第18話:魔女と鍛鉄祭
朝のバルグレインは、いつもよりもさらに賑やかだった。
まだ日が昇りきらぬうちから、大通りでは職人たちが声を掛け合い、荷車に詰め込まれた鉱石や木材が広場へ運び込まれていく。
広場の中央には、この日のために組まれた大炉と、両腕で抱えきれぬほどの金床が据えられていた。
通り沿いには、鉱山で採れた鉱石や加工品を並べる屋台がずらりと並び、子ども向けの「小鍛冶体験」と書かれた木札も見える。
白い前掛けをつけた少年少女たちが、小ぶりの金槌で銅板を叩き、楽しそうに模様を浮かび上がらせていた。
「ルシアちゃん、おはよう!」
宿の女将が、両手いっぱいに籠を抱えて通りを横切っていく。籠の中には香草や焼きたてのパンが詰まっていた。
「夜は広場に来なさいな。職人たちの腕が一晩中見られるんだから、他じゃ味わえないわよ」
「……えぇ、楽しみにしています」
そう答えると、女将は笑顔を残して足早に去っていった。
道端では、飾り紐を編み込んだ鉄細工の首飾りを売る職人が観光客を呼び込み、隣では鉱山から掘り出された原石を磨く実演が行われている。
人々の話し声に混じって、どこかから小太鼓のリズムが響きはじめた。祭りの幕開けを告げる音だ。
(……さて、今日はどんな光景が見られるのでしょうか)
槌音と笑い声が混じり合う通りを、私は広場へと歩いていった。
広場に近づくほど、熱気は濃くなっていった。
巨大な炉の前では、既に火が赤々と燃え、職人たちが順に火口へ木炭をくべている。炉の周囲は柵で囲われ、見物客がその様子を取り巻いていた。
炉の横には、各工房ごとに設けられた作業台が並ぶ。どの台にも真新しい鉄塊が置かれ、槌や鑿が整然と並べられている。
祭りの間、職人たちはここで自分の技を披露し続け、打ち上がった品は翌朝、街の神殿へ奉納されるのだという。
「さあさあ、寄ってらっしゃい! これがバルグレインの技だ!」
若い鍛冶師が声を張り上げ、鉄を炉から引き上げる。真っ赤に輝くそれを金床へ置き、勢いよく槌を振り下ろすと、火花が四方に散った。
その瞬間、周囲から「おおっ!」という歓声があがる。
別の作業台では、白髭の職人が細工刀を打っていた。
手元を覗き込むと、刃の表面に繊細な波紋が浮かび上がりつつある。
「これは装飾用ではなく実用刀だ。軽くて強靭、切れ味は保証するよ」
そう語る口調には、自分の技への絶対の自信がにじんでいた。
昼を過ぎる頃には、屋台から漂う匂いが広場全体を包み始める。焼きたての肉の串、香草を効かせた鉄鍋スープ、そして熱い炉端で温めた黒パン。
どこを向いても、笑顔と湯気と槌音があった。
そして、夕刻が近づくにつれ、空の色は茜から群青へと変わっていく。
しかし炉の炎は衰えるどころか、むしろ夜を迎えるために一層高く燃え上がっていた。
人々はこれから一晩中続く「火の儀式」に備え、席を確保し、酒や食事を手にして落ち着き始める。
(……この町の誇りと信仰が、これから夜通し形になるわけですね)
私は広場の片隅に腰を下ろし、暗くなり始めた空と、ますます赤く映える炉火を見比べた。
* * *
夜の帳が完全に降りた。
空には星が散り、山の稜線が黒い影となって炉火を囲む。
広場の中心に鎮座する巨大な炉は、昼間以上に赤く燃え、火の粉が夜空へ舞い上がっては消えていった。
合図の太鼓が鳴る。
次の瞬間、全ての鍛冶場で槌が振り下ろされ、鉄を打つ高い音が一斉に響き始めた。
その音は単なる作業の音ではなく、祭りの鼓動そのもののようだった。
職人たちは交代で炉に向かい、炙られた鉄塊を金床へ置く。
重くも正確な槌打ちが繰り返され、赤々とした金属が徐々に形を変えていく。
打つたびに火花が弧を描き、まるで夜空の星と交わるように舞った。
観客たちはその様子を息を詰めて見守る。
時折、見事な一撃や美しい形が浮かび上がると、抑えきれない歓声と拍手が広場を包む。
しかし、すぐにまた打音が続き、空気は再び張り詰めた。
私は柵の近くに立ち、じっとその光景を見つめていた。
熱気が頬を撫で、耳には金属と火の語らいが絶え間なく届く。
戦のためではなく、神前への奉納と町の誇りのために打たれる鉄。
それは確かに、過去の記憶にある火とは違っていた。
(……これは、良いものですね)
その時、隣で背の低い少年が、使い込まれた木槌を小脇に抱えて立っているのに気づいた。
肩口や袖には煤がつき、手のひらは小さな豆で硬くなっている。
どうやら昼間は工房の手伝いをしていたらしい。
彼は炎に照らされた瞳を輝かせながら、まるで自分が炉の前に立っているかのように小槌を握りしめていた。
「おれ、大きくなったら鍛冶屋になるんだ」
その声は、憧れだけでなく、自分の手で鉄を打つ未来を信じている響きがあった。
私はその横顔を見て、自然と頷く。
「ええ、きっとなれるでしょう」
少年が驚いたようにこちらを見る。
私は視線を炉へ戻し、続けた。
「その手は、もう職人の手です。あとは、その槌で何度でも打ち続ければいい」
少年は少し照れたように笑い、また炉の方へ視線を戻した。
その目はもう、夢を追う者の目だった。
やがて深夜が近づくと、広場は少しずつ静けさを取り戻していった。
それでも炉の前では槌が打ち続けられている。
交代で眠り、交代で打ち、決して火を絶やさぬように。
広場の片隅では、湯気を立てる鍋が並び、温かなスープが見物人や職人に振る舞われていた。
鉄鍋から漂う香りに誘われ、私も紙椀を受け取る。
一口すすれば、塩気と野菜の甘みが体の芯まで染み渡った。
寒さと熱気の間で揺れる空気の中、この温もりはひときわ優しかった。
空を見上げると、火の粉と星が交じり合い、境目が分からなくなっていた。
夜はまだ長い。
しかし、誰一人として、この灯を見届けることに飽きてはいなかった。
私もまた、その一人だった。
* * *
そして次の日の朝。
かすかな金属の匂いと、湯気を含んだ温かな空気で目を覚ました。
外へ出ると、昨夜の広場はすっかり静まり返り、炉の炎も青白く落ち着いていた。
しかし、その中央には一晩中打ち続けられた鉄塊が、まだほんのり赤みを帯びて鎮座している。
職人たちは疲れの色を隠さず、それでも誇らしげに鉄塊を磨き、神前へ運ぶ準備をしていた。
通りの端では、炭火の上で大鍋がぐつぐつと音を立て、祭の締めに振る舞われる具沢山のスープが煮えている。
「お嬢さんもどうだい? 昨夜見てただろう」
馴染みになった職人の一人が、笑って紙椀を差し出してくれた。
受け取って口をつけると、濃い出汁と根菜の甘みが広がり、冷えた体が内側から解けていくようだった。
(……争いのためではなく、感謝のために鉄が打たれる夜。こういう祭は、長く続いてほしいですね)
湯気の向こうで、昨日の少年が師匠らしき男に付き添われ、誇らしげに鉄塊を見送っていた。
その背中は、夜の火と同じようにまっすぐで、揺るぎなかった。




