第37話:魔女と継がれた声
空間が、変わった。
それまでの崩落や沈黙の気配とは違う、整えられた空気が、そこにはあった。
通路の先、低く降りた先に広がっていたのは、ドーム状の広間だった。
天井は高く、外界の霧とは別の層にあるのか、空気は澄んでいる。
中央には半ば崩れかけた台座があり、その周囲を囲むように、四方の壁面に幾重もの魔法式と碑文が並んでいた。
そのどれもが──明らかに、意図された記録だった。
「……ここが記録区画だとすれば、かなり保存状態がいい。地形と術式の配置が噛み合っていたのだろう」
彼は息を呑むようにして、壁の文様を見つめていた。
私もまた、崩れかけた台座に近づき、無言のまま佇む。
古代文字。保存術式。概念構文。
それらの構造はまぎれもなく、私の時代の名残だった。
(……ここは、あの戦いの後に築かれた施設? あるいは……)
記憶の底に、触れるような気配があった。
誰かがここに何かを伝えるために残していった。
私はそっと、壁面の1つに手をかざす。
そこには、淡い光を帯びた結晶構造──知識記録媒体として用いられる想印結晶が埋め込まれていた。
術式が微かに反応し、言葉が、流れ込む。
「魔法は、万人のためにある」
「閉じることで守るのではなく、開くことで、広がるべきだ」
「思想は死なない。誰かが忘れても、別の誰かがまた拾う」
──それは、まぎれもない、リシウスの言葉だった。
私自身がかつて残した、あるいは、誰かに語った記憶。
けれどそのままではなかった。言葉は再構築され、文法も現代に近い。
おそらくこれは、私の死後、ずっと後の時代に──
誰かが再発見し、理解し、再解釈した結果なのだ。
「……この名前、見覚えがないか?」
彼の声に振り返ると、彼が碑文の1つを指さしていた。
そこにはこう記されていた。
魔法全民思想研究所 初代代表 クラヴィス・バラドゥーン
本都市の建設は、かの理念を継ぐために行われた
『忘れられたものを、もう一度記録に』──それが我々の願いである
「バラドゥーン……この都市名の由来か」
彼が低く呟く。
「初期の都市建設に関わった学者の名前と一致する。だが……この思想との関係が明示されていたとは、記録にはなかったはずだ」
彼は熱心に転写装置を作動させ、データを収集している。
私はその横で、静かに碑文を見つめ続けていた。
(……クラヴィス・バラドゥーン。知らない名前ですね。けれど……)
言葉の端々に、私の思想が残っていた。
けれど、それはあくまで後世の解釈のように感じる。
私は、それが自分のものであるとは言えない。
言ってしまえば、ただの偶然の一致とも取れるだろう。
──だが、私は知っている。
この地には、誰かが確かに理解しようとした痕跡がある。
四千年前、私は一人だった。
声は届かず、願いは封じられた。
けれどその二千年後──誰かがその声を拾い、形にしようとした。
そして今、さらにそのまた二千年後──私は再びここに立っている。
(……巡ったのですね)
声に出さず、そう呟いた。
私がすべてを知るには、まだピースが足りない。
ここはその1つ──小さな記録の断片にすぎない。
「今日は、収穫が大きすぎる。正直、整理が追いつかないよ……。だが、君がここにいてくれてよかった。君がいなければ、この視点に気づけなかったかもしれない」
「……こちらこそ、来られてよかったと思います」
私は最後にもう一度、碑文を見つめた。
そこに記された名が、誰かの意志の灯火だったことを、心のどこかで確かに受け止めながら。
(……でも、これは終わりじゃない)
むしろ、ここでようやく繋がったのだ。
遠い昔に封じられ、何も残らなかったと思っていた私の声が──形を変えて、時を越えて、誰かに届いていた。
ならば私は、それを拾い直さなければならない。
あの時、叶わなかった続きを、いまの私がもう一度。
この都市がすべてを語ることはない。
けれど、確かに意味を残してくれていた。
それは、私だけが知っていればいい。
* * *
広間を出たあと、私たちは残された外縁部を一通り確認し、谷をあとにすることにした。
既に日は傾き始めていたが、午前から動いていたおかげで、撤収に焦る必要はない。
霧の谷を抜ける頃には、空は淡い金色を帯びていた。
昨日と同じく、小さな宿場町へと戻り、再び宿を取る。
夕食後、共用スペースで彼と再び顔を合わせる。
彼は記録装置を前に、収集したデータの確認に集中していたが、私の姿を見ると手を止め、ふと口を開いた。
「明日には、ここを離れるよ。中央の学会へ報告に戻る。……君はどうする?」
私は少しだけ考え、静かに答える。
「……私は、もう少し旅を続けます。知りたいことが、まだ残っているような気がするんです」
「そうか。……いや、きっとその方がいいんだろうな」
彼はそう言って、小さく笑った。
「正直、君と過ごした数日間は、驚きの連続だった。……不思議なものだ。出会ったばかりなのに、ずっと前から知っていたような錯覚がある」
私は微笑みを返す。
「……それは、私も少しだけ感じていました」
「研究者として、今日の発見は何よりも価値がある。けれど、あの場に君がいたことが……多分、一番の収穫だったのかもしれない」
その言葉は、冗談めかした調子であったのに、なぜか胸に染み入った。
彼は、私の正体など知らない。
知り得るはずもない。
それでも、彼のような人がいてくれたことが、私は嬉しかった。
「ありがとうございます、タヴァスさん。……道中、どうかお気をつけて」
「あぁ……ルシア。そちらこそ、良い旅を。……またどこかで、きっと」
彼は記録装置を肩掛け鞄に収め、静かに席を立つ。
私はその背を見送りながら、再び外の空気に触れるために宿の軒先へと出た。
夜の風が、頬を撫でる。
静かな星空。淡い月。
──この旅には、意味がある。
失われたものを、ただ取り戻すためだけではない。
私はいま、知らなかった未来を歩いている。
(……さあ、次はどこへ行きましょうか)
その問いに、まだ答えはない。
けれどそれを探しに行くことこそが──
私に残された、唯一の願いなのかもしれなかった。
これにてこの物語は一区切りです。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!
程よく文字数も内容もキリが良いところまで描けてホッとしています……。
ルシアはこれからも様々な街で人々と触れ合い、時には過去の断片から自身の時代の歴史を探っていくのかと思います。
もしこの物語を気に入ってくれた方は、評価や応援コメントくれると嬉しいです!




