第32話:魔女と古文書庫での出会い
街道を抜けた先に、塔のような商館と魔法橋が連なる景色が広がった。
水路の交差する先に、その都市はあった。
──流通都市マルゼン。
物流と情報の拠点。人も物も、すべてが動き続ける、流れの中心。
私は坂を下りながら、眼下に広がる街の姿にそっと息をついた。
濃密な空気が、皮膚をなぞるように触れてくる。魔力の残滓。騒がしさ。喧噪の波。
けれどそのすべての奥底に、秩序の気配があった。
(……乱れているように見えて、どこかで均衡が取られているようですね)
都市の入り口では、魔法式の検知装置と守衛が旅人たちを次々に通していた。私は順路に並び、簡易の魔力チェックと身分認証を済ませると、あっさりと通された。
「ようこそマルゼンへ。魔力濃度は平均値、ランク認証も確認しました。ご滞在に問題はありません」
整然とした対応。その後ろには、幾重もの魔法陣が自動で刻まれ、情報が次々と処理されていく。
門を抜けると、街の空気はさらに一変した。
通りには貨物車が行き交い、人々の叫び声と、端末の音声通知が交錯する。
歩けば袖がすれる。すぐ横を、飛行魔具が軽やかに舞い上がっていった。
私は目を細め、歩を進める。
(これは……予想以上ですね)
前を横切るのは、見たことのない部族の衣装をまとった商人。すれ違う荷車の中には、魔力封印の施された精密機器が積まれている。
魔法の都というよりも、魔法技術を制御し、効率化した都市──そんな印象があった。
やがて、私は大通りの突き当たりに立つ、重厚な建物の前で足を止めた。
──商人ギルド・マルゼン本部。
黒い石材と白金の装飾。入り口に浮かぶ立体魔法陣が、訪問者の情報を読み取る。
中から現れた案内人に一礼し、私は静かに告げた。
「古文書庫の利用申請をしたいのですが……」
「かしこまりました。まずは申請手続きをどうぞ」
そうして私は、最初の扉をくぐる。
この都市の喧騒の奥にある、音の届かぬ、記録の眠る場所へ足を踏み入れていった。
商人ギルド・マルゼン本部の内部は、外観の重厚さとは裏腹に、魔法機構による合理性と整然とした空気に包まれていた。
受付フロアは静かで広く、木目調の床と浮遊する光源が穏やかな雰囲気を醸し出している。
けれど、そこに立つ職員たちの眼差しには、どこか観察者の色があった。
私は、案内に従って申請カウンターの前へと進む。
そこには、白い制服を着た若い女性が座っていた。柔らかな微笑を浮かべながら、彼女は丁寧な口調で応対する。
「……古文書庫の閲覧申請ですね。失礼ですが、冒険者ランクを拝見できますか?」
「はい、こちらを」
私は端末を差し出した。魔力認証によって階級と識別番号が表示される。
「ルシア・フェーン様……Cランク、認証確認しました」
その瞬間、女性の表情にわずかな変化があった。
「ご覧の通り、古文書庫は本来、ギルド内部の高等商務員や認可学徒のみに開放されております。ですが、例外として──Cランク以上の認定冒険者であり、かつ正当な調査目的を持つ場合は、申請が受理される規定となっております。本日はどのような目的でのご利用でしたか?」
「……この都市には、商人たちが各地から情報を運び込んでいると思います。交易品や契約記録にとどまらず、時には言葉や思想、魔法理論の断片までも。私は魔法理論に興味がありまして、書庫を閲覧させていただきたかったのです」
「……なるほど。ご説明、ありがとうございます」
彼女は端末に何かを入力し、確認のための光印を交差させると、静かに続けた。
「本日分の利用枠に空きがありますので、閲覧申請を許可いたします。文書庫は中層棟地下三階、識別区画A−VIIに位置します。入口で再度、端末の認証をお願いいたします」
そして最後に、少し声を低めて付け加える。
「……ご存知かと思いますが、書庫内の情報は外部への持ち出しや、無許可の複製が固く禁じられております。記録用端末も、指定のもの以外は持ち込めません。どうか規則を遵守のうえ、ご利用くださいませ」
「もちろんです。……ありがとうございます」
私は静かに頭を下げると、案内に従い、通路の奥へと歩き出した。
廊下は徐々に人の気配を減らし、空気が変わっていく。
魔法の気配すらも沈黙し、まるで都市の鼓動が遠のいていくようだった。
