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封印されし魔女、四千年後の世界を歩く  作者: しまえび
忘れられた都バラドゥーン

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第34話:魔女と霧の向こう

 街を発ってから、三時間ほどが経過していた。

 最初は魔法馬車での移動だったが、道が途切れた昨日からは、徒歩での山道行が続いている。

 空には薄く霧が漂い、道の脇では野生の魔花が開きかけては閉じるのを繰り返していた。微細な魔力の流れが、地中から溢れ出しているのだろう。

 

「……このあたりから、通信式の安定性も落ちてきましたね」

 

 私が背の端末を一瞥しながらつぶやくと、隣を歩くタヴァスが軽く頷いた。

 

「想定の範囲内だよ。バラドゥーンに近づくにつれ、局所的な魔力干渉が顕著になる。術式も、簡素なものしか通らなくなるはずだ」

 

 彼の手には、折りたたまれた小型の結界生成具が握られている。必要に応じて、遮断領域を展開できる研究用の機材だという。

 

「……そちらの装備、やはり現地調査向けに調整されているのですね」

 

「これは僕個人の改造品さ。正規品ではないから、あまり人には見せられない」

 

 ふと、彼が口の端をわずかに上げる。

 それは学者としての矜持ではなく、長年の試行錯誤を受け入れた者の柔らかな笑みだった。

 

「君は……知を求める理由があるのかい?」

 

 歩を進めながら、唐突にそう問われる。

 振り返った彼の瞳には、好奇心と、少しの慎重さが混ざっていた。

 

「僕はね。好奇心というよりは責務で探しているんだ。どこかに眠っているかもしれない理論や、忘れられた知識を、できるだけ記録に残すことが自分の役目だと思ってる。……けれど、君は少し違うように見える」

 

 私は歩みを緩め、視線を少し先に向けた。

 

「……理由を言葉にするのは、難しいですね」

 

「難しくていいさ。それでも、聞いてみたい」

 

 その声に、私はひとつ息を吐き、言葉を紡ぐ。

 

「今の世界に触れていて、時折、何かが途切れているように感じることがあるのです。技術や制度、文化。いま在るものは、とても洗練されているのに。……その根にあったはずの、何かが、ぽっかりと抜け落ちているような気がして」

 

「……なるほど」

 

「だからこそ、知の流れを見たいのかもしれません。どこから来て、どう移ろい、どう今に至ったのか。その途中に、私が探している何かがある気がするんです」

 

 彼はしばらく沈黙し、やがて頷いた。

 

「いい視点だと思う。……思いがけず、共鳴してしまいそうだよ」

 

「そう、でしょうか?」

 

「いや。僕はどちらかというと、繋がりよりも、忘れられてしまうことの方が気になっていたんだ。けれど君の言葉を聞いて、逆に繋がっているという前提で見る視点も悪くないと感じた」

 

 その言葉には、彼なりの感受性がにじんでいた。

 表面的には理知的だが、その奥には断絶されたものへの痛みのような感情があるのかもしれない。

 再び静けさが戻る。

 風が流れ、霧が揺れる。

 魔力濃度が次第に濃くなってきているのが、肌に染みるように分かる。

 

「……ここから先は、地形も不安定になるだろう。足元に注意をしていこう」

 

「ええ、心得ています」

 

 私たちは慎重に歩を進める。

 先はまだ遠い。けれど、この道の先に、私が触れねばならぬものが待っている──そんな予感が、胸の奥にあった。



 * * *



 道の勾配がわずかに変わったのは、昼を少し過ぎた頃だった。

 目の前に広がったのは、低く落ち込む地形──谷だった。

 谷底には薄灰色の霧が広がり、風が吹いてもほとんど動かない。まるで、そこだけ時間が滞っているかのようだった。

 

「……ここが、境界線だ」

 

 彼が足を止め、周囲を慎重に見渡す。

 私も歩みを止め、谷を見下ろすようにして言葉を呟いた。

 

「……視界の遮り方が不自然ですね。霧というより、滞留している」

 

「そう。魔力が地形のくぼみに集まり、逃げ場を失っているんだ。通常の自然霧とは構成が違う。……検出した限りでは、毒性や錯覚の兆候はないが、念のため術式の補助は入れておいた方がいい」

 

「了解しました」

 

 私はそっと、術式を展開する。

 感覚系の補助と、簡易的な呼吸補正──最低限、精神を乱されないための結界だ。

 谷の下へと踏み出すと、空気が一段と冷たくなる。

 音が、薄れていく。

 風の音も、足音も、すぐ傍にいるはずの彼の足音さえ、霧に吸い込まれていくようだった。

 

(……感覚の切断。静かすぎますね)

 

 私は慎重に、足元を確かめながら進む。

 霧は深く、白く、あらゆるものを境目なく塗りつぶしていた。

 しばらく歩くと、視界の隅に、微かな直線が見えた。

 自然には生じない、人工的な形。

 近づくと、それは半ば崩れた石の柱だった。

 魔法刻印のような文様が、かすかに残っている。

 

「……これは遺構、ですね」

 

「おそらくバラドゥーン都市の外縁部だ。本来はもっと深く埋まっていた構造物だが、最近の地形変動で露出したと報告があった」

 

 彼もその前にしゃがみ込み、そっと手を触れる。

 石に反応するように、術式の触媒が微かに青く灯った。

 

「反応あり。古いが、まだ生きている」


「術式構造はどうですか?」

 

「……複雑だ。しかも、僕の知っている記述と一致しない。解析には時間がかかるが……これは、現行体系とは異なる前提で構築されている」

 

 私はその文様に目を凝らす。

 確かに、今の世界で一般化している魔法式とは違う。

 文法の構造も、使用されている術語も、何かが前の時代を示していた。

 

(……やはり、ただの遺跡ではありませんね)

 

「この先にある本体……中央区画までは、あと半日ほどかかるだろう。今日は外縁部の調査と記録を優先して、日没前には一度退避しよう。ここは眠っているが、いつ目を覚ますかわからない」

 

「……わかりました」

 

 私は柱から視線を外し、霧の奥に広がる気配へと意識を向けた。

 目には見えないが、確かに何かがある。

 埋もれ、忘れられ、しかし今もなお脈動している知。

 それが静かに呼びかけているような、そんな錯覚。

 

(……私は、これを見つけに来たのでしょうか)

 

 四千年という時を越えて、かつての自分の影に手を伸ばす。

 何を見つけ、何を知るのか。

 それはまだ、霧の向こうにあった。

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