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大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。  作者: 菊池まりな


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155/171

第155話 まだ聞いていない話ほど、音を立てて近づく

それは、会議の終わり際だった。


「──あ、そういえば」


課長が資料を閉じながら、何気ない口調で言った。


「来月の人事異動、最終調整に入ってます。

 正式発表はもう少し先ですが、各部署、引き継ぎの準備だけは進めておいてください」


その一言で、空気がほんの少しだけ張り詰めた。


“来月”“人事異動”。


朱里の指が、無意識にペンを握り直す。


(……来月?)


ざわ、と小さな波が広がる。


「今回、動く人多いらしいですよ」


「営業、地方出るって噂ありますよね」


「え、誰が?」


──噂は、形を持たないまま、具体性だけを増していく。


朱里は、視線を落としたまま、聞いているふりをしていた。


聞きたくないわけじゃない。


でも、聞いてしまったら、何かが決定的になる気がして。


ふと、顔を上げると。


斜め前の席で、嵩が静かに資料をまとめていた。


表情は変わらない。


いつも通り、落ち着いていて、冷静で。


──でも。


朱里には分かってしまった。


嵩は、この話題を“初耳”として聞いていない。


昼休み。


給湯室で、望月瑠奈が声を潜める。


「ねえ、中谷さん」


「はい?」


「……平田さん、動くって話、聞いてます?」


一瞬、呼吸が止まる。


「え?」


「営業のエース枠、地方支社に一人送るって。

 条件、完全一致なんですよね」


軽い口調。


悪意はない。


でも、容赦がなかった。


「私、まだ何も……」


朱里がそう言うと、瑠奈は少しだけ目を丸くした。


「あ、そっか。

 本人からは、まだなんだ」


──その言い方。


「まだ」。


朱里の胸に、嫌な重さが落ちる。


午後の仕事は、正直、あまり頭に入ってこなかった。


数字を確認しながらも、


メールを打ちながらも、


思考は何度も同じところに戻る。


(転勤……?

 じゃあ、昨日の“また明日”は……?)


逃げないって決めた。


怖いって言うって決めた。


でも、


“時間が限られているかもしれない”ことは、


まだ覚悟していなかった。


定時前。


美鈴が、朱里のデスク横に立つ。


「中谷さん」


「はい」


「……今日、帰り、一人で大丈夫?」


それだけで、察しているのが分かる。


朱里は、小さく笑った。


「大丈夫です。

 ……でも、帰りは一緒に帰ります」


「そう」


美鈴はそれ以上何も言わない。


言わないけれど、確実に“準備”をしている目だった。


定時。


エレベーター前で、嵩が声をかけてくる。


「……一緒に、帰れる?」


朱里は頷く。


並んで歩き出してから、しばらく沈黙が続く。


昨日までの“心地いい沈黙”とは違う。


言葉が、喉の奥で渋滞している沈黙。


耐えきれず、朱里が口を開く。


「……今日、人事異動の話、出ましたね」


嵩の足が、ほんの一瞬だけ遅れた。


「うん」


否定しない。


誤魔化さない。


それが、何よりの答えだった。


「……何か、聞いてますか?」


問いは、震えていなかった。


でも、覚悟を要する声だった。


嵩は、少しだけ空を見上げてから言う。


「正式じゃない。

 でも……可能性は、ある」


胸が、ぎゅっと締め付けられる。


「……どこ、ですか?」


「まだ、言えない」


その言葉は、拒絶じゃなかった。


むしろ、“守ろうとしている”響きだった。


「決まったら、ちゃんと話す。

 逃げないって、言っただろ?」


朱里は、立ち止まらずに歩きながら、答える。


「……はい」


怖い。


昨日より、ずっと。


でも。


(言わなかったら、きっと後悔していた)


その言葉が、今も支えになっている。


転勤の話は、もう噂じゃない。


職場の空気が、それを証明している。


それでも──


今は、隣を歩いている。


その事実だけを、朱里は大事に抱えた。


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