第十七話 想い人に贈る焼き菓子
翌朝。
バルコニー会議に現れたグレン様は、今生の別れのような顔をしていた。
「……おはよう、アメリア」
「おはようございます。今朝は一段と顔色が悪いですね。まるで処刑台に向かう囚人のようです」
「あながち間違いではない。今日の午後は『菓子作り』の実習だ。そして私は、その『試食係』を命じられているのだ」
グレン様が胃のあたりを押さえて呻く。
この学園の料理実習は、令嬢たちが初めて厨房に立つ場でもある。
砂糖と塩を間違える程度なら可愛いものだが、愛と称して、『謎の粉末を混入する』ケースが後を絶たないらしい。
「ロザリア嬢は何を作る予定だ?」
「『殿下のハートを射止める・愛の媚薬入りフォンダンショコラ』のようです」
「……媚薬だと? 毒物の持ち込みは禁止のはずだ」
「現地調達する気満々でしたので、私が裏庭の怪しい草は、あらかじめ除草しておきました」
「それは助かる。だが、それでも不安だ……」
グレン様が震える手で、私に何かを手渡す。
分厚い封筒だ。
「これは?」
「『生命保険』の受取人を君にしておいた。私が死んだら、これで南の島へ行ってくれ」
「重いです。物理的にも精神的にも」
私は封筒を突き返……さずに、懐にしまった。
万が一の時は、私が全力で蘇生措置を行いますのでご安心を。
◇
午後。
調理室は甘い香りと、焦げ臭い匂いが入り混じった空間となっていた。
本日の課題は、『想い人に贈る焼き菓子』。
お嬢様は真剣な眼差しでボウルの中身を撹拌している。
その中身は禍々しい紫色だ。
「見てなさい、アメリア。これぞ、サザランド家に伝わる……わけではないけれど、私が独自に開発した『絶対服従・ラブ・チョコレート』よ!」
「お嬢様、色が毒沼です。カカオの含有率を無視していませんか?」
「隠し味に裏庭で捕まえたマムシの粉末を入れただけよ!」
「没収です」
私はお嬢様の手から怪しい小瓶を取り上げ、窓の外へ放り投げた。
「あっ!? 私の精力剤が!」
「殿下はお元気です。必要ありません。普通のチョコを作ってください」
私が監視を強めていると、背後から視線を感じた。
振り返ると、エレノア嬢がモジモジと立っている。
手には可愛らしいラッピング袋。
エプロン姿が似合っているが、その頬はやけに赤い。
「……ア、アメリア」
「はい、エレノア様。何かご用でしょうか? オーブンの火加減でしたら、180度がベストでございます」
「ち、違うの。これ……受け取ってくださる?」
彼女が差し出したのは、無骨なほど大きいクッキーだった。
昨日の今日だ。まさか、本当に?
「私にですか?」
「ええ、昨日の話を聞いて、私なりに考えましたの。貴女のような……その、強靭な肉体を維持するには、普通のお菓子では不十分かと思って」
「はあ……」
「その、だから、プロテイン……いえ、『大豆の粉』と『鶏のササミ』を練り込んだ、特製マッスル・クッキーですわ!」
斜め上の努力だ。
どうやら彼女の中で、私は『筋肉の化身』として崇められているらしい。
ササミ入りクッキー。味の想像はつかないが、その純粋な勘違いという名の好意は無下にはできない。
「光栄です。トレーニング後の栄養補給にさせていただきます」
「よ、よかった……! お口に合うか分かりませんが、愛(筋肉への敬意)は込めたので!」
エレノア嬢が花が咲いたような笑顔を見せる。
可愛い。もちろん、ご令嬢として。
その背後で、「バンッ!」と、お菓子作りにあってはならない大きな音が響いた。
お嬢様が、ボウルごとエレノア嬢のクッキーを叩き落としていたのだ。
「……だから、何、私のメイドに餌付けしてんのよ!」
お嬢様の目が据わっている。
手にはドロドロの紫色の物体が付着した泡立て器。
完全にホラー映画のワンシーンだ。
「ロザリア様!? 私の力作を叩きつけるなんて!」