(……ようやく、辿り着けますか)
古き記録の眠る場所。
私は、その扉へと向かった。
* * *
書庫へと続く階段は、ゆるやかに螺旋を描いていた。
壁面に灯された魔法灯が、淡く空間を照らしている。足音は静かに吸い込まれ、周囲には誰の気配もない。
やがて重厚な扉が現れ、私は端末をかざした。
識別音が鳴り、魔法陣が緩やかに展開される。瞬間、空気が変わった。
──地下三階、文書庫区画。
内側は、厳かな静寂に包まれていた。
高い天井と、規則正しく並ぶ書架の列。その隙間を、幾重もの索引魔法が漂っている。
棚の端末には検索用の魔法陣が浮かび、閲覧者の手に応じて自動で情報を引き寄せてくれるようだった。
(……これは、相当の年代ものですね)
古文書といっても、保管環境は徹底されている。魔力封印や劣化防止結界が施されたその構造に、私はわずかに感嘆する。
目的の記録──かつての魔法理論、制度、都市記録、あるいは……私自身が知るはずの、過去の魔法文明に関する痕跡。
私は最寄りの情報端末に触れ、いくつかのキーワードを入力する。すると、書架の一角にある魔法灯が点灯し、関連書類が収められていることを示した。
そちらへと歩き出そうとした、そのとき──
「……君も、記録を求めに来たのかい?」
静かな声が、書架の向こうから届いた。
その言葉に、私はほんのわずかに足を止め、そちらを見やる。
棚の影から現れたのは、淡い青の研究者ローブをまとった青年だった。
柔らかな黒髪に、落ち着いた印象の目元。
だがその瞳には、観察者としての鋭さが宿っている。
「……この街では見ない顔だね。冒険者かな?」
「ええ。Cランクの認証を受けて、閲覧許可をいただいているルシアと申します」
私がそう返すと、青年は小さくうなずいた。
「失礼、僕はタヴァス。この文書庫において、調査許可を得ている者の一人なんだ。……こうして外部の人間に出会うのは、実のところ珍しいよ」
彼の目が、わずかに細められる。
「閲覧許可が降りる条件は厳しい。ここに何かを求めて来る者は、少なくとも……ただの好奇心で済まされるべきではないと思っている」
彼の言葉には、どこか試すような響きがあった。
外部の人間に記録を見せることへの、慎重な姿勢。
けれど、私は真っ直ぐに彼を見返す。
「この街には、多くの人と物が集まります。商取引の記録だけでなく、言葉、魔法、思想、その痕跡が──どこかに残っている。私はそれを辿りたいのです」
「それが、君の目的かい?」
「ええ。そして、もっとこの世界のことを、広く理解したいんです」
彼はしばし沈黙し、視線を落とす。
やがて、小さく笑った。
「わざわざこの街を訪れてまで興味があるなんて、僕としては……少し、嬉しくもあるよ」
彼はゆっくりと歩み寄り、書架の一冊を手に取った。
「だが僕は、考えてしまう。知識は武器になる。知られることが、損になる場合だってある。──君はどう思う?」
その問いに、私はしばらく黙していた。
棚の奥で、魔法灯が静かに明滅している。
そして、言葉を選びながら口を開いた。
「……かつて、魔法というものは、選ばれた者だけのものでした。限られた家系、学問、階層。その中だけで語られ、使われてきました」
私は視線を上げる。
「でも今は、違います。技術として整理され、制度に組み込まれ、多くの人が使えるようになっています。……どちらが良いのかは、簡単には言えません。けれど私は、知る権利と使う責任が等しくある世界の方が、希望を持てると思うんです」
彼の表情が、わずかに変わった。
揺れるように瞬き、静かに頷いた。
「……とても興味深いね。少なくとも、君が記録を手にする理由は、理に適っているようだ」
そう言って、彼は手にした文書を差し出してきた。
「これは、マルゼンで記録された五十年前の交易協定と、それに添えられていた魔法通信網構築の計画案だ。もしかすると、君の求める変化の端緒に繋がるかもしれない」
私はそれを受け取り、丁寧に一礼する。
「ありがとうございます」
言葉はそれだけだった。けれど、その短い対話の中に、私は確かに何かを得た気がしていた。
かつての知を知る者と、今を歩む者の交差点。
文書庫の静寂は、何も言わずにその邂逅を見守っていた。




