第十話 王立淑女アカデミー
王立淑女アカデミー。
王都の北、広大な森の中に隔離されたその場所は、国中の高貴な令嬢たちが『完璧な淑女』として生まれ変わるための教育機関である。
高い塀。堅牢な鉄門。そして、外部との接触を厳しく制限する鉄の掟。
世間はここを『花園』と呼ぶが、実のところ『要塞』なのである。
馬車を降りたロザリアお嬢様は、目の前にそびえ立つ重厚な校舎を見上げた。
「見てなさい! 最短記録でこの監獄を制圧し、クロード様への道を切り拓いてみせるわ!」
高らかに宣言したお嬢様の瞳に宿っているのは、恐怖でも不安でもない。
愛する人に会えない障害を排除しようとする、純粋な『殺意』と『闘志』だ。
「お嬢様、制圧してはいけません。ここで習得するのは『教養』と『マナー』です」
「ふん、同じことよ。邪魔するものは全て排除するわ!」
お嬢様はドレスの裾を翻し、戦場へ向かう将軍のような足取りで門へと歩き出す。
私はその後ろ姿を見ながら、手荷物の確認を行う。
『クロード殿下等身大抱き枕』と『愛の媚薬調合セット』、さらに『ライバル抹殺計画書』。
これらは全て、屋敷を出る前に私が没収・焼却済みだ。
現在のお嬢様は、狂気以外の武器を持たない丸腰の状態。
だからこそ、私のサポートが不可欠になる。
校門の前には、入寮の手続きを行う職員たちの姿があった。
その横に、見慣れた銀髪の青年が立っている。
グレン・フォン・グラウフェルド卿。
殿下の補佐官であり、今回のお嬢様の学園入りを主導した張本人だ。
彼は私たちが近付くと、無表情のまま片眼鏡の位置を直す。
「時間通りだな」
「ごきげんよう、グレン卿。まさかご自身で出迎えなさるとは」
「殿下から『ロザリアが寂しがっていないか見てきてくれ』と頼まれたのと、君に渡すものがあったからだ」
グレン卿は一冊の分厚い手帳と、小さな封筒を私に差し出す。
「これは?」
「その手帳は『特別校則』だ。ロザリア嬢に関しては、一般生徒よりも厳しい行動制限が課される。熟読しておいてくれ」
そして彼は声を潜め、封筒を私のエプロンのポケットに滑り込ませた。
指先の感触と重みで、中身が硬貨であることはすぐに分かる。
「口止め料ですか?」
「危険手当の前払いだ。君には特例として『聴講生』の資格を与えてある。授業中もロザリア嬢の隣に付き添い、暴発を未然に防いでくれ。これも、君の平穏な老後のためだ」
私の事情を完全に把握されている。
だが、悪い話ではない。
私は封筒の厚みを確認し、小さく頷く。
「承知いたしました。ビジネスとして完璧に遂行します」
「頼む。君だけが頼みの綱だ」
グレン卿の目には切実な疲労と、同業者への信頼が滲んでいる。
その時、前を歩いていたお嬢様が振り返り、眉を吊り上げた。
「アメリア、何をしているのよ!? 敵と馴れ合ってないで、早く来なさい!」
「ただ今、参ります」
私はグレン卿に一礼し、お嬢様の後を追った。
◇
案内されたのは、特別寮『白百合の館』の最上階。
広々とした一室だが、窓には鉄格子のような装飾が施され、外界とは完全に遮断されている。
部屋に入るなり、お嬢様は書き物机に突っ伏した。
「クロード様に会いたいな……」
先ほどの闘志はどこへやら。
愛する人と引き離された事実が、ボディブローのように効いてきたらしい。
「ここには殿下の肖像画も、殿下の匂いのするハンカチもないわ。……息ができないの。窒息して死にそう」
「ご安心ください。こちらを用意しています」
私は鞄から一冊の新しいノートを取り出し、机の上に置く。
「これは?」
「交換日記です。グレン卿との交渉により、週に一度、検閲付きにはなりますが、殿下との手紙のやり取りが許可されました」
その言葉を聞いた瞬間、お嬢様がガバッと顔を上げる。
瞳に光が戻ったようだ。
「手紙!? クロード様と!?」
「はい。ただし検閲付きです。過激な表現や殺害予告、ポエムの暴走が見られた場合は、その場で破棄されます」
「ふふん、上等よ! 私の溢れる愛を検閲ごときで止められると思って!?」
お嬢様はすぐさま羽根ペンを手に取り、猛烈な勢いで書き始めた。
その背中からは、執念のようなオーラが立ち昇っている。
とりあえず、初日のメンタル崩壊は防げることができた。
その時、部屋の扉がノックもなしに開かれる。
「あらあら、ここが『狂犬』の檻かしら?」
入ってきたのは、豪奢なドレスを纏った三人の令嬢たち。
中央に立つ、巻き髪の赤髪の令嬢が、扇子で口元を隠しながら冷ややかな視線を送ってくる。
エレノア・フォン・ベルジュ。
伯爵家の令嬢であり、派閥争いの中心人物。
お嬢様の手が止まる。
ゆっくりと振り返ったその顔は、無表情だった。
「……誰かしら? 私の神聖な執筆時間を邪魔する羽虫は」
「ベルジュ家のエレノアとは私のことよ。挨拶に来て差し上げたの。サザランド公爵家の令嬢ともあろう方が、殿下に不敬を働いてここに送られたと聞いて、どんな野蛮な方かとお顔を拝見しにね」
典型的な挑発。
けれど、今のお嬢様は『殿下への手紙』という最重要ミッションの途中だ。
その集中を乱された怒りは、沸点を超えている。
「消えなさい。私の視界に殿下以外の不純物を入れたくないの。その血に染まったような赤色の髪を、全部むしり取って筆にしてやろうか?」
空気が凍りつく。
殺気だ。比喩表現ではなく、本気で実行しかねない目がそこにある。
エレノア嬢が「ひっ」と息を呑み、後ずさった。
不味い。初日から傷害沙汰は退学だ。
私は手帳を片手に、素早く二人の間に割って入る。
「失礼いたします、エレノア様」
私は完璧なカーテシーと共に、涼やかな声を響かせた。
「主人は、貴女様の髪の美しさに深く感銘を受けております。『まるで薔薇の花弁のようだ。そのあまりの美しさに、思わず手に取って芸術作品(筆)として永遠に残したいという衝動に駆られる』と、申しております」
――静寂。
エレノア嬢がポカンと口を開け、次いで頬を染めた。
「……ま、まあ、ずいぶんと熱烈な表現ですこと」
「はい。主人は芸術家肌なもので、感動すると表現が少々過激になるのです。どうぞ、その美しさを損なわぬよう、お引き取りいただけますか? 主人が感動のあまり興奮して倒れてしまいますので」
私が微笑むと、エレノア嬢は「そう……なら、仕方ありませんわね」と扇子を閉じ、そそくさと部屋を出て行った。
嵐が去る。
私は大きく息を吐き、お嬢様に向き直った。
「羽虫は追い払いました。執筆の続きをどうぞ」
「邪魔が入ったわ」
お嬢様は椅子に座り直すと、再び何かに取り憑かれたようにペンを走らせ始めた。
その様子を見守りながら、私は懐中時計を確認する。
入学初日、経過時間3時間。
すでに私の精神力は削られ始めている。
窓の外には、美しい夕暮れ。
だが私には、ここがやはり戦場にしか見えない。
私はポケットの中の金貨の重みを確かめ、冷めた紅茶を淹れ直すためにワゴンへと向かった。
お読みいただきありがとうございます!
ぜひ、ブックマークと、【⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎】の評価を、よろしくお願いします!




