第三十四話 学園祭前夜、執務室にて
翡翠の湖畔でのバカンスから戻り、王都には秋の冷たい風が吹き始めていた。
王立淑女アカデミーは、一年で最も華やかな行事である『学園祭』の準備期間に入っている。
各領地から高位貴族や王族が視察に訪れるこの祭りは、令嬢たちにとって、自身の教養とセンスをアピールする最大の社交場だ。
お嬢様も例外なく、この学園祭に並々ならぬ情熱を注いでいた。
「アメリア、今年のわたくしたちの出し物は『クロード様とわたくしの愛の軌跡展』にするわ。今までわたくしが、クロード様のために心血注いだ手作り品の数々を展示し、絆の深さを王国中に知らしめるのよ!」
放課後のサロン。
お嬢様が自信満々に広げた設計図には、血文字のような刺繍ハンカチや、藁人形、そして湖畔で使った生肉ルアーのレプリカを美しくライトアップする展示構成が描かれていた。
一般生徒が見れば悲鳴を上げて逃げ出す、完璧な『呪物の館』である。
「お言葉ですが、お嬢様」
私は静かに設計図を丸め、美しいリボンで縛って封印した。
「それらの品々は、殿下とお嬢様のお二人だけの神聖な秘密です。他者の軽薄な目にさらして、その価値を安売りするおつもりですか?」
「うっ……! そ、そうね。わたくしの愛の結晶を、平民や他の令嬢なんかに見せてやる義理はなかったわね」
お嬢様の独占欲を刺激する論法で、無事に展示計画は白紙に戻った。
「では、今年はお茶会形式にしましょう。テーマは『青薔薇』。殿下の瞳の色と同じ、高貴で静謐な空間を作り上げ、殿下を最上級の歓待でお迎えするのです。未来の王妃としての、完璧なおもてなしの腕を証明する絶好の機会かと」
「……悪くないわ。青薔薇のサロン。そうね、クロード様もきっと喜んでくださるわね!」
お嬢様は目を輝かせ、さっそく最高級の青薔薇と茶葉の手配リストを作成し始めた。
軌道修正完了。
私はほっと息を吐き、完成したサロンの予算案と企画書を持って、グレン様の待つ執務室へと向かった。
◇
「グレン様、サザランド家の企画書をお持ちしました」
ノックをして執務室に入ると、グレン様は机に山積みにされた書類の壁に埋もれていた。
学園祭における各クラス・各家の企画監査、来賓の警備配置、予算の承認。王宮と学園の架け橋である彼の業務量は、明らかに限界を超えている。
「……アメリアか、助かる。そこに置いてくれ」
グレン様がモノクルを外し、酷使した目を指で揉む。
その顔には深い疲労の色が刻まれている。
私は企画書を机の端に置き、持参したバスケットから保温水筒を取り出した。
「お疲れのようですね。カモミールと蜂蜜のハーブティーです。今回は特別に疲労回復のスパイスを少々ブレンドしています」
「……一杯につき、銀貨何枚だ?」
「本日は無料です。倒れられては、私の老後のためのビジネスプランに支障が出ますから」
私がティーカップに温かいお茶を注ぐと、甘く落ち着く香りが執務室に広がった。
グレン様は驚いたように小さく笑い、カップを受け取る。
「まさか無料とは……明日は雪が降るかもしれないな」
「心外ですね。優良顧客へのアフターケアは基本です」
彼がお茶を一口飲む。
強張っていた肩の力がふっと抜け、深い安堵の吐息が漏れた。
「……美味い。君の淹れる茶は、どうしてこうも身体に染み渡るんだろうな」
「グレン様が一人で抱え込みすぎているからです。殿下のご威光を借りて、他の役人に仕事を振ってはいかがですか?」
「そうもいかないさ。殿下の安全と令嬢たちの名誉がかかっている。私が全て目を通さなければ」
真面目すぎるほどの誠実さ。
それが、グレン様という人の本質だ。
胃を痛めながらも、誰かのために裏方として骨を折り続ける姿は、放っておけないと思わせる何かがある。
静かな執務室の中、彼がカップを置き、ふと真剣な眼差しで私を見た。
「……アメリア、湖畔での約束を覚えているか?」
「『後夜祭のエスコート』の件ですね。見積もりはすでに作成済みですが」
私が事務的に返すと、グレン様は苦笑し、静かに首を横に振る。
「その日は、金貨の計算は私に任せてくれないか。……補佐官としてではなく、一人の男として、君に相応しい時間を準備したい」
机を挟んだままの距離。
決して近くはないのに、その声には確かな熱がこもっていた。
湖畔の暗闇で繋いだ手の熱が蘇り、心臓がトクンと鳴る。物理的な距離は保たれているのに、言葉だけで踏み込まれるのは計算外だ。
「私は華やかなドレスも持っていませんし、愛想笑いも得意ではありません」
「そんなものは求めていない。君が君のままで、私の隣を歩いてくれればいい」
真っ直ぐな逃げ場のない視線。
私は小さく息を吐き、少しだけ口角を上げた。
「承知いたしました。では、当日の完璧なエスコート計画に期待しています」
私がそう答えると、グレン様は心底安堵したように、優しく微笑んだ。




