第5話:魔女と遺跡探索
やがて、通路の奥に一枚の扉が現れた。
半分だけ開いたその隙間から、冷たい空気が漏れている。
私は手を翳し、魔力の薄い膜を展開した。
簡易防壁──直接的な衝撃や毒気などを軽減する、最も基本的な防御術式。
そのうえで、そっと扉に手をかける。
ぎぃ、と鉄が軋む音。
その先に広がっていたのは、小さな円形の部屋だった。
床面には古びた端末らしき物体が複数設置されており、中心には魔法陣のような痕跡。
ただし、術式の構造が崩れており、明確な形を成していない。
「……これは……」
私は膝をつき、陣の痕跡を指でなぞった。
(制御……ではなく、封印の構造に近い。けれど、非常に古い型式……私の時代とも一致しません)
まるで、歴史の断絶があるかのようだった。
この遺跡は、何かを閉じ込めるために存在した。
だが今は、それが何だったのかさえ失われている。
(もし……この遺跡に誰かが潜って、途中で意識を失ったり、術式に呑まれたとすれば)
失敗例が多いというのも、頷ける。
「ならば……次は、奥ですね」
私は立ち上がり、まだ続いている別の扉へと目を向けた。
* * *
遺跡内での最低限の作業は、問題なく進んだ。
記録石の設置は、設計された魔力伝導線に沿って配置すればよく、簡易術式での定着も難しくはない。
罠と思しき構造物は三箇所確認されたが、いずれも古く機能しておらず、念のため簡易封印術を施しておいた。
光源魔法については、備え付けの維持装置が不安定だったため、私の術式にそっと置き換えた。
気づかれない程度に、だ。
依頼で求められていた内容は、すべて終えた。
(これで、任務は完了──仮登録者としての初仕事は、問題なく果たしたことになりますね)
端末に作業完了の印を入力しながら、私はそっと一息ついた。
だが、足はすぐに止まらなかった。
(……けれど)
遺跡の奥から漂う、あの魔力の濁り。
先ほど確認した術式痕──あれは、何かを封じようとして崩れかけた知性の名残だった。
(ただの暴走なら、時間とともに拡散するはずです。なのに、これは……生きている)
魔力が構造を維持しようとしている。
まるで、意志を持つかのように。
「……依頼としては、ここまでですが」
私はそっと、足を進めた。
照明術式を広げながら、封鎖区画のさらに奥へ──依頼範囲の外へと。
「もしこれが完全に崩壊すれば、都市の魔力網に干渉する可能性もある。……なのに、危険性は低いと報告されている。納得がいきませんね」
魔力の調律を、少しだけ強める。
その瞬間、空間の揺らぎがはっきりと現れた。
術式の残滓が、ゆっくりと、しかし確実に再起動の兆候を見せている。
封印が古く、技術も不完全なまま、誰にも知られずに存在している。
ならばいずれ、完全に壊れてしまう日が来る。
(……そうなる前に、見ておくべきでしょう)
私は術式の輪郭に手をかざした。
起動の兆しはあるが、まだ制御不能というほどではない。
少しだけ触れて、構造を読み取る。
(……なるほど)
魔力の流れはかすかに乱れ、中心の構造は半ば崩れかけている。
けれど──
(封印式としての機能は、まだ生きている。応急的ではありますが……補強は可能ですね)
私は掌に魔力を集め、微細な調律を始めた。
術式を上書きする形で、負荷のかからない再定義を施す。
あくまで余計な干渉はせず、いま在る構造を強く、整える。
(これで、そう簡単には崩れないでしょう)
ふぅ、と息を吐く。
術式は静かに再安定化し、あの違和感のような揺らぎも収まった。
私はゆっくりと立ち上がり、残っていた光糸をひとつ、指先で巻き取る。
(私の知る術式とは異なる。けれど……悪意の気配はない。ただ古く、脆く、放置されていただけ)
この時代の人々が気づいていないことに、過剰に首を突っ込むつもりはない。
ただ、せめて目の前の危うさくらいは、整えておきたかった。
それは責任ではなく、性分だ。
「……はい、おしまいです」
微笑んでそう呟き、私は足音を立てないようにその場を後にした。
依頼は完了。報告も、記録も済んでいる。
だが、この遺跡での術式補強については、誰の記録にも残らない。
(それで、十分ですね)
仮登録の名もなき冒険者。
私は遺跡を背にし、まばゆい空のもとへと歩き出した。
* * *
ギルドの扉をくぐったとき、日はすでに傾き始めていた。
受付前のホールには数人の冒険者が列をなし、それぞれの端末を手に手続きを進めている。
私はまっすぐ受付カウンターへと向かった。
先ほど対応してくれた、女性がこちらに気づき、柔らかく微笑む。
「お帰りなさいませ、ルシア・フェーン様。ご無事のようで、何よりです」
「……ええ。依頼は問題なく遂行しました。記録石の設置、罠の無力化、光源補助すべて完了です」
「確認いたしますね」
職員は端末を操作し、私の端末と魔力認証を交差させる。
記録データと照合が始まり、術式と位置情報、作業履歴が自動的にチェックされる。
「……っ」
彼女の指先が、ほんの一瞬だけ止まった。
「どうかしましたか?」
「いえ……いえ、大丈夫です。すみません。本日登録したばかりで、すぐにこの依頼を完了させたことに驚いてしまいまして……」
彼女は小さく首をかしげながらも、業務用の笑顔をすぐに戻した。
「記録に不備はありません。報告完了です。お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
「今回の依頼は、正式にはCランク相当の案件となっております。仮登録扱いのため、報酬は通常の10分の1──700ラトが魔法銀行を通じて、振込が完了しています。端末から残高を確認できます」
通知音が鳴る。画面には、確かに残高に「+700」の表示があった。
(……なるほど、これがこの世界での稼ぐということなんですね)
私は端末をしまいかけ──ふと、思い直して口を開いた。
「ところで……ひとつ、質問を」
「はい?」
「この街で、安価に泊まれる宿を探しているのですが。どこか、おすすめはありますか?」
職員は「なるほど」と頷き、手元の情報端末をすぐに操作した。
「そうですね……でしたら、ここを出てすぐ隣、ギルド提携の簡易宿ムーンレストがよろしいかと。冒険者向けに運営されていて、かなりお安く済みます」
「いくらくらいでしょう?」
「素泊まりで一泊300ラト、簡単な朝夕食付きで500ラトです。登録済み端末ならそのまま魔法決済でご利用いただけますよ」
「……助かります。ありがとうございます」
私は深く礼を述べた。
手にしたばかりの700ラト──食事も付けると、残高は200ラトになる。
(冒険者の本登録はまた明日以降ですかね……)
だが、それでいい。明日の糧は、また明日得ればいいだけのこと。
(……今夜は、眠る場所がある)
たったそれだけのことが、こんなにも安心をくれるとは。
四千年の眠りを経て、私の旅はようやく、本当に始まったのかもしれない。
「それでは、失礼いたします」
「良い休息を、ルシア様。またのご来訪をお待ちしております」
その声を背に、私はギルドを出た。




