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【完結】【連載版】悪役令嬢のメイドAですが、お嬢様の婚約破棄を阻止するのも私の仕事です  作者: 天地サユウ


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第十一話 1限目、文学

 午前5時。

 『白百合の館』最上階、東端の部屋。

 

 コン、コン。

 乾いた音が、静寂な朝の空気を震わせる。


 まだ夜明け前の薄暗い中、私はベッドから音もなく起き上がり、バルコニーへと続く窓を開ける。

 隣室との境界にある石造りの手すり。そこに、湯気を立てるマグカップを持った人影があった。


「早いな、アメリア」

「おはようございます、グレン様こそ、寝ていないのでは?」


 隣室の住人、グレン・フォン・グラウフェルド卿である。

 彼は片眼鏡の位置を直し、死んだ魚のような目で私を見た後、ため息交じりに口を開く。


「昨夜、ロザリア嬢が提出した『交換日記』という名の『殿下への誓約書(全50枚)』を検閲していたんだ。……相変わらず内容は凄まじかった。『愛の火刑』だの『血の盟約』だの、三流の怪奇小説の方がまだ可愛げがある」

「お疲れ様です。焚き火の燃料にはなりましたか?」

「ああ。おかげで暖炉はよく燃えたよ」


 私たちはバルコニーの手すり越しに、無言でマグカップを掲げ合う。

 『乾杯』ではない。『生存確認』だ。

 これが、ここ数日の私たちの日課。

 壁一枚隔てた隣人同士、こうして朝一番に作戦会議と愚痴の吐き出しを行うのだ。


 端から見れば、朝霧の中で語り合う男女というロマンチックな構図かもしれないが、交わされる会話は色気ゼロの業務連絡だ。


「本日の予定だ。1限目は『文学』。講師はマダム・スカーレット。古風で厳格な貴婦人だ。『言葉遣いの乱れは心の乱れ』が口癖で、減点法の採点を好む」

「最悪の相性ですね。お嬢様の語彙力は『殺す』と『愛してる』の二極化ですから」

「頼むぞ。私の胃はそろそろ限界に近い」


 グレン様が切実な表情で、何かを差し出す。

 小さな包み紙だ。


「これは?」

「賄賂だ。王都で流行りの焼き菓子らしい。君の糖分補給用に使ってくれ」

「焼き菓子……」


 私の瞳が輝く。

 学園内の食事は質素そのもの。甘味など砂漠におけるオアシスより貴重だ。

 私は包みを受け取り、懐のポケットにしまうと、即答する。


「グレン様の胃の平穏は、私が死守します」

「ふっ……現金なやつめ。だが、そこがいい」


 グレン様が微かに笑う。

 朝日が彼の銀髪を照らし、不覚にも少しだけ「綺麗だな」と思ってしまった。

 いけない、これは睡眠不足による判断力の低下だ。


「何をしているの、アメリア?」


 背後から、寝ぼけ眼のお嬢様の声。

 私は瞬時に表情を引き締め、振り返る。


「おはようございます、お嬢様。野鳥の観察をしておりました」

「野鳥……? 隣の『眼鏡』と話していたように見えたけど?」

「気のせいです。あの方は野鳥の一種、『メガネフクロウ』です」

「何よ、それ」


 お嬢様は欠伸をしながら、窓の外を睨む。

 

