第82話 異世界唯一のシチュエーションボイス
『ケンちゃんボイスを配布するぅ?』
ケンちゃん交尾バトルロワイヤルから一週間。
取り戻したお城は整備中で入れず、現在は仮住まいとして魔王城にお世話になっていた。
『なんでそんな面倒くさいことをケンちゃんにやらせなきゃならんのだ!』
そんな穏やかな昼下がり、アウラから教えてもらった『魔獣の森消失事件』の整理をしていると、魔王様からのお呼びがかかった。
「実はケンちゃんが”エルフの森”に赴いていた影響で、魔新聞のケンちゃんコーナーが些か薄くなっていてな。その穴埋めのために何かしないとまずいのだ」
「なるほど……ちなみに、その薄い内容の魔新聞にはどの様なことが書かれていたんですか?ケンちゃんに関する情報なら、どんなものでも飛びつくと思いますが」
「ああ、ケンちゃんは肺で呼吸してるとか、毒を口にしたら死ぬとか、睡眠時間は8時間とか、そんな内容ばかりであったな」
『なんじゃそのゴミみたいな情報は!わしでももっとマシなこと書けるぞ!』
あまりにも的外れな情報の連続に、思わず声に出してツッコミを入れてしまった。
「そんなことを言われても、ケンちゃんが不在だったのだから仕方ないであろう。むしろ、毎日6ページを埋めたことを褒めるがよい」
『だとしてもセンスがないのう。なんじゃ「毒を食べたら死ぬ」って。もっと興奮するような情報じゃないと誰も納得せんじゃろ』
「だ、黙るがよい!とにかくこのまま放置すれば、また魔界の住民がケンちゃん不足で暴走するであろう。次の反乱を未然に防ぐためにも、我々がケンちゃんの供給を増やして先手を打たねばならんのだ」
そう宣言する魔王様の言葉には、断固たる決意と威厳が満ちていた。
まぁ、ケンちゃん不足でどうしても暴れたくなる気持ちは理解できる。
あの、頭の中が徐々に白く染まっていくような――思考が霧に包まれるあの状態は何とも耐えがたい最悪の感覚じゃからな。
『とはいえ、行動に起こす前にもう少し冷静になってほしいのう』
ちなみに、唯一ケンちゃんに会えるケンちゃん園は、わしが仕様変更を頼んだせいで今は閉園しておる。
一般市民がケンちゃんと再会できるまであと数日かかると考えれば、ケンちゃんに一肌脱いでもらうしかなさそうじゃな。
『概ねわかったが……その“ケンちゃんボイスの配布”?とやらは、いったい何をするのじゃ?』
「ふむ。平たく言えば、ケンちゃんの声が流れる魔法具を各家庭に授ける施策だ」
「おぉ……それはまたすごいのう。だがそんなこと可能なのか?映像を映す魔法具は滅多に手に入らんほど高価だったはずじゃが」
わしがケンちゃん映画を流すために手に入れた映像魔法具も、それはもう目玉が飛び出るほどの高額品だった。
とてもじゃないが、一般市民が個人で手に入れられるものではない。
町の者たちが無理を承知でお金を出し合って、ようやく一台手に入る――まさにそういうレベルじゃろう。
「実はケンちゃんの影響で、魔界の映画業界が大いに盛り上がっておってな。ドワーフたちしか作れん“映像を映す・記録する魔法具”を大量生産できるよう研究を進めているのだ」
『はえ~初耳じゃ』
「今言ったからな。その努力の甲斐あって、音声のみを流す装置の大量生産に成功した。今回の施策はその第一段階としての実験も兼ねておるのだ」
てっきり魔王様の欲望を満たすためだけの軽い提案かと思っていたが、結構大がかりな計画だったのじゃな。
「魔界の政治をこなしながら、そんなことまでしていたのですね……お連れ様です」
「吾輩は魔王であるからな。魔界の民が、少しでも幸せに暮らせるよう導くのは当然の務めよ」
「さすがは魔王様……どこかのぐうたら城主にも、ぜひ見習っていただきたいものです」
『っておい!わしの領地はちゃんと経済が回っておるし、ケンちゃんが来たことで住民も笑顔じゃぞ!』
「はぁ……そうなるよう全部私が指揮してるの、理解して言ってます?」
ラミィは、鋭く冷ややかな視線をこちらに向けている。
「今月の税収計画だって、私が一から考えたんですよ?」
『ふっふっふ! ラミィよ、世の中には“適材適所”という素晴らしい言葉があるのじゃ。わしが税やら事業やらを考えるより、お主に任せた方が何倍もうまくいくのじゃよ』
「そんな情けないことをドヤ顔で言わないでください!」
今度は眉を深くひそめ、心底呆れた様子で言葉を返してくる。
ふん!何事も結果がよければすべて良しなのじゃ!
