第十六話 令嬢からの求愛
翌朝。
定例のバルコニー会議にて、グレン様が妙に神妙な顔をしていた。
「……アメリア、君に一つ忠告がある」
「なんでしょう? 今日のおやつ(賄賂)の予算削減なら、断固として抗議しますが」
「違う。背後に気をつけろ、ということだ」
グレン様が指差したのは、中庭の方角。
そこには、物陰からこちらの部屋……いや、私をじっと見つめる、赤髪の縦ロールの人影があった。
「エレノア嬢だ。昨日の落馬事故以来、ずっと君を目で追っている」
「そうですか」
私は納得して頷いた。
「やはり、昨日の救助の際に『抱き方』が荒っぽかったのでしょうか。頚椎捻挫の慰謝料を請求される前触れですね。あるいは、私を産業スパイだと疑って監視しているのか」
「……君は本当に色気という回路が焼き切れているな」
グレン様が呆れたように溜息をつく。
意味が分からない。
だが、警戒レベルを引き上げる必要はありそうだ。
私は身を引き締めて、お嬢様を起こしに向かった。
◇
昼休み。
食堂へ向かう廊下で、その時は訪れた。
「お待ちになって」
行く手を阻むように現れたのは、伯爵令嬢エレノア・フォン・ベルジュ様。
いつもの取り巻きはおらず、単身だ。
その頬はほんのりと朱に染まり、扇子を持つ手が小刻みに震えている。
間違いない、怒っている。
昨日、メイド如きに助けられたという屈辱を晴らしに来たのだ。
お嬢様が即座に私の前に立ち塞がる。
「また私に喧嘩を売りに来たの? アメリアには指一本触れさせないわよ!」
「……どいてくださる? ロザリア様には用はありませんの」
エレノア嬢は、お嬢様を華麗にスルーし、私の目の前まで歩み寄った。
その距離、わずか50センチ。
甘い香水の匂いがする。
「……アメリアと言いましたわね?」
「はい、エレノア様。昨日の件でしたら、治療費の実費のみで示談にさせていただきたく思うのですが」
「これ、受け取って」
エレノア嬢が差し出してきたのは、可愛らしいリボンのかかった小箱だった。
「これはなんでしょう?」
「最高級のハンドクリームよ。……貴女の手、昨日は私の体を支えて……そ、その、痛かったでしょうから」
エレノア嬢がモジモジと上目遣いで私を見る。
その瞳が潤んでいる。
……ははん、読めた。
これは『買収』だ。
高級品で私を懐柔し、お嬢様の弱点を聞き出すか、あるいはヘッドハンティングする気だ。
ベルジュ家は資産家。私の老後資金に貢献してくれるなら、話くらいは聞いてもいいか。
「お気遣い、痛み入ります。では、ありがたく頂戴いたします」
「えっ! う、受け取ってくれるの!?」
「もちろんです。消耗品(経費)はいくらあっても困りませんから」
私が事務的に受け取ると、エレノア嬢はパァッと顔を輝かせる。
「そ、そう! それなら、今度の休日は空いていて? わたくし、お礼がしたいの。街へ出て美味しいケーキでもいかがかしら!?」
「デート……?」
返事をしたのは、私ではなく、お嬢様だった。
お嬢様が鬼の形相で、私とエレノア嬢の間に割って入る。
「ちょっと! さっきからなんなのよ、アンタ! 私のメイドを口説かないでくれる!? アメリアは私の所有物よ! 餌付け禁止なのよ!」
「あら、所有物だなんて人聞きが悪いですわ。私は純粋に命の恩人に感謝を伝えたいだけですから」
「嘘おっしゃい! その目は『獲物を狙う肉食獣』の目よ! クロード様を見る時の私と同じ目をしてるわ!」
お嬢様の野生の勘が、変なところで鋭く反応している。
エレノア嬢は扇子で顔を仰ぎながら、ぷいっと視線を逸らす。
「べ、別に、ただ、あんなに強く抱きしめられたのは初めてで……その、たくましい腕にときめいてしまっただけですわ」
「はあああぁぁ!? ときめくな! 私のメイドに発情するな! この変態!」
廊下がカオスになってきた。
どうやらエレノア嬢は、昨日の『お姫様抱っこ(空中キャッチ)』の効果で、私に対して『吊り橋効果』ならぬ『落下傘効果』を発動させてしまったらしい。
これは面倒だ。
色恋沙汰は金にならない上に、トラブルの元。
私はコホンと咳払いをして、翻訳を始める。
「失礼いたします。少々、認識の齟齬があるようです」
「齟齬ですって?」
「はい、エレノア様が感じておられる、その『ときめき』。それは恋慕の情ではありません」
「えっ? で、でも胸がドキドキして……」
「それは『恐怖のフラッシュバック』、あるいは『生物学的な生存本能』による錯覚です」
私が淡々と言い切ると、エレノア嬢がポカンとした。
「人間は圧倒的な『強者』に守られた時、安堵感と共に、その力への畏敬の念を抱きます。貴女様は、私の筋肉繊維が生み出す物理的な力に、種としての憧れを感じたに過ぎません」
「き、筋肉への憧れ……?」
「はい、つまり貴女様は、『私もあんな風に強くありたい』と、無意識に筋力トレーニングへの欲求を抱かれているのです」
無茶苦茶な理屈だ。
けれど、ここにはツッコミ役(グレン様)がいない。
つまり、言ったもの勝ちなのだ。
「そ、そうだったの……? この胸の高鳴りは恋ではなく、筋トレへの渇望……?」
エレノア嬢が胸に手を当てて困惑している。
素直なお嬢様だ。
洗脳しやすい。
「はい。ですので、デートの代わりに私が毎朝行っている『サザランド流・地獄のサーキットトレーニング』への参加をお勧めします」
「えっ、あ、それは……遠慮しておきますわ」
エレノア嬢の熱が、急速に冷めていくのが分かった。
よし、鎮火完了。
けれど、お嬢様だけは納得していないようだ。
「ふん、わたくしは騙されないわよ! アメリア、この女は油断ならないわ。今後、私の半径1メートル以内から離れることを禁じるわ!」
「承知いたしました。では、お花摘みの際の、お花畑までお供します」
「それは遠慮するわ!」
◇
放課後。
私はグレン様の執務室で、本日の報告を行った。
机の上には、エレノア嬢からもらった高級ハンドクリームが置かれている。
「……つまり、エレノア嬢の恋心を『筋トレへの渇望』と誤認させて撃退したと?」
「はい、これ以上の派閥争いは、私の業務に支障が出ますので」
「……君は人の心が無いのか?」
グレン様が呆れを通り越して、憐れむような目で私を見る。
「だが、エレノア嬢の目は本気だったぞ。あれは簡単には諦めない目だ」
「その時は追加料金で『護衛対象』を一名追加します」
「君らしいな……」
グレン様が苦笑する。
私はハンドクリームをポケットにしまい、窓の外を見た。
中庭では、エレノア嬢が一人、木に向かって正拳突きの真似事をしているのが見える。
どうやら、私の適当な嘘を真に受けて、本当に強くなろうとしているらしい。
なぜこうなった。
私の安らかな老後計画に、『令嬢からの求愛』という予期せぬノイズが混ざり込んだ。
お嬢様の『殿下へのストーカー愛』と、エレノア嬢の『私への勘違いの愛』。
この歪な三角関係……いや、四角関係の行方は、神のみぞ知る。
とりあえず、このハンドクリームは高く売れそうだ。
私は心の中で計算機を叩きながら、今日も嵐のような一日を終えるのであった。




