第63話 距離、10センチの会話
午後の陽射しが、ガラス越しにテーブルへ柔らかく降り注いでいた。
ショッピングモールの中にあるカフェは、休日の喧騒を少しだけ遮断してくれる。二人席のテーブルを挟んで、朱里と嵩が向かい合っていた。
「……やっぱり、ここのカフェ、混むね」
「休日だからな。待たされたけど、朱里が行きたいって言ったから、しょうがないか」
「なによ、それ。わたしのせいみたいに言わないでよ」
そう言いながらも、朱里の声にはどこか柔らかい笑みが混じっている。
大きめのマグカップに入ったカフェラテの泡を、スプーンでくるくると回す。
「……こうして先輩といると、仕事のこと、忘れそうになる」
「おいおい、忘れたら困るだろ。試験勉強もしてるんだろ?」
「うっ……そうだった。言わないでよ、思い出すじゃん」
「ははっ。まあ、頑張ってるのは知ってる。お前、なんだかんだで努力家だし」
ふいに嵩の声が優しくなった。
朱里は、スプーンを止めて視線を落とす。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
どうしてこんな言葉ひとつで、心が揺れるんだろう。
「……ねぇ、先輩」
「ん?」
「わたしさ、“大嫌い”って言い過ぎてるかな」
「は?」
突然の言葉に、嵩が目を瞬かせる。
「いや、その……つい口癖で言っちゃうけど、本気じゃないんだよ?」
「知ってるよ。お前の“大嫌い”って、“好き”の裏返しみたいなもんだろ」
「ちょ、ちょっと! なに勝手に分析してんの!」
朱里の顔がみるみる赤くなる。
嵩は笑いながら、カップを口に運んだ。
「……だったら、俺も言うぞ」
「え?」
「朱里、大嫌い」
「……っ!」
一瞬、空気が止まる。
でもその目が、まっすぐ優しい色をしているから、怒れない。
朱里は唇を尖らせて、ストローをくわえた。
「……やっぱり、今のナシ」
「なんで?」
「だって、死ぬほど“好き”に聞こえたから」
その一言で、嵩がわずかに口角を上げる。
距離にすれば、たった10センチ。
けれど、心の距離はそれ以上に近づいているのを、朱里は感じていた。
 




