第二十八話 慈善バザー
5月。学園は年に一度の伝統行事である、『慈善バザー』の熱気に包まれていた。
出店での売上を、孤児院へ寄付するこの行事の目玉は、午後から大講堂で行われる『チャリティー・オークション』だ。
王族や高位貴族の生徒たちが私物や権利を出品し、落札額で財力と高貴なる義務を競い合う。
それは単なる慈善事業ではなく、各派閥の威信を懸けた、『代理経済戦争』の場でもあった。
早朝、私は副業として契約したグレン様の執務室で、事前の予算リストの確認を行っていた。
「……おはよう、アメリア。今朝も一段と処理が早いな」
「おはようございます、グレン様。オークションの予算管理で、また胃を痛めておられるようですね」
「ああ、王室の威厳を保ちつつ、各派閥の面子を潰さないように落札額をコントロールしなければならないからな。特に、君の主人が殿下の出品物にどれほどの資金を投入するかが、最大の懸念事項だ」
グレン様が重いクマを作った目でため息をつく。
私は手元の書類から目を離さず、淡々と答える。
「ご安心ください。お嬢様には『感情による無秩序な散財は、逆に殿下の名誉を傷つける』と進言しております。本日はあくまで、サザランド家の威信と国家の利益にかなう『投資』のみを、私が行います」
「……君のその冷徹な資金管理能力には、本当に救われるよ」
◇
午後。大講堂。
豪奢なシャンデリアの下、生徒たちと外部の貴族たちがひしめき合っている。
私とお嬢様は最前列のVIP席に陣取り、壇上の競売人の口上を静かに聞いていた。
「さあ、皆様! 本日の目玉の一つ、クロード殿下からのご出品です! 殿下が幼少期より愛用されていた、王家紋章入りの銀の万年筆! スタートは金貨百枚からです!」
会場がどよめく。
王族の私物となれば、その付加価値は計り知れない。
令嬢たちや、王家との繋がりを求める下位貴族たちが、次々と入札用のパドル(番号札)を上げ始めた。
「金貨二百枚!」
「こちらは五百枚だ!」
お嬢様の青い瞳に、確かな殺意が灯る。
「あの泥棒猫ども……わたくしのクロード様の万年筆に気安く値を……! アメリア、金貨一万枚よ。今すぐパドルを上げなさい!」
金貨一万枚――一地方の税収すら優に超える、常軌を逸した額だ。
お嬢様が国家予算レベルの暴言を吐く前に、私はスッとパドルを掲げ、静かに通る声で宣言した。
「サザランド公爵家、金貨一万枚」
会場がシンと静まり返った。
相場の数十倍。これ以上は誰も追えない、完全な最後通牒としての圧倒的な額だ。
「き、金貨一万枚! サザランド公爵令嬢から入りました! 他にいらっしゃいませんか!? ……落札です!」
木槌が鳴る。
呆然とする周囲の貴族たちに向け、私は立ち上がり、完璧なカーテシーと共に補足した。
「皆様、お聞きください。王族の愛用品、とりわけ『筆記具』が不用意に外部へ流出することは、将来的な文書偽造や王室の権威悪用を招く、極めて重大な安全保障上のリスクでございます。故に、我がサザランド公爵家が責任をもってこれを保護(落札)し、厳重な管理の下、王室へと返還いたします」
ただの嫉妬による落札が、見事なまでに『偽造防止と、国家安全保障のための防衛措置』へと変換された。
誰も反論できない大義名分。
貴族たちは「なるほど、王室の危機管理能力の欠如を、公爵家が身銭を切ってカバーしたのか」と深く納得し、お嬢様への敬意の眼差しを向けた。
お嬢様は「ふふん、当然の義務ですわ!」と優雅に扇子を広げたが、万年筆を回収できた喜びに、その耳は微かに赤く染まっていた。
競売は続き、そして終盤。
「最後の出品は、なんと、サザランド公爵令嬢ロザリア様からのご提供です!」
会場が、先ほどとは違う意味で静まり返る。
