第十二話 愛しい人へ贈るハンカチ
昼下がり、学園の中庭にある木陰のベンチ。
そこは私の給油所であり、グレン様との闇取引の現場でもある。
「酷いな……」
グレン様が手元のハンカチを見て絶句している。
彼の手にあるのは、午前の詩の授業で私が没収したお嬢様の答案用紙の写しだ。
「『生き血』に『刺し殺す』か……。よくこれを芸術として認めさせたな。君は詐欺師の才能がある」
「お褒めにあずかり光栄です。ですが、これはまだ序の口です」
私は魔法瓶から紅茶を注ぎ、グレン様に差し出す。
彼は紅茶を一口飲んだあと、新たな報酬をテーブルに置いた。
今回は、王都の有名店のマカロンだ。
「午後からの授業は?」
「『刺繍』です。講師はマダム・ピケ。針の一刺しは魂の一刺しと説く完璧主義者です」
「……針か。ロザリア嬢に凶器を持たせるのか?」
「ご安心を。先端は丸めておきました」
グレン様が遠い目をした。
私たちは無言でマカロンを齧る。
甘さが脳に染み渡る。この一瞬の安らぎだけが、私の正気を繋ぎ止めている。
しばらくしてチャイムが鳴る。
戦闘開始の合図だ。
「行ってきます、グレン様」
「ああ。生きて帰ってくれ」
私たちは戦場へ向かう兵士のように頷き合い、それぞれの配置についた。
◇
午後の日差しが差し込む裁縫室。
令嬢たちは優雅に刺繍枠に向かい、針を進めている。
課題は『愛しい人へ贈るハンカチ』。
お嬢様は鬼のような形相で針を刺していた。
ザシュッ、ザシュッ。
布を縫う音ではない。何かを仕留める音だ。
「見てなさい、アメリア。このひと針ひと針に、クロード様への情熱を封じ込めるのよ! 私の愛で、殿下をがんじがらめにしてやるわ!」
使用する糸は、漆黒と深紅のみ。
お嬢様の美的感覚は、常に『ゴシックホラー』寄りだ。
一方、斜め前の席では、宿敵エレノア嬢が優雅に微笑んでいる。
「あら、ロザリア様。ずいぶんと力強い手つきですこと。刺繍というより、杭打ちのようですわね」
エレノア嬢の手元には、パステルカラーで描かれた可愛らしい小鳥と花の刺繍。
教科書通りの完璧な仕上がりだ。
「ふん、軟弱な色ね。愛とはもっと血肉湧き踊るものよ」
お嬢様は鼻で笑い、最後の仕上げに入る。
「できたわ! タイトルは、『私の愛するクロード様』よ!」
お嬢様がバッと刺繍枠を掲げる。
その瞬間、周囲の令嬢たちが「ひぃっ!?」と悲鳴を上げて後ずさる。
マダム・ピケが、眼鏡をずり落ちさせながら凍りついた。
白いハンカチの中央に鎮座しているのは、黒い糸で縁取られた歪な輪郭。
その目は赤く充血し(深紅の糸)、口からは赤い液体(深紅の糸)が滴り落ちている。
どう見ても『呪いの仮面』か『断末魔の悪霊』だ。
「ロザリア様……」
マダム・ピケが震える指で指差す。
「こ、これは……いったい……?」
「クロード様ですわ! 私の脳内に焼き付いている、一番素敵な笑顔を再現しましたの!」
お嬢様の脳内フィルターはどうなっているのか。
エレノア嬢がここぞとばかりに扇子で口元を隠す。
「なんて恐ろしい! 殿下をあのような化け物として描くなんて、不敬極まりありませんわ! これは即刻、退学処分にすべきです!」
「なっ……!? 化け物ですって!? あんたの目は節穴ね!」
お嬢様が激昂し、手に持った針(凶器)を構える。
退学ルート一直線。
私は音もなくお嬢様の前に進み出る。
「皆様、お待ちください。見る角度が違います」
私は刺繍枠を手に取り、ゆっくりと掲げた。
「これは肖像画ではありません。『魔除け』なのです」
「……魔除け?」
マダム・ピケがポカンとする。
私は無視して畳みかける。
「古来より真の愛とは『愛する人を災厄から守る盾』となること。主人は、殿下に近付く悪意や病魔を威嚇し、追い払うための守護神としての殿下を表現されたのです」
私は赤い目の部分を指差す。
「この充血した目は、寝る間も惜しんで国民を見守る慈愛の眼差し。口元の赤い滴は民のために流した血と汗の結晶。つまり、これは殿下の高貴なる自己犠牲の精神を、抽象画として昇華させた最高傑作なのです!」
言い切った。
教室中がシンと静まり返る。
苦しかったか? いや、大丈夫のはずだ。
「な、なるほど……!」
最初に声を上げたのは、やはり単純……もとい純粋なマダム・ピケだった。
「ただ美しく描くだけが愛ではない。愛するがゆえに、その苦悩や犠牲までも受け入れ、守護の祈りを込める……。なんという深い愛! なんという前衛的な表現なのでしょうか!」
マダムが感動のあまりハンカチで目頭を押さえる。
周囲の生徒たちも「言われてみれば、神々しく見えてきたかも……」「深いわ……」とざわめき始める。
集団心理とは恐ろしいものだ。
「くっ……! またしても……!」
エレノア嬢が悔しげに唇を噛む。
お嬢様は「ふふん!」と胸を張っているが、本人は本気で笑顔だと思っているので、私のフォローの意味を理解していない。
「評価はAプラスです! このハンカチは芸術的価値が高いわ!」
マダムの絶賛を受け、授業は無事に終了した。
◇
放課後。
廊下で待ち構えていたグレン様に、私は成果物を見せている。
例の『呪いのハンカチ』である。
「アメリア……」
「はい」
「これを殿下に渡すつもりか? 呪殺されるぞ」
「いいえ。これは『危険物』として私が処理します。代わりに、私が夜なべして作った『普通のクマの刺繍』を提出しておきます」
グレン様が深く安堵の息を吐いた。
「君には助けられる。だが、いつまで持つか……」
「ご心配なく。在庫のマカロンが尽きるまでは戦えます」
私はハンカチを懐にしまい、グレン様に一礼する。
「それより、グレン様。お嬢様の次の課題は『ダンス』です。パートナーが必要なのですが」
「……嫌な予感がする」
「お察しの通りです。お嬢様は『殿下以外の手には触れない』と宣言しておりまして」
「まさか……」
「はい。そのまさかです。明日の特別講師として、殿下の等身大マネキン……もしくは、殿下の仮面を被った『誰か』をご用意いただけますか?」
グレン様が頭を抱え、壁に手をつく。
その背中には管理職の悲哀が漂っていた。




