第三話 暴言は最上級の賛辞に
王宮の正面玄関前に到着した馬車の中。
お嬢様は深紅のドレスの裾をギュッと握りしめ、ガタガタと体を震わせている。
「ア、アアアメリア……む、むむむ無理よ。やっぱり帰るわ! お腹痛いし、頭も痛い。それに足の小指も、爆発しそうなの!」
「足の小指は爆発しません。それに今帰れば、明日の新聞の一面は『サザランド公爵令嬢、敵前逃亡』になります」
「ううぅ……そ、そうだわ! でも、心臓が口から飛び出そうなのよ!」
「飛び出ません。それに今、良いこと閃いたみたいな言い方も無駄です」
私は震えるお嬢様の背中を押す。
会場の扉が開かれ、煌びやかなシャンデリアの光が降り注ぐ。
それはただの照明ではない。
貴族たちを値踏みし、格付けするためのスポットライトだ。
ライトを浴びた瞬間、お嬢様の令嬢スイッチが切り替わる。
背筋がピンと伸び、顎を上げて周囲を見下すような『氷の薔薇』の表情に変わった。
震えていた膝はドレスの裾で隠し、扇子を持つ指先の震えを、優雅な手首の返しへと変換する。
見事なまでの女優魂。
これぞ、サザランド家が誇る『ブランド・イメージ』の維持能力。
中身がポンコツでも、パッケージさえ美しければ商品は売れるのである。
「行くわよ、アメリア。わたくしの引き立て役として、せいぜい恥をかかないようになさい」
「仰せのままに。お嬢様の輝きで、他の方々の目が潰れないか心配です」
「ふふん、全員サングラスをかければいいだけよ」
私が恭しく答えると、お嬢様は鼻を鳴らし、ホールへと足を踏み入れる。
ホールに足を踏み入れると、顔見知りの伯爵令息――マルセル・フォン・ローゼン様が、無駄に白い歯を光らせ、待っていたかのように歩み寄ってきた。
「やあ、ロザリア嬢。今夜も美しいね」
「ん? ああ、誰かと思えば、そこらの雑草かしら。わたくしの視界に入らないでくださる? 目が腐ってしまうわ」
お嬢様は扇子をひらりと振り、彼を追い払う仕草を見せた。
ローゼン伯爵令息の顔が、みるみる引きつる。
私はすかさずフォローするために一歩前へ出て、柔らかな笑みを浮かべた。
「ごきげんよう、伯爵令息様。主人は『貴方様のように輝かしい方が視界に入ると眩しすぎて直視できませんわ』と申しております」
「えっ……? あ、なるほど! 相変わらず、ロザリア嬢は照れ屋だな!」
令息は上機嫌で去っていった。
お嬢様は「ふんっ」とそっぽを向いているが、耳が少し赤い。
本音は『クロード殿下以外の人に話しかけられてテンパってしまった』なのだ。
素直にそう言えばいいが、それができないから私も苦労している。
続いて、今夜のターゲットである第一王子、クロード・フォン・アルトリア殿下が姿を現した。
金髪碧眼、絵に描いたような王子様だ。
お嬢様の目が釘付けになる。
この時のために、お嬢様は家出をし、詐欺に遭い、ドレスを選んだのだ。
「ア、アアアメリア……! ク、クククロード殿下よ! 久しぶりだから心臓が飛び出しそうだわ! それに殿下が輝きすぎて、網膜に残像が焼き付いたから一生洗顔できないわ!」
「顔は洗ってください。不潔です。まずは深呼吸を。落ち着いたら挨拶に行きます。練習通りにすれば何も問題はありません」
私たちは殿下の元へ歩み寄る。
殿下はお嬢様に気付くと、優雅にグラスを掲げた。
「久しぶりだな、ロザリア。今夜は楽しんでいるか?」
チャンスだ。
ここでお嬢様が、『ええ、クロード殿下。貴方様にお会いできて光栄ですわ』と言えば、全て丸く収まる。
だが、お嬢様の顔は真っ赤に染まり、唇がわなわなと震え、長年の想いが限界突破する。
「何、ジロジロ見てんのよ、この不審者が! その無駄に整ったツラをへし折って、豚の餌にしてやろうか!? 跪きなさい!」
会場が凍りついた。
殿下の笑顔が固まる。
護衛の騎士たちが一斉に腰の剣に手をかけた。
完全に問題発生である。
私は瞬時にカーテシーを行い、殿下の前に滑り込む。
「クロード殿下、ご無礼をお許しください。我が主人は、殿下のあまりの美貌に衝撃を受け、『貴方様の麗しいお顔を拝見していると、自分の存在がちっぽけな豚のように感じられます。思わず、その場にひれ伏してしまいそうですわ!』と、独特な言い回しで最上級の賛辞を述べております」
「……え?」
――静寂。
殿下が瞬きを繰り返し、やがて笑い始める。
「ふはははっ! なるほど、そういうことか! 『ツラをへし折る』が『美貌への衝撃』。『跪け』が『ひれ伏してしまいそう』とは、相変わらず詩的な表現をするな、ロザリア」
殿下は微笑み、お嬢様の手を取る。
「やはり面白いな、ロザリア。君のような情熱的なレディは国中を探してもそうはいない。僕と一曲踊ってくれるか?」
奇跡的に通じた。いや、殿下の感性も少しずれているのかもしれない。
まあ、結果オーライだ。
お嬢様はあまりの喜びに顔を真っ赤にして、口をパクパクと開閉させている。
「な、何よ! わたくしの手を取るなんて百年早いわ! でも……まあ、そこまで必死に頼むなら、踏んであげなくもないわ!」
「殿下、お嬢様は『この時をずっとお待ちしておりました! 殿下の一歩一歩を喜んで受け止めたいのですわ!』とのことです」
「なるほど。少しは手加減してくれよ?」
殿下はお嬢様をエスコートし、ダンスホールへと連れ出す。
私は壁際に下がり、安堵の息をついた。
今の翻訳業務だけで、寿命が三年は縮んだ気がする。
これは『特殊技能手当』に加えて、『精神的苦痛への慰謝料』も請求書に乗せるべき案件であり、給料の増額交渉も必要だ。
けれど、平和な時間は、そう長くは続かなかった。




