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封印されし魔女、四千年後の世界を歩く  作者: しまえび
服飾文化都市ノルト=ヴィレル

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第10話:魔女と織られた静けさ

 通りを歩く足取りが、いつもより軽かったのは、きっと今日の服が自分に馴染んでいるからだろう。

 淡い藍の外套は、肩に柔らかく沿い、風を受けてさざめくたび、心まで軽くなる。

 装いが変われば、世界の見え方も少し変わる、それを私はこの街で、初めて実感した。


(さて……そろそろ、この街での滞在も終わりですね)


 ひとつ息をついて、私は立ち止まり、端末を手に取った。

 冒険者ギルドに登録してからというもの、少しずつではあるが依頼を受けて収入が入るようになってきている。


(魔法銀行の残高は……なるほど。まだ贅沢とまでは言えませんが)


 端末に表示された数字を見て、私はひとつ小さく頷いた。


「これなら今日は、少しいつもより良い宿に泊まっても問題ありませんね」


 仮登録時代に泊まっていた簡易宿ムーンレストのことを思い出す。

 設備は最低限、清潔ではあったが、さすがに連泊するには疲れる空間だった。

 あの宿を起点にここまで歩いてきたのだと考えれば、少しばかり報いがあってもいいだろう。


(次の街へ向かうのは、明日の昼以降。それまでは休息としましょう)


 私は通りに立つ案内灯の魔法パネルを操作し、旅人向けの宿泊施設を検索する。

 選んだのは、街の中心部からやや外れたところにある、静かな高台に建つ中規模ホテル。


 染布亭クラレット──

 魔法織物を活かした内装が評判で、服飾都市らしい意匠が随所に凝らされているという。

 予約完了の表示を確認すると、私はゆっくりと歩き出した。

 街のざわめきから少し離れた道を進むにつれ、空気がひんやりとしてくる。

 高台の上に立つその建物は、白い石壁と、深紅の布看板が目印だった。

 柔らかな曲線を描く屋根の下、魔力糸で織られた装飾幕が風に揺れている。

 玄関口の上には、街の象徴でもある魔力風車が静かに回っていた。


(……なんだか、迎えられているような気がしますね)


