断罪された悪役令嬢ですが、聖女が私を逃がしてくれました
――ここが、私の処刑場。
王城の大広間。赤い絨毯の先で、私は膝をつかされていた。
貴族令嬢アリシア・フォン・グランディール。
王太子の婚約者にして、悪役令嬢。
「アリシア。貴様は聖女リリアに嫉妬し、嫌がらせを重ね、ついには毒を盛ったな」
玉座から響く王太子レオンの声は、氷のように冷たい。
その隣に立つ少女――純白のローブを纏った聖女リリアは、今にも泣きそうな顔で俯いていた。
ああ、やっぱり。
この世界、乙女ゲーム『聖光の乙女と五つの誓い』の結末通りだ。
(……毒なんて、盛ってないんだけど)
けれど言い訳は無意味。
悪役令嬢アリシアは、聖女をいじめ、断罪され、処刑される運命。
「異議はないな」
「――ございません」
私は微笑んで答えた。
どうせ死ぬなら、みっともなく足掻くのはやめようと決めていたから。
その瞬間だった。
「待ってください!!」
澄んだ声が、大広間に響いた。
聖女リリアが、前に出ていた。
「アリシア様は……その、私をいじめてなんていません!」
場が、凍りつく。
「むしろ、助けてくださいました。毒も……私が誤って飲んだだけで……」
え?
思わず顔を上げると、リリアは真っ直ぐに私を見て、小さく笑った。
「だから……この断罪は、間違いです」
王太子が眉をひそめる。
ざわめく貴族たち。
「リリア、聖女として偽りは許されぬぞ」
「偽りません。私は……アリシア様に救われました」
胸が、ぎゅっと締め付けられた。
――そんなイベント、原作にない。
「それに」
リリアは、ぐっと拳を握りしめる。
「この国の聖女の奇跡……実は、私ひとりの力じゃないんです」
「なに?」
「奇跡を安定させていた魔力制御……全部、アリシア様でした」
どよめきが、爆発する。
「アリシア様は……私を裏で支えてくれていました。誰にも知られずに」
……ちょっと待って。
それ、私が前世知識で「聖女の暴走を防がないと国が滅ぶ」って知ってたから調整してただけなんだけど。
「だから」
リリアは私の前に立ち、庇うように広げた。
「彼女を処刑するなら、私も聖女をやめます」
王城が、完全に沈黙した。
王太子の顔が青ざめる。
聖女を失うということは、国家の崩壊だ。
「……アリシア」
低く唸る声。
「お前は、何者だ」
私は、ゆっくりと立ち上がった。
ここまでお膳立てされたのだ。最高にかっこつけるしかない。
「ただの悪役令嬢、ですわ」
そして、聖女にだけ聞こえる声で囁く。
「――でも、逃げるなら今よ」
リリアは一瞬目を見開き、次の瞬間、悪戯っぽく笑った。
「はい、先輩」
光が溢れ、視界が白く染まる。
次に目を開けたとき、そこは王都の外れだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……これから、どうしましょう?」
聖女が、不安そうに尋ねる。
私はフードを被り、口元を吊り上げた。
「決まってるじゃない」
「悪役令嬢と聖女の――」
「世界をひっくり返す、逃亡生活よ」
原作?
運命?
そんなもの、聖女ごと全部、ぶち壊してあげる。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
数日後、王都から離れた森の中。
夜風が冷たく、焚き火の火花がぱちぱちと弾けていた。
「……本当に、よかったんでしょうか」
リリアがマントを握りしめ、小さく呟く。
「王太子を敵に回して、聖女の立場も捨てて……」
「今さら後悔?」
私は枝を一本放り込みながら言った。
「後悔してるなら、さっき引き返せばよかったのよ」
「……いいえ」
即答だった。
「私、ずっと怖かったんです」
焚き火の光に照らされたリリアの顔は、聖女として見せていた“清らかな微笑み”とは違っていた。
「奇跡を起こすたびに、身体が壊れていくのが分かって」
やっぱり。
原作では語られなかったが、聖女の力は代償が大きい。
私が魔力制御をしていなければ、彼女はとっくに――。
「アリシア様がいなかったら、私はもう……」
「やめなさい」
私は手を振って遮る。
「感謝なんていらない。私は自分のためにやっただけ」
国が滅ぶ未来を知っていたから。
そして、無駄死にしたくなかったから。
「……それでも」
リリアは、そっと私の手を握った。
「私は、アリシア様の味方です」
聖女の手は、思ったより温かい。
「一つ、言っておくわ」
私はその手を振りほどかずに言った。
「これから先、楽な道は一切ない。追手も来る。あなたはもう守られる聖女じゃない」
