第一話 悪役令嬢のメイドA
新作連載です。
よろしくお願いします。
タイム・イズ・マネー。
古代の賢者が残した言葉であり、私、アメリア・オーシャンの絶対的な行動指針でもある。
サザランド公爵邸、東棟の廊下。
時刻は午前4時15分。夜明け前の静寂が支配する中、主たちは夢を見ている時間だ。
目当ては、この後に公爵家から支給される『早朝特別手当』と、無事故無違反で達成される『管理ボーナス』。
実家の借金返済と、私の安らかな老後、そして南の島での不労所得ライフのための重要資金だ。
だが、私の完璧な収支計画は、今まさに廊下の向こうから走ってくる『赤字報告』によって、崩壊の危機に瀕していた。
「エルシーさん、現状を簡潔に報告してください」
私の静かな声に、同僚であるメイドBのエルシーさんが青ざめた顔で答える。
「はいです! 午前4時15分、東棟3階、ロザリアお嬢様の寝室にて異常検知! ベッドはもぬけの殻! バルコニーの窓が開放状態! 机の上には……『探さないでください』という書き置きがありましたです!」
エルシーは肩で息をしながら、今にも泣き出しそうに、私を見つめる。
「はあ……またですか」
私は懐中時計を確認し、小さく呟いた。
私の日常にあるのは、19歳の娘が夢見るような『ときめき』ではない。
主であるお嬢様が巻き起こす、トラブルという名の『未払い残業』との戦いだけだ。
「想定内です。昨夜、『クロード殿下が婚約者を探す』という噂を聞いて、鼻息を荒くしていましたから」
私は手帳を開き、淡々と指示を飛ばす。
「エルシーさんは、他のメイドたちに動揺を悟らせないように朝食の準備を。私がお嬢様を回収します」
廊下を回れば52秒。
だが、窓からなら3秒。
私は窓枠に足をかけ、躊躇なく三階から庭へと飛び降りた。
重力に逆らうようにスカートがふわりと舞い、音もなく芝生に着地する。ヒールの先すら汚さない、クリーニング代を浮かすための完璧な着地だ。
世間一般において『メイドA』とは、名前すらない通行人を指す記号でしかないだろう。ただ家事をこなすだけの有象無象。
だが、この屋敷における『A』の定義は異なる。
それは、主人が撒き散らす火の粉をボヤのうちに鎮火し、家名の失墜を防ぐ『危機管理』のスペシャリストなのだ。
◇
屋敷の裏手に広がる森の中。
獣道のような小道を、巨大なトランクを引きずりながら歩く人影があった。
流れるような青髪の縦ロールに、フリルのついた不必要なまでに豪華な青いドレス。
我が主、公爵令嬢ロザリア・フォン・サザランド様である。
「……ったく、重いわね! このポンコツ鞄! やっぱり『クロード殿下への愛のポエム(全十巻)』が嵩張っているのかしら……」
お嬢様がトランクをヒールの先で蹴り飛ばし、悪態をついていた。そのポエム集はハードカバーの特装版だ。重いのは当たり前である。
お嬢様の背後に音もなく接近した私は、手帳を開きながら声をかける。
「おはようございます、お嬢様。本日のドレスは『隠密行動』というTPOに著しく不適合ですね」
「ひいっ……!?」
お嬢様が猫のように飛び上がり、振り返る。
全身の毛が逆立ったような、見事な反応速度だ。
私と目が合った瞬間、吊り気味の美しい瞳が、「げっ、アメリア」と如実に物語っている。
だが、すぐに気を取り直したのか、お嬢様は扇子を開いて口元を隠した。
その指先が小刻みに震えているのを気付いていないようだが。
「あら、アメリアじゃない。こんな朝早くからご苦労なことね。でも、残念ながら貴女の出る幕はなくてよ」
「と言いますと?」
「わたくしは今、愛の巡礼……そう、クロード殿下の元へ向かうところなの! 止めようとしたって無駄よ! わたくしの愛は運命さえ超えるもの!」
高らかに宣言する、お嬢様。
私は無表情のまま事実を突きつける。
「殿下への巡礼ですか? いえ、それはただの『家出』と言います。それと案内役の吟遊詩人リュカ氏のことでお話が」
「ふふん、リュカは使える男よ。『僕のコネで殿下に会わせてあげるさ』って! きっと、わたくしの殿下への愛に感動してくれたのよ!」
鼻息荒いお嬢様の目の前に、私は一枚の羊皮紙を差し出す。
「お言葉ですが、彼が感動したのは、お嬢様の『財布の中身』です」
「……え?」
「これはリュカ氏の信用調査書です。借金まみれの詐欺師で、昨夜の酒場で『はっはっは! チョロい金ヅルを捕まえたぞ。これで借金チャラだ』と言っています」
「か、金ヅル……?」
お嬢様の動きがピタリと止まると、扇子がバキリとへし折れる音が森に響いた。
「あんのド三流詩人がぁぁぁ! わたくしの純愛をダシにするなんて、万死に値するわぁぁぁっ!!」
「目が覚めたようで何よりです」
「……やっと殿下にお会いできると思ったのに! 畜生ぉぉぉ!」
お嬢様は地団駄を踏んで喚き散らす。
口は悪いし、性格もキツい。
だが、行動原理の全てが、ここ、アルトリア王国の第一王子クロード殿下で構成されているのが、この主の厄介なところであり、愛すべきところでもある。
「理解されたなら帰りますよ。7時からドレスの仮縫い、10時からはマナー講師との面談です」
「ふん、言われなくても帰るわよ! ……でも、足が痛いから歩けないわ」
お嬢様はチラリと私を見て、両手を広げる。
「……アメリア、お、おぶりなさい! わたくしを運べる光栄に浴びさせてあげるわ!」
「ああ、はいはい。光栄で涙が出そうですよ」
私は小さく溜息をつき、お嬢様を背負う。
華美なドレスの下の身体は、拍子抜けするほど軽い。
耳元で、お嬢様がぼそりと呟く。
「クロード様に会いたかったな……」
「すぐに会えますよ。そのためにも、今は家に帰って淑女の修行です」
文句ばかり言いながらも、私の背中で安心したように力を抜くお嬢様。
全く手のかかる主だ。
何せ、私の青春は、この一途すぎるお嬢様の後始末に費やされているのだから。
(ああ……早く引退して、南の島で悠々自適ライフを過ごしたいな)
お読みいただき、ありがとうございます。
こちら【短編】の連載版となります。
【短編】https://ncode.syosetu.com/n6746lp/
毎日投稿ですが、ホイホイ投げて完結まで走ります。
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