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封印されし魔女、四千年後の世界を歩く  作者: しまえび
浮遊都市レクナート

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20/37

第20話:魔女と浮遊都市

 湖畔の港町から、私は定期飛行船に乗った。

 目指す先は、浮遊都市レクナート。

 かつて、魔法戦争の炎から逃れるため、地上を離れた人々によって築かれた空の街だと聞く。


 この街の名は、以前から旅先で何度も耳にしていた。

 観光案内の冊子にも、宿の談話室で耳にした噂話にも、「空の楽園」や「天空のリゾート」という派手な言葉と共に、その名は躍っていた。

 もっとも、戦争の避難先だったという由来は、観光用の小話の一つとして語られる程度だ。

 私は、出発前に港町の古書店で手に入れた地方誌に、その断片的な記述を見つけていた。

 古びた写真と共に、「地上の混乱を逃れ、魔法の力で浮上した理想郷」と短く記されていたが、詳細は載っていなかった。


(……私の時代よりも五百年あとのことですね。けれど、その時代の人々もまた、理想を掲げたのでしょうか)


 船室の窓から差し込む光が、眼下の湖面に反射して揺れている。

 水面は鏡のように空を映し、やがてその先に、青と白の大きな塊が浮かんで見えてきた。


 レクナート──。

 湖面から高く、まるで雲の上に立つようにして広がるその姿は、遠目にもきらびやかだった。

 白い外壁が陽光を受けて輝き、空中庭園の緑がところどころに彩りを添える。

 船内の観光客たちは歓声を上げ、窓際に殺到して景色を写真に収めている。


 私はその様子を背後に感じながら、静かに視線を都市へ向けた。

 この空の街に、かつての理想の名残が、どれほど残っているのだろうか。



 * * *



 船がゆるやかに接岸し、乗客たちは順にタラップを降りていく。

 足を踏み出した先は、磨き上げられた白い石畳。

 空気は地上よりも乾いて澄み、ほんのりと花の香りが混じっていた。

 港の周囲には色鮮やかな旗や布飾りが揺れ、行き交う人々の服装も華やかだ。観光客らしき顔が多く、その表情には好奇心と期待があふれている。


 港の先には、大きな噴水広場があった。

 中央から吹き上がる水は魔法で形を変え、鳥や花の姿を象っては消える。

 子どもたちが歓声を上げながら走り回り、露店では焼き菓子や冷たい飲み物が売られている。

 店先の呼び込みが声を張り上げ、音楽隊が軽やかな旋律を奏でていた。


(……空の楽園、ですか。確かに、そう見えますね)


 私は歩きながら、視線を高く上げた。

 白壁の建物群は陽を反射してきらめき、広場の背後には緑に包まれた空中庭園が見える。

 観光案内板には、この庭園が「平和の象徴」として造られたことが大きく書かれていた。

 けれど、そこに至る経緯や、かつての戦争のことには触れられていない。


 路地を抜けると、土産物屋や喫茶店が並ぶ通りに出た。

 色とりどりの看板には「天空プリン」や「浮遊都市限定ブレンド」など、観光客を引き寄せる文句が踊っている。

 店員たちは笑顔で呼び込みをし、通りには甘い香りと焼きたてのパンの匂いが漂っていた。


 ふと、石畳の端に設けられた古びた案内板が目に入った。

 色は褪せ、文字もかすれているが、「浮遊計画・創設期」と刻まれている。

 そこに描かれた絵は、地上から立ち上がる巨大な魔力浮上機関と、その周囲で避難を待つ人々の姿。

 しかし、立ち止まって見入る者はほとんどいない。

 通り過ぎる人々は、ただの古い飾りか、無関係な歴史資料くらいにしか思っていないようだった。


(……覚えている人は、もういないのでしょうね)


 私は案内板の前で少しのあいだ立ち止まり、指先で古びた金属の縁をなぞった。

 そして、再び人波に紛れながら歩き出す。


 通りの先、観光客がほとんど足を向けない細い階段があった。

 下へと続くその道は、街の華やかさとは別の、薄暗い空気を湛えている。

 金属の手すりには「立入注意」とだけ書かれた札が下がっていた。

 私は足を止め、視線を落とす。


(……この空気。何か嫌な雰囲気を感じますね)


 そう思ったが、今は踏み込む理由もない。

 私は視線を引き、踵を返す。

 風が頬を撫で、遠くで鐘の音が響いた。

 その音に導かれるように、私は賑やかな広場の方へと歩みを戻した。



 * * *



 港通りを抜けると、開けた広場に出た。

 真ん中には大きな噴水があり、透明な水柱が魔法で絶え間なく空へと吹き上がっている。

 その水しぶきが陽光を受け、虹色に輝いていた。


 広場の周囲には屋台や露店が並び、賑やかな呼び声が飛び交っている。


「浮遊都市名物! 天空プリンはいかが〜!」

 

「今朝揚がったばかり! 湖魚の燻製、地上じゃ味わえないよ!」


 視線の先で、小さなガラス瓶に入った琥珀色の菓子が並んでいた。

 瓶の中のプリンは、表面がきらりと光を反射し、上には淡い紫色のソースがかけられている。

 売り手が笑顔で差し出した試食品を一口含むと、舌の上でふわりとほどけ、甘みの後にほんのりと花の香りが広がった。


(……この香り、湖畔の花から採った蜜でしょうか)


 すぐ隣では、若い職人が湖魚を桜の木片で燻しながら、軽妙に客と会話している。

 その背後には、浮遊都市の紋章をあしらった絹織物や、湖面を描いた陶器の皿なども並んでいた。

 どれも観光客向けではあるが、手仕事の丁寧さが感じられる。


 しばらく広場を歩き、あれこれ眺めていると、港から吹き抜ける風が頬を撫でた。

 明るい声と香ばしい匂いが混ざり合い、この街が理想郷として機能していることを改めて思い知らされる。


(……とても賑やかですね)


 やがて私は広場を抜け、宿へと向かった。


 宿は広場の高台にある二階建ての石造りだった。

 玄関を入ると、磨かれた木の床と、天井から吊るされた小さな魔法灯が温かな光を放っている。

 受付の女性に名前を告げると、帳簿にさらさらと記入され、部屋の鍵が渡された。


「今日は観光でお越しですか?」

 

「ええ……まあ、そんなところです」


 短いやり取りを交わし、二階の角部屋へ向かう。

 部屋の窓からは、港と広場の灯りが遠くに見えた。

 先ほどまでの喧噪が嘘のように、ここは静かで、外気もひんやりとしている。


 荷を下ろし、カーテンの端を指でつまんで外を眺める。

 少し離れた通りの先に、昼間見かけた立入注意の札がちらりと見えた。

 それは、港や広場の賑わいとは無縁の、暗がりに沈む階段の入口だ。


(……やはり、気になりますね)


 理由もなく近づくわけにはいかない。

 だが、あの札と階段が、ただの倉庫や整備場のものだとは、どうしても思えなかった。


 窓を閉じ、ランプに火を灯す。

 今日見た光景の中で、あの影だけが胸の奥に残っている。

 この街を立ち去る前に──もう少し、あの先について知っておく必要がある。

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