「こんな物はどうだっていいのよ! アメリアは私のものよ! その汚らわしい筋肉増強剤で、私の大切なメイドをムキムキのマッチョにする気!? アメリアは今のままで十分美しいのよ!」
「あ、あら!? 貴女こそ、その毒沼のような物体は何ですの!? それを食べさせられる殿下が不憫でなりませんわ!」
一触即発。
調理室の空気が凍りつく。
講師のマダム・ガトーが泡を吹いて倒れかけたその時、扉が開いた。
「そこまでだ……」
死相を浮かべたグレン様だった。
彼は私の顔を見て、目で「助けてくれ」と訴えている。
「試食の時間だ。ロザリア嬢、その紫色の物体を提出したまえ」
「ふん、光栄に思いなさい! これは殿下への予行演習よ!」
お嬢様が皿に盛られた『物体』を差し出す。
見た目はスライム。匂いは東の大陸の漢方薬。湯気がドクロの形に見えるのは気のせいか。
グレン様がスプーンを持ち、震える手で物体をすくう。
会場中が固唾を飲んで見守る中、彼は覚悟を決めて口に入れた。
3秒後、グレン様の白目が剥かれた。
体がビクンと跳ね、そのまま椅子から崩れ落ちそうになる。
私は瞬時に背後に回り込み、彼の体を支えながら、懐の『解毒剤(胃薬入り)』を口にねじ込み、皆に聞こえるように大声を上げる。
「素晴らしい!!」
教室中が「えっ?」と振り返る。
私は気絶寸前のグレン様の口を無理やり動かし、腹話術のように声を張り上げた。
「こ、これは……なんという衝撃! 口に入れた瞬間、脳天を突き抜けるような刺激! まるで雷に打たれたような……そう、『恋の稲妻』だ!」
「えっ? そ、そうなの?」
「はい! 甘いだけの恋など偽物! 真の愛とは、時に苦く、時に痺れ、全身を駆け巡る衝撃そのもの! 主人はこのチョコレートで、殿下への『電撃的な愛』を表現されたのです!」
私はグレン様の頬を叩いて意識を覚醒させる。
グレン様、合わせてください。死ぬ気で。
「あ、ああ……そうだ。実に刺激的な……愛の味だ……」
グレン様が涙目で親指を立てた。
生存確認、よし。
お嬢様がパァッと顔を輝かせる。
「やっぱりそうよね!? 私の愛が伝わったのね! 痺れるほどの愛が!」
「はい、物理的に痺れました」
講師のマダム・ガトーが、恐る恐る点数を告げる。
「独創性、および審査員へのインパクト……A評価とします。ただし、次は可食部を増やしてください」
◇
放課後。
保健室のベッドで横たわるグレン様の元へ、私は見舞いに訪れていた。
手には、エレノア嬢からもらった『ササミ入りクッキー』。
「生きていますか?」
「地獄の川が見えたぞ。……君の解毒剤がなければ、今頃向こう岸だ」
「お役に立てて光栄です。ところで、これはお口直しにどうぞ」
私はクッキーを差し出す。
「これは?」
「エレノア様からです。筋肉に良いそうですが、味は保証します。普通に美味しいですよ」
「……なぜ、エレノア嬢が筋肉を?」
「深い事情があります。詮索しないでください」
グレン様がクッキーを手に取る。
表情が、少しだけ和らいだようだ。
「普通の味がする。涙が出そうだ……」
「よかったですね。これで明日も戦えます」
私は窓の外を見る。
夕日に染まる校庭で、お嬢様がエレノア嬢を追い回している姿が見えた。
「待ちなさい! アメリアに渡したクッキー、吐き出させてやるわ!」
「嫌ですわ! あれは友情のプロテインですもの!」
平和だ。少なくとも、今日は死人は出なかった。
私はグレン様の枕元に請求書をそっと置き、部屋を出た。
明日の課題は『音楽』。
お嬢様の『呪いの歌声』が、学園に響き渡る予感がしていた。
耳栓を仕入れておかないと。
私のカバンの中身が、不審者じみていくのが悩みになった。
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