それに、わしにはケンちゃんが幸せに過ごしているか見守るという大事な役目がある。
今日だって、ケンちゃんが熱いスープで火傷しないように、丁寧にフーフーしたのだからな!
とっっっても大事な業務なのじゃ!
「はぁ……あんまりひどいとお母様に言いつけますよ?」
『な……そ、そういえばアウラの奴は今どこにおるのじゃ?忌まわしきことに、ケンちゃんが【アウラ……アウラ……】と呟いて悲しそうな顔をするのじゃ』
この話題では分が悪い――そう察したわしは、露骨に焦りながらも話題をすり替えた。
厳しいお母様が城に戻ってきたら絶対に面倒くさい事態になるからのう。
「言われてみれば、確かにアウラ様の姿を見ませんね。ケンちゃんと二週ぶりに再会して、あれほど嬉しそうにしていたというのに……」
「あぁアウラか……なに、心配するな。あいつは現在、吾輩の命令で重要な任務にあたっておる。きっとあいつにとっても有意義な時間となるだろうな……ふっ」
交尾の立ち合いから姿を見せんと思えば、そんな任務に就いておったのか。あやつも意外と忙しい身じゃのう。
「では、早速ケンちゃんを呼んでくるがよい。今この場で録音を始めるぞ!」
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カチッ……
「ふぅ……録音はこれで終了だ。フィーリア、貴様のテレパシーがあったおかげで、ケンちゃんに余計な負担をかけずに音声を残すことができたのだ。ご苦労である」
「い、いえ。そんなの、私にとっては朝飯前ですよ〜」
そんな言葉とは裏腹に、彼女は気持ち悪い笑みを浮かべてドヤ顔をしていた。
ふむ……エルフはもっと気品ある生き物と記憶していたが気のせいだったか?
ケンちゃんの写真を持ってうろついているそこら辺の変態魔族と同じ顔をしているが……
「まぁよい。後のことはこちらでドワーフに製作を任せておく。貴様は部屋に戻りゆっくりと休むがよい」
「はい……失礼しました」
ガチャ……カチ!
【おはようございます。ケンちゃんです。元気ですか?】
「ふふ……ふふふ……♡ケンちゃん♡」
エルフが部屋を出た瞬間、取り立てほやほやのケンちゃんボイスを耳元で流す。
その声は、吾輩の性癖を存分に盛り込んだ甘々なセリフを、じっくり丁寧に読み上げている。
「ふふ♡どんな言葉も言わせたい放題♡」
この現状を認識するだけで、頭を何度も殴られているかのような衝撃を受ける。ここが楽園であったか……♡
「ふぅ……♡だがこれでは些か過剰すぎるな。このままでは昂った感情が『私ってケンちゃんと結婚してるかもしれない!会ってハメて確かめなければ!』っと暴走するであろう」
実際この音声を聞いただけで、ケンちゃんと結婚していない現実が悔しくてたまらなくなる。
なぜ魔王である吾輩が、彼とのイチャイチャラブラブの甘い生活に身を投じられていないのだ!
毎日毎日こんなにも努力しているのに!交尾だってしたかったのに!
「そうだ!ならば嫌がらせ……ではなく、魔界の秩序を守るためにこのシーンを入れるべきだな。ケンちゃん、少し痛いかもしれないが我慢するのだぞ?」
「ふにゃ?」




