表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

70/75

第70話 告白じゃない、けれど

翌朝、朱里はいつもより早く出社した。

まだオフィスには数人しかいない。蛍光灯の白い光が少しだけ冷たく感じる。


デスクにコーヒーを置きながら、朱里は昨夜の言葉を思い出していた。


> 「100回言う前に、俺の方が“好き”って言いそうだけど?」




──あれは、冗談だったのか。それとも、少しだけ本音だったのか。


(いや、きっと冗談だよね……。だってあの人、そういうのサラッと言えるタイプだし)


頭ではそう思っても、胸の奥のもやもやは晴れなかった。

メールを打ちながらも、文字が視界の端で揺れて見える。


「おはようございます!」

明るい声がして顔を上げると、瑠奈が笑顔で立っていた。

その手にはコンビニの袋。

「コーヒー、買ってきたんです。先輩の分もありますよ」


「え? あ、ありがとう」

「昨日、平田さんと打ち合わせの帰りに話したんです。朱里さん、ブラック派ですよね?」


(……昨日? やっぱり二人でいたんだ)


朱里は微笑みを浮かべながら、心の中でそっとため息をついた。

瑠奈の無邪気さが、余計に胸をチクリと刺す。


「ありがと。気が利くね」

「いえいえ! あ、今日の午後の会議、私も同席することになりました。がんばります!」

「……うん。がんばろうね」


そう言いつつも、朱里の視線は無意識に嵩の席を探していた。

まだ出社していない。机の上には昨日の資料がそのまま置かれている。


(……また資格の勉強してるのかな)


彼が夜遅くまで図書館に通っていることを、朱里は知っていた。

“努力家”という言葉がこれほど似合う人を、彼女は他に知らない。


けれど──それが余計に遠く感じる。


仕事が始まり、午前中はあっという間に過ぎていった。

昼休み、朱里が資料をまとめていると、ふいに背後から声がした。


「中谷さん、ちょっと時間ある?」


振り向くと、そこに嵩が立っていた。

白いシャツの袖をまくり、穏やかに微笑んでいる。


「……あ、はい」


心臓が一拍遅れて跳ねた。

瑠奈の視線がちらりと二人に向くのが見えたが、朱里は気づかないふりをした。


「昨日のモール、楽しかったな」

「……っ!? ちょ、ちょっと声小さくしてください!」


周囲を見渡す朱里に、嵩は笑いを堪える。

「なんだよ、別に変な意味じゃない」

「こ、こっちはそう聞こえます!」


そのやりとりを見ていた同僚が「仲いいなぁ」と冷やかすように笑った。

朱里は顔を真っ赤にして資料を抱え直す。


「ち、違います! べつにそういうんじゃ……っ!」

「そういうんじゃ?」

「……もう、知らないっ!」


逃げるように会議室へ向かう朱里の背中を、嵩は少し困ったように、でもどこか嬉しそうに見送った。


そして彼女がいなくなったあと、小さく呟く。

「“嫌い”って、言わなくなったな……」


その言葉を聞く者は誰もいなかった。

けれど朱里の心には、確かに小さな変化が芽生えていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