第67話 ため息ひとつぶんの距離
カフェを出たあと、朱里と嵩は並んでショッピングモールの通路を歩いていた。
人混みのざわめきとアナウンスが、やけに遠く感じる。
隣を歩く嵩の歩幅に合わせながらも、朱里の心はちぐはぐなままだった。
「なぁ、朱里。さっきのカフェ、気に入った?」
「うん、美味しかったよ。ラテアート、かわいかったし」
言葉のトーンはいつも通り──でも、笑顔は少し引きつっていた。
嵩はそんな彼女の表情を横目で見て、小さく眉を寄せた。
「なんか、怒ってる?」
「怒ってないよ」
「……嘘」
淡々とした嵩の一言に、朱里は足を止めた。
彼は少しだけ前に出て、振り返る。その穏やかな目が、朱里にはやけにまっすぐに見えた。
「朱里って、分かりやすいからさ」
「なにそれ。別に、全然分かってないくせに」
「分かるよ。俺のこと、ちょっとムカついてるんだろ?」
図星を突かれて、朱里は思わず視線をそらした。
けれど、それを認めるのも悔しい。
「……ムカついてなんかない。ただ……」
「ただ?」
「“望月さんが刺激になる”とか、そういう言い方するのやめて。なんか、嫌なの」
その言葉が出た瞬間、空気が止まった。
通路を行き交う人々のざわめきが、遠くに霞む。
朱里の頬はほんのり赤く、唇が震えていた。
嵩は数秒黙ってから、ふっと息をついた。
「……そっか。ごめん」
意外なほど素直な謝罪だった。
朱里は拍子抜けして、ぽかんと嵩の顔を見上げる。
「謝るの、早くない?」
「だって、朱里がそう感じたなら、それは俺の配慮不足だろ」
「……そういうとこ、ズルい」
「ズルい?」
「そう。そうやってすぐ“ごめん”って言うから、怒る気なくなるんだよ」
嵩が苦笑する。
「俺なりに反省してるのに、それもダメ?」
「……ダメじゃないけど、ムカつく」
二人して顔を見合わせて、同時に笑ってしまった。
その瞬間、胸の中のわだかまりが少しだけほどけていく。
けれど──。
その穏やかな時間の中で、朱里のスマホが震えた。
画面には「望月瑠奈」の名前。
嵩もそれに気づき、無言になる。
朱里は戸惑いながら、画面をタップした。
『こんにちは、中谷先輩。今、平田先輩と一緒ですか? もし可能なら、少しだけお話ししたいことがあって……』
メッセージの文字を見つめたまま、朱里の喉がひゅっと鳴る。
胸の奥で、小さな嫉妬が再び息を吹き返した。
「……瑠奈ちゃんから?」
嵩の低い声。朱里は曖昧に頷いた。
二人の間に、また少し距離ができる。
たった“ため息ひとつぶん”の距離が、こんなにも遠いなんて──。