第64話 予感とため息
朝、鏡の前で髪を整えながら、私は自分の顔をじっと見つめた。
……なんか、疲れてる。目の下のクマが微妙に主張してる気がする。
「ま、いっか。社会人の勲章ってことで」
無理やりポジティブに言ってみたけれど、口角は上がらなかった。
昨日の夜、ふとスマホを開いたときに見てしまったのだ。
社内ポータルの写真──休日の勉強会で、瑠奈が嵩と並んで笑っている。
背景にはカフェの白い壁と、本やノートが散らばったテーブル。
もう、それだけで充分だった。眠れなくなる理由としては。
「……勉強会、ねぇ」
つぶやく声は、自分でも呆れるほど低かった。
診断士に合格した嵩が、今度は瑠奈の勉強を見てあげているらしい。
休日に、カフェで、二人きりで。
そんなの、もう“勉強”というより、“恋の予習”ではないですか。
出勤途中の電車でも、私はスマホを開いたまま、何度もため息をついた。
通知には、グループチャットで瑠奈が送ったメッセージが浮かんでいる。
> 「平田先輩って、本当に教え方上手なんですよ~!
今日も“理解力が高い子だな”って褒められちゃいました♡」
絵文字がまぶしい。
私はそっとスマホを伏せ、車窓の外に視線を逸らした。
“理解力が高い子”って、なにその会話。
私だって褒められたかった。
でも嵩の前で「教えてください」なんて、恥ずかしくて言えるわけない。
職場に着くと、ちょうど嵩と瑠奈がエレベーターの前で話していた。
私は咄嗟にスマホを取り出し、知らないフリで画面を見つめたまま通り過ぎようとする。
けれど、嵩がこちらに気づいて、軽く手を上げた。
「おはよう、中谷」
「……おはようございます、平田先輩」
心臓の鼓動が速くなる。
自然に挨拶したつもりが、声がほんの少しだけ上ずっていた。
瑠奈はというと、隣でにこにこと笑っている。
「中谷先輩、おはようございます!
昨日の勉強会、すごく楽しかったんですよ~」
その言葉に、私の中の“こじらせセンサー”がピクリと反応した。
笑顔で返したけど、内心ではもう嵩の顔もまともに見られなかった。
(なにが“勉強会”よ。どうせ、“恋バナ会”でしょ……)
そんな毒を心の中でこっそり吐きながら、自分の席に向かう。
パソコンを立ち上げ、コーヒーを一口。
ほんのり苦い味が、今の私にちょうどいい。
そのとき、美鈴からチャットが飛んできた。
> 『朝から顔が“恋愛戦争中”って書いてあるよ』
(……やっぱり、顔に出てる?)
ため息をひとつ。
モニターの光が少し滲んで見えた。
今日も、長い一日になりそうだ。