様。文学の奥深さに、私の血も熱くたぎります。私も一冊、古典の英雄譚から深い学びを得ましたの。国のために戦い、最後に敵の大軍の前に倒れた、悲劇の騎士の物語です」
「知ってるわ。あの騎士の最期には、涙なしには読めないもの」
令嬢たちが頷く中、エレノア嬢は首を横に振った。
「いいえ、嘆くところではありませんわ。あの騎士が死んだのは悲劇などではなく、純粋に『肉体という資本への投資不足』が原因です」
「……はい?」
「精神論で剣は振れません。敵の剣撃を弾き返せなかったのは、骨格を支える筋力の鍛錬が甘かった証拠。国を守るという重圧を背負うのであれば、祈る前にまず、千の剣撃に耐えうる己の肉体を鋼に鍛え上げるべきでした。彼は武力の土台作りを怠ったのです」
感動的な英雄譚が、冷徹な『自己責任論』と『鍛錬不足』として一刀両断された。
令嬢たちが再び戸惑いを見せる中、私は静かに息を吸い込み、本日二度目の翻訳をする。
「皆様、エレノア様は国家における『物理的インフラと防衛予算の拡充』の重要性を説いているのです」
私の凛とした声に、全員の視線が集まる。
「個人の精神力や美しい理想だけでは、国は守れません。表面的な悲劇を嘆くのではなく、国家の骨格となる農業や経済、そして防衛という物理的な基盤(肉体)をこそ、盤石に鍛え上げなければならない。有事に備えた徹底的な準備の大切さを語る、極めて論理的な内政論にございます」
武断的な筋肉理論が、高度な『国家インフラ論と現実的な内政提言』へと変換された。
令嬢たちは「まあ……!」「ただ涙を流すのではなく、国力を根底から鍛え上げる。ベルジュ家の次期当主たる、見事な視座の高さですわ!」と、再び大いなる感銘を受けた。
エレノア嬢は髪をかき上げ、「ええ、強固な国を作るため、まずは皆様も日々の姿勢を正し、自らの肉体を意識することから始めましょう」と深く頷いた。
エレノア様はさて置き、私は二人の極端な思想を教養という枠組みへ収めると、静かに壁際へと下がる。
王宮からの干渉がない、閉ざされた要塞。
ここでは、お嬢様たちの苛烈で真っ直ぐな意志が、日々静かに研ぎ澄まされている。
今はただ、お嬢様の尊厳を守り抜き、己の職務を全うするのみである。