「まあいいわ。今日こそ、この監獄で『首席』を取るための第一歩を踏み出すのよ! 見てなさい、私の才能を!」


 不安しかない宣言と共に、波乱の一日が始まった。


 ◇


 1限目、文学。

 階段教室には、色とりどりのドレスを着た令嬢たちが座っている。

 教壇に立つのは、グレン様の情報通り、眼鏡をかけた厳格そうな老婦人、マダム・スカーレットだ。

 そして教室の後方には、監視役としてグレン様が腕を組んで立っている。


「それでは皆様、本日の課題です」


 マダムが黒板に美しい文字で書く。

 『花と愛』。


「このテーマで即興の詩を詠んでいただきます。優雅で、心に響く、美しい言葉を選びなさい」


 教室がざわつく。

 即興詩。貴族の教養としては基本だが、センスが問われる難題。


 最初に指名されたのは、昨日の『赤髪巻き髪令嬢』こと、エレノア嬢だった。


「はい、先生! 私が!」


 彼女は自信満々に立ち上がり、扇子を広げる。


「『庭に咲く 白き百合の花 穢れなく 貴方様を待つ 無垢な乙女心』」


 普通だ。あまりに教科書通りで、加点も減点もない。

 だが、マダムは満足げに頷く。


「よろしい。清純さが伝わります。70点」

「ありがとうございますわ! オーホッホッ!」


 エレノア嬢が、お嬢様を見下して勝ち誇る。

 お嬢様のこめかみに青筋が浮かぶ。

 不味い。対抗心に火がついた。


「次、ロザリア・フォン・サザランド様」

「はい!」


 お嬢様が勢いよく立ち上がる。

 その瞳は爛々と輝き、自信に満ち溢れている。

 嫌な予感しかしない。

 私は教卓の横で待機し、いつでも介入できるよう『翻訳モード』に切り替える。


 後方のグレン様と視線が合う。彼は天を仰ぎ、祈るようなポーズを取っていた。

 そして、お嬢様が朗々と詠い上げる。


「『真紅の薔薇 生き血を吸いて 鮮やかに 寄りつく虫は 棘で刺し殺す』」


 ――シンと、教室の空気が凍りついた。

 小鳥のさえずりさえ止まった気がする。

 『生き血』『刺し殺す』。文学の授業で絶対に出てはいけない単語のオンパレード。

 マダム・スカーレットが、口をパクパクさせて震えている。

 

「な、なななんという不吉な……!」

「不吉ですって!? 私の愛の深さを表現しただけですわ!」


 本気で言っているところが恐ろしい。

 マダムが杖を振り上げた。


「0点です! 退出しなさい! これほど野蛮で、品のない詩など聞いたことがありません!」


 お嬢様が「なっ!?」と反論しようとしたその時、

 私がすぐさま割って入る。


「お待ちください、マダム。主人の詩は、古代語の隠喩を多用した、極めて高度な芸術作品です」

「……今のが芸術ですって?」


 マダムが怪訝な顔をする。

 私は黒板に歩み寄り、解説を始める。これはもはや『こじつけ』という名のプレゼンテーションだ。


「まず『生き血』。これは『生命力』の象徴です。愛する人のために自らの命さえ捧げる、献身的な情熱を意味します。そして『虫』とは『己の心の弱さ』。『棘で刺し殺す』とは、誘惑や弱さに打ち勝ち、ただ一人を愛し抜くという『貞節』の誓いなのです」


 私は一息に言い切り、お嬢様に微笑みかける。


「そうですね、お嬢様?」

「え? あ、そ、そうよ! 当たり前じゃない! 私の高尚な表現が理解できないなんて、まだまだね!」


 お嬢様が胸を張る。ナイス便乗だ。

 教室中が「え、そうなの?」「確かに深いかもしれないわ……」と、ざわめき始める。

 マダム・スカーレットも考え込むように顎に手を当てた。


「ふむ……命を捧げる献身、己の弱さを断つ貞節。なるほど、言葉の選び方は過激ですが、その裏にある思想は聖女の如き純粋さとも言えるかもしれませんね」


 ちょろい。いや、マダムが純粋すぎる。

 私は仕上げにかかる。


「いかがでしょう、マダム。表現の革新性、そして揺るぎない愛の哲学。これこそ、次世代の文学ではないでしょうか?」


 長い沈黙の後、マダムはゆっくりと頷いた。


「……90点。言葉の過激さは減点ですが、その独自性と哲学は評価に値します」

「やったわ! 見たか、金メッキ!」

「き、金メッキ!?」


 お嬢様がガッツポーズをし、エレノア嬢が悲鳴に似た声を上げる。

 教室の後方で、グレン様が親指を立てて『称賛』のサインを送っていた。

 私は小さく会釈で返す。

 一件落着。いや、待てよ。

 私のポケットの中で、グレン様からもらった焼き菓子が、カサリと音を立てた。

 そうか、これが報酬分の仕事か。だとしたら、あまりに割に合わない。


 私の寿命と精神力を削る対価が、クッキー一枚とは後で追加請求ですね。


 私は心の中で請求書のドラフトを作成しながら、得意げなお嬢様の背中を見つめた。

 この調子で、あと2年。

 私の胃に穴が開くのが先か、お嬢様が首席を取るのが先か。


 それは正気と忍耐を賭けた、限界への挑戦の始まりだった。

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