第二十二話 絶対王政のデモンストレーション
翌朝。
バルコニー会議に現れたグレン様は、手すりに寄りかかり、遠い目をしていた。
「……おはよう、アメリア」
「おはようございます。今朝は一段と哀愁が漂っていますね。引退した老兵のようです」
「あながち間違いではない。今日の馬は、『元軍馬』だと言っただろう? 名前は『将軍』、歴戦の猛者だ」
グレン様が胃を押さえる。
「本当に大丈夫ですか? 気性が荒いのでは?」
「いや、逆だ。戦場をくぐり抜けてきた老馬ゆえに、並の威嚇では動じない。だが、普通の『淑女のステップ』など踏んでくれないぞ。あれは真っ直ぐな進軍しか知らない馬だからな」
「なるほど。真っ直ぐしか見えていないお嬢様との相性は完璧ですね」
私は懐から、新商品の『精神安定ハーブティー』を差し出す。
「グレン様、こちらはお守りです。何かが破壊された時は、これを飲んで落ち着いてください」
「……君の優しさが染みるよ。どうせ有料だろうが」
「私のことを、深くご理解いただけているようで何よりです」
チャリン。
今朝の売上も上々だ。
◇
午後。第一馬場。
そこにいたのは、漆黒の毛並みを持つ大きな馬だった。
サラブレッドのような細身の美しさはない。鍛え上げられた太い脚と、傷跡の残る顔。
周囲の令嬢たちが遠巻きにする中、お嬢様だけは恍惚の表情を浮かべていた。
「素晴らしいわ! この一切の媚びを持たない、鋼のような威圧感! この馬こそ、わたくしの重すぎる愛を乗せるにふさわしい器ね!」
お嬢様が恐れずに鼻先を撫でると、将軍は「ブモォ……」と低い鼻息を漏らした。
一方、エレノア嬢は、馬の筋肉に釘付けだった。
「見て、アメリア! あの大殿筋とハムストリングス! あれぞ、大地を蹴り砕く本物の筋肉ですわ!」
「エレノア様、後ろに立つと蹴られますので、ご注意ください」
本日の課題は『障害物飛越』。
コース上に設置された木製の柵を、優雅に飛び越えるというものだ。
講師の元騎士である、サー・ギャロップが、緊張した面持ちで旗を上げる。
「では、ロザリア様。スタート位置へ。くれぐれも淑女らしく、軽やかに飛んでください」
お嬢様が颯爽と跨る。
その背筋は真っ直ぐで、手綱を握る目には一切の迷いがない。
「行くわよ、将軍! クロード様の元へ、揺るがずに進むのよ!」
将軍が重々しい足取りで歩み始めた。
目の前に、高さ1メートルほどの木製の柵が迫る。
「さあ、今です! 飛んでください!」
講師が指示を出す。
けれど、お嬢様は手綱を引かない。将軍もまた、飛ぶ姿勢を見せない。
お嬢様が柵の前で馬をピタリと止めると、顎で横に立つ私を指し示した。
「アメリア、こんな柵を越えれば、馬が上下に揺れてわたくしのドレスが乱れるわ。ただちに、どかしなさい」
「承知いたしました」
私は手袋をはめ直し、コース上の木製の柵を持ち上げ、端へ撤去していく。
平坦になった道を、お嬢様はジャンプをすることなく、極めて優雅に、そして傲慢に歩き去っていく。
「なっ……!? な、何をしているのです!?」
講師のサー・ギャロップが悲鳴を上げた。
「障害物を飛ばずにメイドに撤去させるとは、乗馬の試験をなんだと思っているのです!? そのような王侯貴族の散歩のような真似など、野蛮極まりない! 減点です!」
激怒する講師。
私は柵を片付けた手をパンパンと払い、静かに講師の前に進み出る。
「お待ちください、サー。これはただの散歩ではございません」
「アメリア君、君はメイドを使役して道を空けさせることが、乗馬と言うのか!?」
「これは『絶対王政のデモンストレーション』なのです」
私は真顔で、何もない平坦なコースを指差す。
「障害物を自ら飛び越えるのは、確かに運動神経の証明でしょう。ですが、王族が障害を避けるために自ら頭を下げ、上下に揺さぶられるなどあってはならないのです。真の王者たるもの、いかなる時も視線を下げず、揺るがずに直進する。障害の側が平伏し、道を空けるのが当然の理なのです」
講師がポカンとする。
「障害の側が道を空ける……?」
「はい、ご覧ください。主人は一度の動揺も見せず、ただ真っ直ぐにゴールを見据えて進まれました。これぞ、自らの権威をもって周囲の環境そのものを屈服させる、王族のパレードの極致。温室育ちの乗馬術では決して学べない、帝王学の体現でございます」
強引なすり替えだが、元騎士である講師の心には『絶対王政』や『威信の誇示』という言葉が刺さるはずだ。
「帝王学……威信の誇示……。自らが避けるのではなく、環境を王の道に合わせて作り変えるか……」
講師は呆然としながらも手を顎に当て、考え始めた。
そこへ、エレノア嬢が完璧なタイミングで援護射撃に入る。
「そうですわ! サー、お気付きになりませんでしたの? あの馬を任意の場所で停止させる圧倒的な支配力! 無駄な飛躍というカロリー消費を完全に抑え、馬の体力を極限まで温存する完璧なエネルギーマネジメントですわ!」
エレノア嬢の解説は、軍事的な長期戦の観点から極めて論理的だった。
これには講師もハッと息を呑んだ。
「確かに、一朝一夕で歴戦の軍馬をあれほど従順に停止させる支配力は、並の騎手ではない! 無用な疲労を避け、メイドの機動力を戦術に組み込んだ完璧な采配と言えるか!」
講師の目が、怒りから畏敬へと変わっていく。
「評価は、Sだ! ロザリア様、貴女の揺るぎない威厳と兵站管理、実に見事であった!」
講師が敬礼をする。
お嬢様は「ふふん、当たり前よ!」と胸を張る。
本人はただ飛べないだけで、私を顎で使っただけだが、結果オーライだ。
◇
放課後。
私はグレン様の執務室で、本日の報告と、一枚の紙を提出していた。
「……見事な手腕だ、アメリア。君とエレノア嬢の連携があれば、職務怠慢すらも帝王学と言いくるめることが可能だな」
「お褒めにあずかり光栄です」
「だが、これは何だ?」
グレン様が、机の上に置かれた『障害物撤去作業における労働対価請求書』を見て、こめかみを押さえた。
「私が馬場で木柵を撤去した肉体労働の特別手当です。王室の訓練経費で落ちますか?」
「落ちるわけがないだろう……。王室の予算は、君の小遣いではないんだぞ」
グレン様が、私の朝売ったハーブティーを震える手で啜る。
その背中には、管理職の深い悲哀が漂っていた。
「安心してください。サザランド公爵家宛ての請求書も作ってあります。二重請求ではありませんが、グレン様の自腹は回避できます」
「……君は本当に有能で、やはり恐ろしいメイドだ」
グレン様が安堵の息を吐き、ソファに深く沈み込んだ。
私は着実に増えていく老後資金の計算をしながら、明日のスケジュールを確認する。
明日は『歴史』の授業。
お嬢様の歪んだ愛のフィルターを通せば、過去の偉人たちも無事では済まないだろう。