 私は扉の前に立ち、手元の端末をかざす。

 魔力認証が行われ、結界の気配がゆっくりとほどけていく。

 そして扉が、音もなく開かれた。


 中へ足を踏み入れた瞬間、空気の質が変わったのを感じた。

 穏やかな魔力の流れが、足元から天井へと滑らかに巡っている。

 滞在者の魔力にそっと馴染むような、柔らかな受容の気配。

 床には織り込まれた薄布が敷かれており、歩くたび、靴音は魔力布に吸い込まれていく。

 壁には落ち着いた藤色の織物タペストリー。

 そこには、この街の象徴でもある風と布の女神が、流れる線と魔力刺繍で静かに描かれていた。

 その場に立っているだけで、布が人の暮らしとともにある街だということが、言葉ではなく感覚で伝わってくる。


「ようこそ、染布亭クラレットへ」


 受付カウンターの向こうから声をかけられた。

 清潔感のある制服──それもまた魔導布製らしく、着る人の魔力量に応じて温度調整を行う仕組みが組み込まれているらしい。

 対応にあたったのは、二十代半ばほどの穏やかな口調の女性だった。

 髪には細い布の飾り紐が編み込まれており、それが揺れるたびに、かすかな光を反射していた。


「ご予約いただいております、ルシア・フェーン様ですね。本日は、ごゆっくりお過ごしください」


「……ありがとうございます。とても静かで、落ち着いた空間ですね」


「ええ。この宿は、旅人の疲れを癒やすための静けさを第一に設計されています。部屋ごとに空間結界の織り方も違っていて、音や光の調整も自動で行われますよ」


「結界織りで、ですか……なるほど」


 ロビーの奥にはラウンジスペースがあり、昼下がりの陽が差し込む中、数人の客がゆったりと座っていた。

 本を読んでいる者、紅茶を楽しんでいる者──誰もが騒がず、誰もが干渉しない。

 空間が整っているからこそ、人が落ち着いて存在できる。

 そんな静けさが、この宿の隅々に行き届いていた。


「では、お部屋のご案内をいたします。端末をご提示いただけますか?」


「はい、こちらです」


 私はギルド端末を手渡し、宿側の結界端末と接続されるのを見守った。

 魔力認証と支払い処理が、数秒で完了する。


「ご確認ありがとうございます。本日のご利用は《南棟・風の間》となります。 お部屋は五階、結界式の個室です。必要な備品や追加の魔力布などがありましたら、端末からご自由にご注文いただけます」


「……それも、布の魔法ですか?」


「ええ。当宿では、魔力布の結界構成と自律変形技術を活用しています。お気に召されると良いのですが」


 受付の丁寧な笑みに、私は軽く頭を下げた。


「……この街の人たちは、魔法と織物を道具としてではなく、まるで空気のように使っているのですね」


「布と魔法は、日常と祈りのあいだを繋ぐものですから。ご滞在が、良い時間になりますように」


 その言葉は、どこか祝詞のようだった。

 私は鍵情報が転送された端末を受け取り、ゆっくりと階段を上がる。

 布の緩やかな揺れが、階段の踊り場で風を可視化していた。


(……旅をして、服を選んで、こうして宿に泊まって。 少しずつ、当たり前のように)


 四千年前にはなかった日常が、今の私の時間になっている。

 それが、なぜか嬉しかった。



 * * *



 部屋の扉が静かに閉じる。

 割り当てられたのは、《南棟・風の間》。

 高層階の一室──そこには、名の通り風の気配が満ちていた。

 天井近くの四隅には、淡い青磁色の布が軽やかに垂れ、空気の流れをわずかに視覚化している。

 布地に織り込まれた風紋が、結界の魔力に応じてほのかに揺れ、その陰影が壁や床に静かな揺らぎを生んでいた。


(……本当に、心が静かになりますね)


 私はそっと窓際の椅子に腰を下ろす。

 高台から見下ろす夜の街。遠くに灯る無数の光が、まるで波のように広がっていた。

 どこかの建物から流れてくる音楽。

 それすら、風に包まれて静かな揺らぎに変わっていた。

 机の上には、小さな魔力布のランタン。

 光源はなく、布の内側に魔力を編み込むことで発光している。

 手をかざすと、その色合いが淡く変わった。


(……感応式の調光。ここまで細やかに調整できるとは)


 私の時代にはなかった技術。

 けれどそれは、魔法の力そのものが進歩したというよりも、

 人と魔法が寄り添い、穏やかに馴染んでいった結果に思えた。

 私は端末を取り出し、画面を開く。

 そこには、これまでの依頼履歴と、貯蓄の表示。

 生活の足跡が、簡素な数字と文字列で並んでいる。

 名前を持って、服を選び、依頼をこなして、宿に泊まる。

 かつて理想の世界を実現するためにと奮起した私が、今はこうして、名もなき旅人として世界に混じっている。

 不思議な気持ちだった。

 けれど、それは嫌ではなかった。


「………………」


 私は小さく笑い、明かりをひとつ落とし、部屋の静けさに身を委ねる。

 音がないのに、寂しさはなかった。

 誰にも気づかれず、それでも確かに、今ここに自分がいる。

 そう思える夜だった。


(明日は、旅立ちの日)


 次に向かう街の名前を、端末の地図で確認する。

 ルートは明日考えればいい。

 今はただ、この静かな夜を、最後まで味わいたかった。


「……おやすみなさい」


 布に包まれた光と、穏やかな魔力の揺らぎ。

 その中で、私はまぶたを閉じた。

 ノルト=ヴィレルでの夜が、音もなく、幕を下ろしていった。

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