第71話 知らないふりの裏側で
午後の会議が終わると、朱里はそのまま資料を抱えて会議室を出た。
心ここにあらずのまま歩いていると、後ろから田中美鈴が小走りで追いかけてくる。
「ねぇ朱里、さっきの会議中ずっとぼーっとしてたけど、大丈夫?」
「……え、あ、そう?そんなことないよ」
美鈴はじっと朱里の横顔を覗き込み、ニヤリと笑う。
「嘘つけ。あんた、顔に“恋の悩み中”って書いてある」
「そ、そんなこと書いてない!」
「うん、フォント大きめでね。しかも太字」
美鈴の軽口に、朱里は思わず笑ってしまう。
彼女だけは、朱里の強がりを見抜く数少ない友人だった。
「……あのさ」
朱里は、少し声を落として呟く。
「もし、好きな人が……他の子と仲良くしてるの見たら、どうする?」
美鈴は腕を組み、うん、と一拍置いてから答えた。
「んー、私なら……とりあえず、負けたくないって思うかもね」
「負けたくない……」
「そう。だって、それって恋愛ってより“戦い”みたいなとこあるじゃん。
素直に言えないなら、行動で見せればいい」
朱里は黙って頷いた。
行動──それが一番苦手なのに、今の彼女に必要なのも、それだった。
帰り道、ふとスマホを開くと、嵩からメッセージが入っていた。
> 【今夜、少し残業するけど、コーヒー飲みに行かない?】
一瞬、画面が光って見えた気がした。
(え、え、まって……デ、デート……?いや、違う。仕事の延長、仕事の……)
動揺しながらも、朱里は小さく息を吸って、返信を打つ。
> 【行きます。お疲れさまです。】
送信ボタンを押した瞬間、心臓がバクンと跳ねた。
顔が熱くなるのを誤魔化すように、朱里はスカーフを首元にぎゅっと巻く。
(よし……“大嫌い”なんて、今日は言わない)
夜、会社の近くの小さなカフェ。
窓際の席で、嵩は湯気の立つカップを両手で包みながら微笑んだ。
「なんか、久しぶりだな。こうやって二人で話すの」
「そ、そうですか? そんなに久しぶりじゃ……」
「朱里」
名前を呼ばれただけで、ドキリとする。
「最近、少し柔らかくなったな。前はもっと、トゲトゲしてたのに」
「ト、トゲトゲ!? ひ、ひどいですっ」
思わず声が上ずる朱里に、嵩は優しく笑う。
「でも、そういうとこも好きだったけどな」
「っ……! す、好きって、そういう意味じゃないですよね!?」
「どう思う?」
茶化すように言う嵩の笑み。
朱里はもう、顔を上げられなかった。
──その夜、彼女は眠れなかった。