「はい」
「下手をすれば、悪役令嬢以上に嫌われるわよ?」
「それでも」
リリアは笑った。
「一人で檻に入れられるより、二人で逃げる方がいいです」
……本当に、変な子。
「じゃあ、まずは目的地ね」
私は地図を広げる。
「向かうのは北。聖女でも王でも手を出せない街」
「……そんな場所、あるんですか?」
「ええ」
指で示した先は、地図の端。
「《無法都市ヴァルグラント》」
原作では中盤の修羅場。
罪人、裏社会、異端者が集う場所。
「そこで情報と金を集める。その間に――」
私はリリアを見る。
「あなたの力の“正体”を暴く」
リリアの瞳が、わずかに揺れた。
「……やっぱり、気づいてましたか」
「ええ」
聖女の奇跡は、純粋な祝福じゃない。
何かが混じっている。
「怖い?」
「いいえ」
リリアは首を振った。
「だって、それでもアリシア様は私を切り捨てないでしょう?」
……完全に読まれている。
「勘違いしないで」
私は立ち上がり、背を向けた。
「あなたを守るのは、あなたが私の生存ルートだからよ」
「ふふ」
背後で、楽しそうな笑い声。
「では、悪役令嬢様」
「何?」
「これからよろしくお願いしますね。――共犯者として」
月明かりの下、聖女は、少しだけ聖女らしくない笑みを浮かべていた。
その笑みを見た瞬間、私は確信する。
(ああ……この子、ただの被害者じゃない)
悪役令嬢と聖女。
二人揃って、この世界の想定外。
――物語は、ようやく本編に入った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
聖女が消えた。
その事実は、じわじわと――しかし確実に、王城を蝕んでいた。
玉座の間。
王太子レオンは、苛立ちを隠そうともせず玉座の肘掛けを叩いた。
「……まだ、奇跡は戻らんのか」
「はっ……それが……」
神官長が冷や汗を流しながら頭を下げる。
「聖女リリア様不在の影響か、祝福儀式は全て失敗。治癒も、浄化も……以前の三割以下に落ちております」
「三割だと?」
王太子の声が、裏返った。
飢饉対策の豊穣祈願。
疫病を防ぐ浄化。
国境の魔獣結界。
そのすべてが、聖女の奇跡に依存していた。
「……なぜだ」
レオンは歯を食いしばる。
「聖女は国の宝だ。多少の我儘や情緒不安定など、管理すればよかったはずだ」
――管理。
その言葉に、重臣たちがわずかに目を伏せた。
「王太子殿下」
宰相が、慎重に口を開く。
「聖女リリア様の奇跡……実は、以前から不安定さが報告されておりました」
「……何?」
「奇跡の発動時、必ず補助的な魔力波形が観測されていたのです」
レオンの眉が動く。
「補助だと?」
「はい。聖女単独ではなく、誰かが制御していた可能性が――」
「そんな馬鹿な」
王太子は即座に否定した。
「聖女の力は神から与えられる純粋なものだ。他者の介入など、あり得ない」
だが。
「……いえ」
神官長が、震える声で続ける。
「記録を洗い直したところ……奇跡が安定していた時期、必ず同席していた人物が一人おります」
沈黙。
「誰だ」
神官長は、意を決して告げた。
「――アリシア・フォン・グランディール」
その名が出た瞬間、王太子の脳裏に、処刑場での光景が蘇る。
微笑んで断罪を受け入れた、あの女。
「……あの、女か」
思わず、拳を握りしめる。
「まさか……」
聖女を支えていたのが、嫉妬に狂った悪役令嬢だと?
「殿下」
宰相が、さらに追い打ちをかける。
「アリシア嬢が消えて以降、魔力循環の乱れも急激に悪化しております」
「…………」
「もし彼女が意図的に制御を行っていたとすれば――」
王太子は、言葉を遮った。
「……探せ」
低く、命じる。
「聖女と、アリシアを連れ戻せ」
「しかし……」
「説得でも、拘束でもいい」
レオンの目が、冷たく歪んだ。
「聖女は国家資産だ。逃亡など、許されるはずがない」
重臣たちが一斉に跪く。
「ははっ!」
だが、その場にいた誰一人として気づいていなかった。
――連れ戻すという判断こそが、
王太子レオンの、決定的な敗着であることを。
王城の外。
崩れかけた結界が、静かにひび割れていく。
そしてその頃。
無法都市へ向かう馬車の中で、
アリシアは小さくくしゃみをした。
「……誰か、私の噂でもしてるのかしら」
隣で、聖女リリアが無邪気に笑う。
「きっと、王太子殿下ですよ」
「なら、なおさら」
アリシアは、口元を吊り上げた。
「次に会うときは――立場、逆になってるでしょうね」
運命の歯車は、すでに、音を立てて回り始めていた。




