第三十七話 招かれざる客
華やかだった学園祭の昼の部が終わり、夜の帳が下りる頃。
王立淑女アカデミーの大講堂は、無数の魔石ランプとシャンデリアに照らされ、幻想的な大舞踏会場へと姿を変えていた。
『後夜祭』――身分や建前を少しだけ忘れ、学生たちが自由に手を取り合うことを許された特別な夜。
私は壁際に控え、ホールの中央を見つめていた。
そこには、夜空を切り取ったような美しい群青のドレスを纏ったロザリアお嬢様と、王家の正装に身を包んだクロード殿下が向かい合って立っている。
「ロザリア、今日の君は本当に綺麗だ」
殿下が優しく微笑み、お嬢様に向かって右手を差し出す。
お嬢様が手を取ろうとした、その時だった。
「王の伴侶を選ぶ神聖な場にしては、少々『私情』が過ぎるのではなくて?」
明確に敵視した冷たい声が響いた。
音楽が止まり、周囲の生徒たちが息を呑んで道を開ける。
現れたのは、隣国ファルネーゼの第一王女、ヴァレリア殿下だ。本来、学園の生徒ではない彼女がここにいるのは、学園祭の『主賓』として他国から招かれた特使だからだ。
「ごきげんよう、クロード殿下。そして、サザランド公爵令嬢」
ヴァレリア王女は真紅のドレスを揺らし、優雅なカーテシーをすると、冷徹な瞳で二人を見据えた。
「サザランド公爵令嬢、貴女の殿下への執着は、我が国にまで聞こえております。未来の王を鎖で縛り付け、自身の視界にのみ幽閉しようとするその振る舞い……。それは愛ではなく、ただの『支配欲』に他なりませんわ」
ヴァレリア王女は扇子を広げ、一歩前へ出る。
その言葉には嫌がらせではない、政治的計算が含まれている。
「王に必要なのは、他国との強固な同盟を築き、国益をもたらす盤石な『外交の要』です。我がファルネーゼの富と軍事力をもってすれば、殿下の治世は千代に八千代に揺るぎないものとなる。……狭い鳥籠の中で息を詰まらせるより、私と共に広い世界を統べる方が、王としての正しい選択ではございませんこと?」
ホールが静まり返った。
公衆の面前での正論を用いた政治的攻撃。
お嬢様の瞳に、怒りの炎が灯る。
正論で殴られたからこそ、下手に反論すれば「やはり、ヒステリックで野蛮な令嬢だ」と周囲に印象付けてしまう。
ヴァレリア王女はそれを狙っているのだ。
私はスッと、音もなく二人の間に進み出る。
「失礼いたします、ヴァレリア殿下。主人は、貴女様の心温まるご提案に対し、深い感銘を受けておられます」
私が完璧なカーテシーと共に涼やかな声を響かせる。
「『他国の王室が、我が国の婚姻に自国の軍事力を持参金として提示されるとは。よほど自国内での王位継承権が危うく、他国の王座にすがるほど足元が不安定であられるのですね』と。主人は、貴女様の切実なご事情に、深い同情を表明しております」
ヴァレリア王女の顔から、スッと余裕の笑みが消えた。
「なっ……!? 一介のメイドが、私を愚弄する気なの!?」
「滅相もございません。主人は、さらにこう申しております。『自国の富と武力を頼みとするのは三流の統治。我がサザランド家の鎖は、いかなる外圧にも屈しない絶対的な国内の安寧を意味します。他国の力を借りねば国を保てぬと公言するような、か弱き小鳥のさえずりに耳を貸す王は、我が国にはおりません』と」
私は顔を上げ、冷たい微笑を浮かべて彼女を真っ直ぐに見据えた。
「『これ以上の無益な立ち話で時間を浪費される前に、自国の再建にその情熱を注がれることをお勧めいたします』。以上が、我が主人からの大いなる寛容をもった返答にございます」
大講堂が、水を打ったように静まり返った。
暴言を一切使わず、相手の『軍事力をひけらかす外交』を『国内基盤が弱い証拠』へとすり替え、完全に退路を断った。
ヴァレリア王女はわなわなと震え、扇子を握りしめるが、彼女はただ逃げ帰るような三流の悪役ではなかった。
「……見事な詭弁ね。サザランド公爵令嬢の狂気的な振る舞いを、崇高な政治理念にすり替える。その完璧な立ち振る舞いと、刃のような舌鋒……」
ヴァレリア王女は、ロザリアお嬢様でも、クロード殿下でもなく、私だけを見つめて唇を舐めた。
「公爵令嬢の完璧な仮面は、貴女という最高品質の裏方がいてこそ成立していたのね。……素晴らしいわ。本当に素晴らしいわ」
「恐れ入ります」
「クロード殿下、本日のところは、私の負けにしておいて差し上げますわ。ですが……」
ヴァレリア王女は、うっとりとした熱を帯びた目で私を見つめた。
「良いものを見つけました。それも最高の『宝』を。私、手に入れたいと思ったものは、国を傾けてでも絶対に手に入れる主義なのです」
彼女は優雅にドレスの裾を翻し、ホールを後にした。
嵐が去り、クロード殿下が静かに息を吐く。
「……見事だったよ、ロザリア。君の毅然とした態度こそ、僕の隣に立つ女性に相応しい」
「当然よ。わたくしとクロード様の間に、他国の付け入る隙など一ミリもないもの」
お嬢様は堂々と胸を張り、殿下の手を取った。
ワルツが再開される。
けれど、私は背中に嫌な冷や汗をかいていた。
今の視線。新しい面倒事が増えた予感がする。
◇
喧騒から離れた、夜風の吹き抜けるバルコニー。
「……厄介なことになったな、アメリア」
背後から、王宮の夜会服に身を包んだグレン様が歩み寄ってきた。その顔には、いつにも増して深い警戒の色が浮かんでいる。
「お疲れ様です、グレン様。先ほどの件ですね」
「ああ、あのヴァレリア王女……去り際のあの目。どうやら彼女の狙いは殿下ではなく、君に切り替わったらしい」
「……他国の王女の側近など、私の平穏な老後計画に微塵も組み込まれてません」
私が小さくため息をつくと、グレン様は距離を詰め、私の隣に立った。
「頼もしい言葉だ。だが、相手は一国の王女で、欲しいものは国を傾けてでも手に入れると言い放つ女だ。金も権力も、これまでの令嬢たちとは桁違いだぞ。どんな手を使って君を引き抜きに来るか……」
「であれば、私の防衛に対する危険手当も、桁違いに引き上げていただかなくてはなりませんね」
私が淡々と告げると、グレン様は口角を上げ、不意に私の手をそっと取る。
「そうだな。君という最大の戦力を……いや、私の唯一の大切な相棒を、他国になど渡すわけにはいかない」
月明かりの下、彼が私の手を強く握る。
その指先は、確かな温もりを伝えてきた。
私たちは手を繋いだまま、静かに夜空を見上げる。
他国から、新たな脅威が迫っている。けれど隣に立つ、この厄介で有能な彼の熱を感じている限り、負ける気はしなかった。




