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封印されし魔女、四千年後の世界を歩く  作者: しまえび
浮遊都市レクナート

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第22話:魔女と浮遊都市の記録

 鉄柵を抜けた瞬間、街のざわめきが背後に遠ざかっていった。

 螺旋状に続く金属の階段は、外壁に沿って下方へと伸び、湖面の反射光も届かぬほど薄暗い。足を踏み出すたび、鉄骨がかすかに鳴り、手すりから伝わる冷たさが肌を刺す。


 頭上の空はまだ茜色だが、数段降りただけで空気が変わる。湿った風が下から吹き上がり、かすかに油と鉄の匂いを運んできた。

 遠くから低く一定の唸りが響く、巨大な機械の呼吸のようだ。


(……これは、都市の浮力機関でしょうか)


 足元の段差は所々摩耗し、油染みが黒くこびりついている。ところどころ、整備士らしき男たちが工具箱を抱えて上り下りしていたが、誰もこちらを怪しむ様子はない。

 幻装した作業服は、ごく自然に視線をすり抜けていく。


 階段の途中で、外壁の向こうにわずかな隙間があり、そこから湖面が見下ろせた。遥か下に、波紋を描く船の航跡が細く伸びている。

 だが、それも一瞬で、再び金属と鉄骨に囲まれた閉ざされた空間が続く。


 やがて階段は水平な通路に変わった。壁面には配管と魔力導管が走り、時折、魔法陣を刻んだ制御板が脈動している。通路を進むにつれ、唸り音はさらに大きく、低く重たく響き始めた。


(……この先に、都市を支える心臓部がありそうですね)


 通路の奥は、やがて広い機関室へと開けた。

 天井は高く、格子状の足場が何層にも組まれている。中央には、直径十メートルはあろうかという円盤状の魔力浮上機構が鎮座し、淡く青白い光を放ちながらゆっくりと回転していた。

 その表面には複雑な魔法陣が刻まれ、刻一刻と光の紋様が形を変えている。


 数人の整備士が工具を手に、魔力導管の接合部や制御板を点検している。

 私は足音を殺し、作業員たちの視線を避けながら、壁際をゆっくりと歩いた。

 ふと、通路の端に古びた銘板が取り付けられているのが目に入る。

 厚く塗り直された塗装の下から、掠れた文字がかすかに覗いていた。


(……第一期稼働日、魔法暦1527年)


 魔法暦1527年──私が封印された時代から、実に五百年後の年号だ。

 この都市が築かれたのは、私の知る世界が終わったずっと先。

 それでも、目の前の機構は確かに、私が生きた時代の魔法工学を土台にしていると分かる。魔法陣の構造も、導管の材質も、どこか懐かしい。


 作業場の奥、誰も見向きもしない壁際に、古びた銅製の案内板が立て掛けられていた。

 表面は煤でくすんでいるが、手でなぞると意外なほどくっきりとした文字が浮かび上がる。


《第一居住区──ルーメリア》


(……ルーメリアですか)


 胸の奥で、遠い記憶がざわめいた。

 それは私がまだ男の魔法師だった頃、地上の西方に広がっていた学術都市の名だ。

 魔法研究の中心地として栄えていたが、戦乱の最中に姿を消し、その行方は誰も知らないとされていた。


 案内板の端には、小さく刻まれた日付がある。

 魔法歴1062年、私が封印されたあと数十年後だった。

 つまり、この浮遊都市の一部は、かつてのルーメリアから移住した者たちの手で作られたということになる。


(……この街は、どこから逃げてきたんでしょうか)


 答えはない。ただ、記録にも残らぬ失われた都市の名が、こんな場所で静かに息づいていた。

 それだけで、この旅路の先にまだ知らぬ真実が眠っていることを確信させられる。


 だが、それ以上の情報は何もない。

 その他には特に昔の記録などは残っておらず、ただ新しい時代の人々が、必要に迫られて築き上げた都市の証があるだけだ。

 壁際の補助機関から、低く穏やかな音が響く。

 その振動は足元から伝わり、私の胸の奥までゆっくりと染み込んでいく。


(……結局、ここで知れることは限られていますね)


 それでも、不思議と落胆はしなかった。

 旅をしながら、こうして新しい時代の断片に触れ、かつての軌跡を辿るのも悪くはない。

 その軌跡が、いつかどこかで思わぬ形に繋がるかもしれないのだから。

 私はそっと視線を機関部から外し、元来た通路へと足を向けた。

 整備士たちの声と金属音が、背後で遠くなっていく。



 * * *



 再び螺旋階段を上がると、湿った空気が少しずつ乾き、遠くから人々のざわめきが戻ってくる。

 夕暮れの光が階段の隙間から差し込み、鉄骨に長い影を落としていた。

 柵を抜けた瞬間、眩しいほどの夕焼け空が目に飛び込んでくる。

 テラスの灯りがぽつぽつと灯り始めていた。

 観光客たちは相変わらず噴水や露店を巡り、甘い匂いと笑い声が風に乗って流れてくる。


(……同じ都市の中とは思えませんね)


 ひとつの都市に、これほど落差のある景色が共存している。

 浮かび上がる笑顔の裏で、誰も知らぬ記憶が静かに眠っている──そう思うと、足取りが自然と緩んだ。


 私は石畳を歩き、広場の外れで足を止める。

 湖の向こうに沈みかけた太陽は、最後の光を水面に散らし、その輝きがゆっくりと消えていった。

 やがて訪れる夜の静けさを予感しながら、私は軽く息をつく。


(今日の収穫は……悪くありません)


 知ったことはわずかでも、そのわずかが旅路を確かに前へ進める。

 この先、どの街で、どんな形で再び繋がるかは分からない。

 だが、それこそが旅の楽しみというものだろう。

 私は肩の力を抜き、再び賑わいの中へと歩みを戻した。

 灯りの群れが揺れる広場で、遠く機関室の唸りがまだ、かすかに耳に残っていた。

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