第三十五話 学園祭
秋晴れの空の下、王立淑女アカデミーの学園祭が華々しく開幕した。
サザランド公爵家が主催する『青薔薇のサロン』。 教室を一つ貸し切り、最高級の調度品と幻の青薔薇で埋め尽くされた、幻想的な空間だ。
主賓であるクロード殿下を迎えるため、お嬢様は青を基調としたドレスを纏い、そわそわと入り口を見つめている。
「アメリア、テーブルの『ウェルカムカード』、全席に配置したわね?」
「はい。念のための確認ですが、本日の殿下のご来訪は、あくまで学園祭の『公式視察』という名目です」
私は、テーブルの配置をミリ単位で修正しながら淡々と告げた。
「王宮と締結した『個人的な接触は月一回まで』という制限条約。本日はその抜け道として、私が王室補佐室のグレン様に五十枚の特例申請書を提出し、『これは公的な文化交流事業である』と強引に認めさせた結果です。どうか、月一回の枠を消費せぬよう、過度な私情は挟まず、節度あるご対応をお願いいたします」
「分かってるわよ! 公務の皮を被せれば、月一回の制限を消費せずに、クロード様成分を補給できるんでしょ!?」
お嬢様は興奮気味に扇子を鳴らす。
そう、私はお嬢様の殿下不足による禁断症状を癒やすため、行政の隙間を突いて、『非公式な逢引き』をセッティングしたのだ。
私は頷きながら、ふと嫌な予感がして一番近くのテーブルのカードを開く。
そこには優雅なカリグラフィーで、お嬢様の『愛の詩』がびっしりと綴られている。
『ああ、わたくしの愛しい人。貴方の吐息だけを吸って生きていきたい。他の女が吸った酸素など猛毒と同じ。
いっそのこと、青薔薇の棘でわたくしの心臓を貫き、溢れる血で貴方の名前を王都の壁という壁に刻みつけたい――』
……重い。そして圧倒的に猟奇的だ。
酸素を猛毒扱いして外界を遮断し、王都の壁を血文字で染め上げようとする。これは愛の詩ではなく、過激派のテロ予告、あるいは狂信的なカルト声明文である。
せっかく私が公務として申請したのに、これでは私情の証拠隠滅不可な文書だ。
「お嬢様、この詩は情熱が物理法則と刑法を超越していますが」
「当然よ! 私のクロード様への愛が、常識の枠に収まるわけないじゃない! これを読んで、彼が私の重い愛に感動してくれるはずよ!」
私が全席のカードを即座に回収し、無難なメニュー表にすり替えようとした、その時だ。
「やあ、ロザリア。素晴らしい空間だ。青薔薇の香りがとてもいい」
サロンの扉が開き、クロード殿下がグレン様を伴って現れた。
回収は間に合わない。
私は静かに壁際へと後退する。
「クロード様、お待ちしておりましたわ! さあ、こちらの特等席へ」
お嬢様が珍しく暴言を吐かずに、頬を染めて殿下をエスコートする。
殿下は笑顔で席に着き、テーブルの中央に置かれたウェルカムカードを手に取った。
「これは君からのメッセージか? 嬉しいよ。ええと……」
殿下がカードを読み上げる。
数秒後、殿下の美しい笑顔が引きつり、青い瞳に明確な恐怖の色が浮かんだ。
「酸素が猛毒……? 心臓を貫いて、血で僕の名前を壁に……? ロザリア、これは何かの暗号、あるいは呪術の類いだろうか……?」
殿下の額に冷や汗が滲む。
お嬢様は「ふふん、わたくしの愛の深さに圧倒されたのね!」と誇らしげだが、このままでは未来の国王が心因性の呼吸困難に陥ってしまう。
私は音もなく殿下の傍らに進み出る。
「失礼いたします、殿下。主人の綴った詩は、古代の英雄叙事詩を引用した、極めて高度な国家防衛と治安維持に関する基本方針でございます」
私の淀みない声に、殿下が縋るような目を向けた。
「『他の酸素が猛毒』という一文は、他国からの有害な思想や、不当な内政干渉を遮断し、純粋なる王室の威信のみを尊ぶという、徹底した情報統制の構築を意味しております」
「で、では、僕の名前を血で刻むというのは?」
「『青薔薇』の花言葉は『不可能を可能にする』。主人は、王室の威信を脅かす不穏分子に対しては、自ら修羅となり、いかなる流血を伴おうとも、法と秩序を王都に敷き詰めるという、未来の国母としての力強い決意表明を詠われているのです」
猟奇的なテロ予告が、見事なまでに『強権的な防諜体制の構築と、流血を辞さない苛烈な治安維持宣言』へとすり替える。
殿下の瞳から恐怖がスッと消え去った。
代わりに、自らの治世の汚れ役を一身に背負おうとする婚約者への、深い感動と畏敬の念が宿る。
「そうか……。僕の治世を、そこまでの血塗られた覚悟で支えてくれるという、君の強い誓いの詩だったんだな。ありがとう、ロザリア。その恐れを知らぬ覚悟、しかと受け取ったよ。僕も命を懸けて、君を守り抜く王になろう」
「な、何よ、急に大袈裟に……! アンタが頼りないから、わたくしが支えてあげるって、言ってるだけなんだから!」
お嬢様は顔を真っ赤にして顔を背け、扇子で口元を隠す。
その時、サロンの入り口で騒がしい声が聞こえてきた。他校からの見学の貴族令息たちが、物珍しさに勝手に入室しようとしているらしい。
けれど、彼らが扉を開けようとした時、立ち塞がる影があった。
「申し訳ありませんが、今は殿下とロザリア様の非公式なティータイムですわ。許可のない越境行為は、このベルジュの家の私が許しませんわよ」
エレノア嬢だ。
彼女は優雅なドレス姿でありながら、その背筋は微塵もブレず、入り口を強固な『国境線』として封鎖している。
彼女の威圧感の前に、令息たちは青ざめて逃げていった。友人の恋路を守る、見事な単騎防衛戦である。
私は壁際まで下がり、同じく入り口付近で裏方に徹していたグレン様の隣に並ぶ。
「……見事な手際だった。あの血みどろのポエムが、完璧な『治安維持法案』に変わるとはな」
「お疲れ様です。文字通り、殿下の精神崩壊を防ぎ、かつ月一回の制限条約を回避するための命懸けのフォローですから」
「君がいなければ殿下は今頃、深読みをして寝込んでいただろう。……感謝する、アメリア」
「当然の業務です。特別手当の請求書に、本日の『精神的苦痛に対する危険手当』も上乗せしておきます」
私が事務的に口角を上げて返すと、グレン様は小さく笑った。
「ああ、王室の予算を割こう。……だが、学園祭が終わった後の『後夜祭』。夜の君のスケジュールだけは、私が買い占めたい」
「後夜祭は需要が高騰します。プライベートの独占契約となれば、時価(青天井)になりますよ?」
「構わない。私の生涯賃金を担保にしよう」
青薔薇の香りに包まれたサロン。
お嬢様と殿下の甘いティータイムを静かに見守りながら、私は後夜祭に向けた、胸の高鳴りを隠し通していた。




