表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。  作者: 菊池まりな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

164/171

第164話 まだ言葉にならない距離

瑠奈の一言が去ったあとも、フロアの空気は元に戻らなかった。


誰もが“聞いてしまったもの”を胸の奥にしまい


直すように、キーボードを叩く音だけが不自然に大きく響いている。


朱里は、画面を見つめたまま、指を動かしていた。


数字も文言も、頭には入ってこない。


それでも手だけは、いつも通りに動いてしまう。


──転勤。


はっきりした言葉は、まだ誰からも聞いていない。


けれど、嵩の背中が、今日はやけに遠く見えた。


昼過ぎ、コピー機の前で、朱里は美鈴と並んだ。


用紙をセットする手が、わずかに震えているのを、美鈴は見逃さなかった。


「……朱里」


名前を呼ばれて、朱里は小さく肩をすくめる。


「大丈夫です。仕事、溜まってるだけで」


美鈴は、それ以上踏み込まなかった。


今の朱里には、“優しさ”より“余白”が必要だと分かっていたから。


コピー機が低い音を立てて動く。


その間、朱里はぽつりと呟いた。


「聞いたら、何かが終わる気がして」


美鈴は、紙を受け取りながら、静かに答えた。


「聞かなきゃ、始まらないこともある」


朱里は、何も返さなかった。


ただ、コピー用紙を胸に抱え、深く息を吸った。


夕方。


嵩は、何度目か分からないため息をつき、スマートフォンを手に取った。


朱里にメッセージを送る文面は、打っては消し、消しては打ち直す。


──今夜、少し話せる?


それだけの一文が、どうしてこんなにも重い。


送信ボタンを押す直前、視界の端で朱里が立ち

上がるのが見えた。


バッグを手に、誰よりも早く帰り支度をしている。


「朱里」


思わず、声が出た。


振り返った彼女は、いつもの朱里だった。


笑顔も、声の調子も。


ただ、目の奥だけが、静かに揺れている。


「お先に失礼します」


それだけ言って、彼女はフロアを出ていった。


嵩は、その背中を追わなかった。


追えなかった。


“言う”と決めたはずなのに。


“今日”だと、心のどこかで思っていたはずなのに。


夜、部屋に戻った朱里は、灯りをつけずにソファに座った。


カーテン越しの街の光が、ぼんやりと部屋を照らす。


スマートフォンは、静かなままだ。


朱里は膝の上で手を組み、そっと目を閉じた。


──明日でもいい。

──でも、もう、逃げない。


そう心の中で決めた瞬間、胸の奥に、覚悟が静かに降りてきた。


言葉になる前の距離は、もう、限界だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