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封印されし魔女、四千年後の世界を歩く  作者: しまえび
忘れられた都バラドゥーン

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第36話:魔女と眠る言葉

 朝の空気は、ひんやりとしていて澄んでいた。

 窓の外には、灰青色の空と、まだ人影の少ない街道が広がっている。昨夜、私たちが泊まった宿は、簡素だが清潔で、旅人の流れをよく理解している作りだった。隅々に行き届いた管理と、最低限の魔力照明。不要な装飾もない分、妙に落ち着く場所だった。


 私は簡単に旅装を整え、共有スペースへと足を運ぶ。朝の光が、木枠の窓から斜めに差し込んでいた。

 彼は既にそこにいた。机の上には昨日の記録具が並び、彼は湯気の立つカップを片手に、それを読み返していた。


「おはようございます」


 私の声に、彼はちらりと顔を上げて軽く頷いた。


「おはよう。よく眠れたかい?」


「ええ、おかげさまで。……あなたは?」


「睡眠時間はそこそこだけど、頭はよく動いている。たぶん今は、興奮しているんだろうな」


 彼はわずかに笑って、記録具のひとつを閉じる。まだ目元には疲労の色もあったが、それ以上に、好奇心と意欲の気配が濃かった。


「こちらに来て、一緒に食べないか? 朝食を頼んでおいたよ」


 彼が手招きし、私は隣の席に腰を下ろした。程なくして、宿の者が簡素な朝食を運んでくる。焼きたての黒パン、薄切りの干し肉、温かい野菜スープに、果実のピクルス──質素だが、胃に優しい。

 手を合わせ、静かに食事を始めた。


「……今日は、昨日の門から、中央区画を目指すことになるわけですね」


「そうだ。記録を確認した限り、あの門は都市の心臓部へ通じる主要通路の1つだったようだ。構造が生きていれば、地下に続くアプローチが存在するはずだよ」


「霧と魔力干渉の深度も、より強くなるでしょうね」


「ああ。術式の安定性が落ちる可能性もある。最低限の補助魔法と、視界支援は準備しておくべきだ」


 彼はそう言いながら、鞄から転写式の術具を取り出し、卓上に並べていく。石版状の記録媒体には、既にいくつかの構造式と文様の断片が写し取られていた。


「昨日の反応を踏まえて言うと……おそらくあの遺跡には、意図的に保存された情報が存在する。偶然ではない、何かしらの意志を伴った形跡が見て取れた」


「封印のようなもの、でしょうか?」


「それに近いが、単なる遮蔽ではない。むしろ遺すことが目的だったように思える。……それがどんな経緯で、何を遺したのかは、これから明らかにしていくしかないけどね」


 彼の言葉には、いつも通りの理知的な口調の奥に、少しだけ熱があった。

 私はスプーンをひとさじ口に運び、温かいスープの中に宿る静かな味を感じながら、ゆっくりと息を吐いた。


「……不思議ですね」


「ん?」


「過去を追いかけているのに、どこかで、今の自分が問われているような気がするんです。……この場所に、向き合う自分が、試されているような」


「……なるほど。そういう感覚、わかる気がするな」


 彼はその言葉に真面目な顔を返し、軽く頷いた。


「昨日も言ったが、僕にとって遺跡は知ることの対象でしかなかった。けれど……君と話していると、考えさせられるよ。僕は記録を求めているけれど、君は記憶に触れようとしているのかもしれない」


「……それは、きっと無意識です。ただ……そこにあった何かが、今もここにあるなら、知っておきたいと思うだけです」


「十分すぎる理由さ。君が同行してくれて、本当によかったと思っているよ」


 朝の光の中、器の湯気がふわりと上がる。

 霧の向こうには、まだ知らぬものが待っている。

 けれど今日という日は、きっと昨日とは違う一歩になるだろう。

 そう、どこかで確かに感じていた。


「さて、行こうか」


「ええ。準備は整っています」


 再び、霧の谷へ。

 かつて誰かが歩いた道を、もう一度──

 


 * * *



 午前の光は霧に遮られ、山道はすでに昼を過ぎたかのような薄暗さだった。

 私たちは昨日と同じ道を辿り、再び霧の谷を越え、石階段へと足を踏み入れる。

 崩れかけた構造物には昨日の記録用マーキングが残っており、彼はそれを確認しながら、小型の結界具を起動させた。淡く光る魔力の膜が、霧の干渉をわずかに押し返す。

 

「……昨日よりも、霧の流れが強くなっているようです」

 

 そう口にすると、彼も静かに頷いた。


「地形の影響もあるだろうが、魔力の濃度が局所的に変動している。何かが内側で動いているのかもしれない」

 

 私は無言で階段を下り、地下へと続く通路の奥を見つめた。

 そこには、何かが在る気配があった。

 けれどそれは、誰かがそこにいる、という種類のものではない。

 むしろ誰かがかつていたという気配が、今もなお残響のように染みついているのだ。

 通路の先は、幅の広い空間に繋がっていた。かつては都市の主要な導線だったのだろう。天井は高く、壁には崩れかけた文様や、埋もれた記録盤が並んでいた。

 

「このあたりが、中央区画の入口だ」

 

 彼が低く呟いた。

 床に落ちている破片を避けつつ、彼は慎重に進んでいく。私はその少し後ろから、遺跡全体の空気に意識を向けていた。

 

 ──何かが、眠っている。

 

 明確な反応ではない。けれど、気配の深さが違う。

 この区画には、明らかに意志が籠もっていた。

 残された術式の多くが、単なる防御や保全を超えて、何かを伝えようとしている。

 

「……これを見てくれ」

 

 彼が、壁の一部を照らし出す。

 崩れかけた装飾の中に、半ば埋もれた文様──それは現代の術式とは異なる、かつての記録法だ。

 

「これは……初期文字ですね。魔法記述の祖型。いまではほとんど使われていない」

 

「僕も解読には時間がかかるが……見覚えのある構造がいくつかある。意志を伝える術式だな。知識や概念を、記録ではなく感覚として封じ込める古代魔法の一種だ」

 

 私は文様に手を触れず、ただ見つめた。

 その瞬間、胸の奥に微かに疼くような違和感が走る。

 

(……この式、どこかで……)

 

 記憶の底に揺らぐ、微かな既視感。

 思い出せない。それでも、確かに見たことがある。

 いや──

 

(……これは、私が書いたものかもしれないですね)

 

 その考えが浮かんだ瞬間、内心がざわめいた。

 この遺跡にあるのは、過去の誰かが残した記録。

 けれどその誰かが、私だったかもしれないという予感。

 それは唐突で、不確かで、証拠もない。

 けれど私の中の何かが、それを否定できなかった。

 私の知らない私の言葉が、ここにある。

 彼は気づかない。そのまま解析装置を使い、転写を進めている。

 それでいい。彼は彼の視点で、この遺跡に向き合っている。

 私は──私の視点で、ここに立っている。

 かつてこの場所に残された、記録ではなく、生の名残。

 それに触れることができるのは、きっとこの世界において、私ひとりだけなのだ。

 

「この先に、記録層があるかもしれない。旧来の思想や、魔法に関する議論を残すための区画……もしあるなら、都市の中枢、記憶の貯蔵所だ」

 

「……行ってみましょう」

 

 私は静かに頷き、霧の奥──さらに深い層へと、足を踏み出した。

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