表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
封印されし魔女、四千年後の世界を歩く  作者: しまえび
服飾文化都市ノルト=ヴィレル

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/37

第9話:魔女と魔法織物

 扉の鈴が鳴り、小さく閉まる音が背後に消える。

 私は通りに出た。

 着慣れぬ藍の外套が、歩くたびに肩からふわりと揺れる。

 店を出たばかりの通りは、さほど人通りは多くなかった。

 けれどすれ違う人々の誰もが、軽くこちらへ目を向け、ほんの一瞬で視線を外していく。

 それは無遠慮な注目でもなく、値踏みでもない。

 ただ、服とその人とをひとつの景色として受け取った上での、自然な挨拶のようなまなざしだった。


(……装いひとつで、街にいる自分がこんなにも変わって感じられるなんて)


 自分が何者かを語るわけではない。

 けれど、何も語らなくても、今の姿がどこか自然に馴染んでいるような気がした。

 ローブのときとは違う。

 この服は、私が選んだ。

 だからなのかもしれない。


「……なるほど、選ぶというのは、こういうことですか」


 小さくそう呟いて、私は通りの石畳を進む。

 すぐに思い出したのは、先ほどの店員の言葉だった。


「装いは意思ですから。鏡に映る自分に、好きと言えるかどうかが、大事なんですよ」

 ──意思。

 生まれてこの方、誰かにそう言われたのは初めてだった。

 私は目を上げる。

 この街ノルト=ヴィレルには、布が風景に溶け込んでいた。

 家々の窓辺には結界織の薄布が揺れ、店先の天幕には魔法刺繍が施されている。

 遠くでは魔力風車が静かに回り、染色工房からはわずかに香草の匂いが漂ってきた。


(この街の人たちは、装いと共に生きているんですね)


 ただ防ぐ、飾る、という以上に──

 そこに暮らす人々が選んだ何かが、布地に込められている。

 私は足を止め、通りの角に掲げられた木製看板を見上げた。

 そこには「魔法織工房フラウ」と、小さく刻まれていた。


(……たしか、店員さんが話していたのは、この名前でしたね)


 織物職人たちが手作業で布を織る、老舗の工房。

 機械織りでは出せない気配が宿る、と昔聞いた言葉が頭の片隅に残っていた。

 私は扉に手をかける。


(装いだけでなく──その奥にある手や意志を、見てみたくなったのかもしれません)


 その理由を、私はまだ言葉にできなかった。

 けれど扉の向こうに、それがあるような気がした。

 扉を開けた瞬間、布と木のあたたかな匂いがふわりと迎えてくれた。

 整然と並ぶ織機の奥には、布製の小物が丁寧に並べられた棚があり、壁には色とりどりのショールやポーチがかけられている。

 店と工房が一体となった空間。そのどこかに、静かな営みの気配が満ちていた。


「いらっしゃいませ。あら見かけない顔ね、旅の方かしら?」


 柔らかくかけられた声に、私はそっと顔を向けた。

 藍染のエプロンをつけた年配の女性が、手を拭きながらこちらに微笑んでいた。


「ええ。通りがかりに、少し気になって……先ほど別のお店で、こちらの名前を耳にしました」


「あら、それは嬉しいこと。ゆっくりご覧になってくださいな。お買い物でも、ご見学でも歓迎ですよ」


 彼女の手つきや表情には、染み込んだ余裕があった。

 私は礼を言い、入口近くのショールをひとつ手に取る。

 さらりとした織地。だが、触れると細やかな結界の揺らぎが伝わってくる。


(織りと魔力の調和……なるほど、これは織物で結界を組む術式構造ですね)


 理知的に観察する一方で、視線は自然に工房の奥へと誘われていた。

 織機に向かう若い職人たちが、黙々と糸を引いていた。

 中でも、淡い灰紫の布を織る青年の動きに、私は思わず目を留める。

 織り込まれた線が、どこか揺れていた。

 均一ではない。意図的に、どこかで感情の波のようなうねりを生んでいる。


「……あの、すみません」


 声をかけると、青年は糸を止めてこちらを見た。


「はい?」


「その模様……どうして、このように揺らぎを?」


 青年は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑みを返した。


「……気づかれましたか。これは、旅立ちの前の気持ちを布に表現してほしいっていう注文でして。不安と期待と……どちらも混ざった気持ちを、そのまま模様に込めているんです」


「……それを、布に織り込むんですか」


 私が呟くと、青年は小さく頷いた。


「正確に、強く、整えるだけなら機械でもできるんです。でも、人の手が作る布には、想いが残るんです。……僕は、そう信じてて」


(想いが、布に……)


 それは、術式でも、魔力制御でもない。

 けれど、どこか懐かしい考え方だった。


(かつて私が目指した誰でも魔法を扱える世界も、本当は──)


 私は織りかけの布に視線を落とした。


「……素敵な考え方ですね」


 青年は少し照れたように笑い、それきり黙って作業に戻った。

 私は、その場から少し離れ、別の棚へと歩いていった。

 布と糸と魔法が、静かに調和している空間。

 道具でも、兵器でもなく──

 誰かの気持ちを込めるためのものとしての魔法が、そこにはあった。



 * * *



 工房の奥にある小さな棚に、ひときわ色褪せた裂布が数枚、静かに積まれていた。

 展示品でも売り物でもないらしく、目立たぬ位置にそっと置かれている。

 私はその中から、一枚をそっと手に取った。

 くすんだ藍色の布地に、わずかに浮かぶ刺繍の痕跡。

 魔力の残滓はほとんど感じられない。

 けれど、微かに、確かに、何かがそこに残っていた。


(……温度。誰かが、確かにこの布に触れていた痕)


 指先を滑らせた瞬間、胸の奥に柔らかなものが波紋のように広がった。

 これは記憶の断片。

 遠く、まだ私が理想を語っていた頃の、曇りない魔法研究の日々。

 布の断面に触れながら、私は小さく息を呑んだ。


(あの時も、私は必死に何かを残そうとしていました)


 魔法を武器としてではなく、手段としてでもなく、

 心と並び立つものとして定着させたい。

 そう願った日々は、今では誰の記憶にも残っていない。

 けれど、この時代にはそれが、静かに、自然に、暮らしの中に根を張っていた。


(……私は、もう知られていなくていい。けれど)


 名もない織師が糸を織るように。

 誰にも気づかれず、それでも確かに誰かのために布を織るように──

 そういう生き方が、今の私にもできるのだろうかと、ふと思った。


「それ、ずっと昔の工房主が織った布なんですよ」


 振り向くと、あの年配の女性がそっとこちらを見ていた。


「若い頃にね、自分の布がどれだけ気持ちを宿せるか試してみたいって言って、いろんな人の想いを聞いては織っていたんですって」


「……気持ちを、ですか」


「ええ。今でもたまに、この布を見て初心を思い出すっていう子もいます」


「……とても、あたたかい布ですね」


(みんなの思いの上に、布製品ができているんですね)


 そう感じられたのは、この街に風が吹いていたからかもしれない。

 午後の陽光が、織機の上でやわらかにきらめいていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