「出品物は……ロ、ロザリア様と過ごす優雅なプライベート・ティータイムの権利(一時間)!? ス、スタートは、金貨百枚からです!」
水を打ったような静寂が講堂を包み込む。
誰もパドルを上げない。
それもそのはず、私は事前の裏工作として、有力貴族たちに対し『未来の国母たる主人のプライベートな時間に不用意に介入する者は、サザランド家に対する政治的干渉とみなす』という圧力を、書面と無言の威圧で通達しておいたのだ。
誰も公爵家を敵に回してまで、お茶会に参加しようとは思わない。
「ええ……金貨百枚、いらっしゃいませんか……?」
競売人の額に冷や汗が浮かぶ。
お嬢様の顔からスッと表情が消え、パキリと扇子が折れる音がした。
プライドの高い彼女にとって、自分の価値に値がつかないことほど屈辱的なことはない。
「アメリア、これはどういうこと……?」
お嬢様が怒りの頂点に達しようとした、その時、スッと一枚のパドルが上がった。
「金貨三千枚」
凛とした、穏やかな声。
来賓席の中央で、クロード殿下がパドルを掲げていた。
「クロード様……?」
お嬢様が、信じられないというように目を見開いた。
殿下は驚く周囲の視線を気にする様子もなく、真っ直ぐにお嬢様を見つめる。
「未来の王妃たる君の貴重な時間は誰にも譲れない。僕たちの強固な結びつきを、この公の場で証明しよう」
それは単なる恋愛感情だけではない。
他派閥の干渉を許さず、王家とサザランド家の盤石な同盟関係を公に示すための、次期国王としての見事な政治的投資。
「金貨三千枚!? クロード殿下から入りました! 他に……いませんね。ら、落札です!!」
木槌が高らかに鳴り響く。
会場から、その圧倒的な権力と絆の強さに対し、割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。
お嬢様は顔を沸騰するほど真っ赤にし、全身を小刻みに震わせている。
感情のキャパシティが限界を突破する。
「あ、あ、アンタ……! 公開の場で、何、言ってるのよ! わたくしと密室でお茶なんかしたら、絶対帰さないわよ!? わたくしの領土の奥深くに囲い込んで、外界から完全に隔離して、一生出られないようにしてやるんだからぁぁぁっ!」
極度の照れ隠しが、最悪の『隔離・監禁予告』となり、講堂に響き渡った。
歓声が一瞬にして凍りつく。
私はすかさず、最大音量で翻訳を開始する。
「失礼いたしました! 主人は『殿下の御身の安全を第一に考え、我が領土における最高レベルの防諜体制と警護をもって、完璧なおもてなしをさせていただきますわ!』と、感極まっておられます!」
私の即座のフォローに、殿下はクスリと笑った。
「分かってるよ、ロザリア。僕も君の淹れてくれるお茶を楽しみにしている。まあ、手加減してくれよ」
殿下の言葉に、お嬢様は「ふん!」と顔を背けたが、顔を真っ赤に染めていた。
完全にノックアウトである。
こうして、波乱のチャリティー・オークションは幕を閉じた。
サザランド公爵家の圧倒的な防衛能力と、殿下の政治的采配は、重厚な美談として、社交界に広まることになるだろう。
◇
帰り道。
グレン様が、すれ違いざまに私に耳打ちをしてきた。
「……見事な盤面コントロールだった。君の裏工作とフォローがなければ、今頃、王室の万年筆は他国に流れ、オークション会場は血の海だった」
「お疲れ様です。私の寿命も削られましたので、今月の特別手当を上乗せして請求させていただきますね」
「……喜んで払おう。君の働きは、金貨一万枚以上の価値があるからな」
私は落札した『殿下の万年筆』を厳重にケースにしまいながら、明日のお茶会という名の殿下生存戦略会議のスケジュールを組み始めるのだった。




