第8話:魔女と新たな装い
街道を抜け、石畳の坂を上った先──
視界がひらけた瞬間、私は足を止めていた。
色とりどりの屋根が連なる、美しい街並み。
建物の壁面には繊細な装飾が施され、通りには浮遊する布幕や案内灯が揺れていた。
魔力風車が屋根の上で静かに回転し、その動力が街全体に魔力を循環させている。
《ノルト=ヴィレル》──魔法装飾と織物工芸で知られる、服飾文化の都市。
それが、この街の名だった。
(……この空気、柔らかいですね)
そう感じたのは、視線に刺すものがなかったからかもしれない。
この街の人々は皆、鮮やかな装いを自然に身にまといながら、誰かを品定めするような目を向けてこなかった。
ふと、近くの店先に目をやると、魔法布で仕立てられた服が並べられていた。
淡い藤色のローブ、金糸の縁飾り、結界染めによる模様の変化。
どれも装飾的でありながら、魔力の流れに即した実用性も備えている。
(美しさと機能の両立。……魔法で飾るという文化が、ここにはあるのですね)
私はローブの袖口をそっと見下ろす。
いまだ、封印時に着せられた、黒く重い布地。
形も、質感も、どこか儀式めいた印象が拭えない。
(……このままでも不便はありません。けれど)
思考が、ふと宙に浮かぶ。
(もしこの姿で生きていくのなら)
そんな思いが、いつの間にか心に芽吹いていた。
* * *
街を見て周り、ひと息ついたのは昼を少し回った頃だった。
小高い山の上から街を見下ろすと、遠くに魔法布の市が見える。
広場では織り手たちが実演をしており、布の模様が光に応じて変化していた。
この街には、魔法が人の装いと一体になって生きている。
それはかつて、魔法が支配と階級の象徴だった私の時代とは、あまりに違っていた。
「……もう少し、歩いてみましょうか」
私は魔法布の揺れる通りへと足を向けた。
通りを歩けば、そこかしこに柔らかな音楽と香りが漂っていた。
香料の浮遊調合店、色変化式の織物店、指先の動きに応じて模様が変わる装飾品まで──
どれも美しさと魔法が自然に手を取り合って存在していた。
私はそれらをひとつずつ確かめるように、歩みを進める。
目を奪われたのは、広場の先にある大きなショーウィンドウだった。
ガラス越しに並んだマネキンは、いずれも魔法師風の実用的な服を身につけている。
だがその素材や色合い、装飾のさじ加減に、明確な意志が感じられた。
例えば──深緋のジャケット。
高魔力反応布地をベースに、可動域に合わせて結界繊維を織り込んである。
(動きやすく、軽く、それでいて防護にも優れている……)
そして隣には、砂金色の短衣に藤紫のマントを合わせた組み合わせ。
布地に施された金線が、光を受けて繊細に煌めいている。
私は、ふと自分の姿に意識を向けた。
昔は誰かにどう見られるか、という意識は薄かった。
けれど、自分がどうありたいかを考えたとき──
この装いが、どこか過去の檻のように感じられた。
(変わることに、抵抗はありません。むしろ……)
少しだけ、胸の奥が揺れる。
(変わることで、今の私が、もう少しこの世界に馴染めるのなら)
そう考えるのは、悪くないことなのかもしれなかった。
「お客様、よろしければ中へどうぞ。ご旅行中ですか?」
声に気づいて振り向くと、ショーウィンドウの脇に立っていた小柄な女性が、私に笑みを向けていた。
肩までの柔らかな栗色の髪。瞳には穏やかな光が宿り、見知らぬ旅人にも物怖じしない、街の人らしい親しみやすさを感じる。
「ええ、少しの間、この街に滞在しようかと思っていて」
「でしたら、動きやすくて軽い装いがいいですね。お客様、肌の色がとても綺麗ですから、淡い藍や白金も映えると思いますよ。旅人さんなら、機能重視で選ぶ方も多いですけど、せっかくの姿ですから、少し遊び心を持ってもいいと思いますよ?」
その言葉に、私はほんの少しだけ笑みを浮かべた。
「……確かに。装いもまた、選び方次第なのですね」
「もちろんです。装いは意思ですから。鏡に映る自分に好きと言えるかどうかが、大事なんですよ」
私はウィンドウの向こうのマネキンに、もう一度目を向けた。
深緋。砂金。藤紫。
どれも、今の私には少しだけ眩しい。
けれど、鏡に映る自分に、少しずつ慣れていくという選択肢もきっと、悪くはないのだ。
「……では、せっかくなので見繕ってもらえますか?」
「もちろんです。どうぞこちらへ」
彼女に促され、私はショーウィンドウの横から店内へと足を踏み入れた。
中には結界で管理された服の数々が整然と並び、各棚には布地の説明や魔力適応値、結界耐性などが記されている。
実用と美が等しく並び立つ、静かで柔らかな空間だった。
「この街の服は、ほとんどが魔法織工房フラウさんお手製の魔法繊維を使っています。防御結界や体温調整が織り込まれていて、旅の方にも人気なんですよ」
「……なるほど。機能と、装いの両立ですか」
「はい。あと、旅人の方々は黒に頼りがちなんですが……実は色味って、心の動きにも影響しますから。新しい街、新しい服──そうやって気分を変えていくのも、大事なんです」
(……確かに。私は昔から、黒しか着ていないですね)
鏡に映るマネキンたちの柔らかな装いが、今の私にはまぶしくもあった。
けれど、それを遠ざけたいとは思わなかった。
「こちらなんてどうでしょう? 淡い藍を基調にした外套に、動きやすいスカートタイプの旅装。魔力を通す繊維で、結界の補助機能も付いてます」
「……お借りしても?」
「もちろんです。試着室は奥ですよ」
彼女の案内に従い、私は試着室へと足を運んだ。
鏡の前でローブを脱ぎ、新しい布に袖を通す。
──肌に触れる感触が、違う。
軽く、しなやかで、どこか安心する温度。
私は静かに鏡の前に立った。
そこに映る私の姿は、まだ少しぎこちない。
けれど、目の奥はどこか……楽しげにさえ見えた。
「よくお似合いですよ。お客様の雰囲気に、ぴったりです」
店員さんの声に、私は笑みで応えた。
「このまま……着ていってもいいですか?」
「もちろんです。お支払いはどうされますか?」
そう尋ねられて、私は手元のギルド支給端末を見下ろす。
「……これでも、支払いに使えるんでしょうか」
「ええ、大丈夫ですよ。冒険者ギルドの登録端末ですね。魔法銀行と連携されていれば、こちらの結界端末でそのまま決済できます」
カウンターに浮かんでいた小型の結界板──
その上に端末をかざすと、淡い魔力の波紋が広がり、支払い確認の文字が浮かび上がる。
「……ありがとうございました。これでお支払い、完了です」
私は端末をそっとしまいながら、ふと内心でつぶやいた。
(この1つの端末で、買い物も、宿も、仕事の報酬の管理まで……)
まるで、それ1つがこの時代の身分証のようだった。
かつての私には、考えもしなかった生活の仕組み。
(……すごいですね。本当に、世界は変わったんですね)
鏡の中の自分を、私はもう一度見つめる。
新しい装い、現代の街、そして小さな端末。
そのどれもが、今の私に繋がっていた。




