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閑話 待機組はもうおしまい

「ケンちゃ~ん!私特性ウサギの煮付けですよ~。愛情たっぷり込めたから、よ~くカミカミして食べてね♡」


 パク……モグモグ……。


「美味しい?ね、ね?美味しいって言って……言ってくれるよね?」


「…………美味しいです」


「その不細工な声で喋んじゃねぇ!」


「えぇ!?でも、そっちが言えって……」


「うるせぇ!私の想像のケンちゃんが汚れるだろう!ここは潤んだ瞳で上目遣いして、無言で【コクッ……】っと頷く場面だろうが!」


「す、すみません!」


 理不尽だとわかっていながら、その勢いに気圧されて謝ってしまう。


「だから喋んな!お前はケンちゃんの写真を顔に着けてじっとしてればいいんだよ!次喋ったらその口縫い合わせるぞ!」


 ここは、四天王の幹部として名を馳せるルナ様が治める由緒正しき城。


 普段なら、ケンちゃんの匂いをひと嗅ぎして活力を得た我ら獣人族によって、礼儀正しく粛々と城内の仕事に励んでいる光景が見られる……のだが。


<ケンちゃ~ん!ケンちゃんに会いたいよ~!なんで2週間もいないの!あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”!


<ケンちゃんのお風呂上がりの写真が一枚……ケンちゃんが欠伸をして小さいお口を露出する写真が二枚……やっぱり一枚足りない!!!


<スプーンも服も下着も――ケンちゃんの残り香が残っていた貴重な遺産を全部処分するなんて……いくらルナ様でも許せない!


<そうです!そのせいでこっちは、ケンちゃんが座った椅子を巡って、血で血を洗う椅子取りゲームですよ!


 1週間ほど前、ルナ様がケンちゃんを慰安旅行に連れ出してからというもの、城内はこの有様だ。


 稼働している生存者は全体の一割ほど。


 主人が不在の為、簡単な仕事がないのが唯一の救いだが、それがかえって時間を持て余し、皆が皆ケンちゃんロスに陥っている。


「せっかく身長が近いって理由であなたをケンちゃん役に選んだのに、なにそのやる気のない態度!そもそもケンちゃんはね!そんなメス臭い匂いなんてしないし、ビクビクオドオドなんてしないし、もっと純粋で天使みたいにカワイイの!!」


「そんなこと言われましても……」


 そして私は、狂ってしまった人たちに正気を取り戻してもらおうと、一人ひとりに声をかけて回っているですが……今ではどうして関わってしまったのかと、ひどく後悔してます。


 だって彼女たち、もう常識なんてとうに手放してるんです!見えないものを見ようと、狂気に取り憑かれたみたいな目で笑ってて……正直、怖いんですよ!


「やはり私一人じゃ無理です……こうなったら仕方ありません!」


 ポイ………!


 私は懐からジップロックに密封された物体を取り出す。そしてそれをためらいながら地面に放り投げた。


「お前何を投げたんだ?クンクン……お”っ!先っぽから……ケンちゃんの匂いがするぅっ!!」


 私が投げたのは、配膳係の時にこっそり盗んでおいたケンちゃんの使用済みスプーン。


 スープを飲んだ後にすぐ回収したから、しっかり“ケンちゃん成分”が染みこんでいる。


「こ、これを舐めたら……ケ、ケンちゃんと間接キスが可能!? はぁっ……♡ はぁぁっ……♡そんなのもう交尾じゃん♡」


 スプーンを拾っただけなのに先輩の理性はいとも簡単に壊れ、尻尾を振り回しながら狂ったように笑っている。


 ポタ……ポタ……


 地面には垂れ続けるよだれが小さな池のように溜まり、ぬらりと光っていた。


<クンクン……この匂い芳醇で下半身をイラつかせる匂いは……


<おい!こいつケンちゃんの使用済みスプーン持ってるぞ!奪え!!


<は?こっちはケンちゃんが触った机の角で我慢しているのに、そんなチートアイテムを使えるなんてずるい!それを寄こしなさい!


 この魑魅魍魎が跳梁する空間で、そんな”お宝”を取り出せばどうなるかは火を見るより明らか。

 案の定、亡者たちが一斉に飛びかかり、スプーンをめぐる乱闘が勃発。


「その手を離しなさい!抵抗するなら腕ごと貰うわよ!」


 獣人族の野生がむき出しとなり、引っかき、噛みつき、押し倒し、髪をつかんでは床に叩きつける――耳を塞ぎたくなるよう音と共に、血とよだれが宙を舞う。


「今のうちに逃げましょう……うっ、バイバイ。私のケンちゃん……」


 価値を失った家宝に別れを告げて、私はエントランスへと続く扉に手をかけた。


 きっと一人くらい、まともな人がいるはずです。その人たちと協力すればもしかすると……


 ガチャ……


「皆さん!助けてくだ……」


 モワ~ン♡


「う、なにこれ……変なにおい」


 扉を開けた瞬間、押し寄せてきたのはツンと鼻に刺さるような甘酸っぱいにおい。


 空気がねっとりと顔に纏わり付くようで、思わず顔をしかめてしまう。


<ケンちゃん!こっち見て!私がどれだけ毎日ケンちゃんの料理に愛を注いでるか知らないでしょ!?本当はスープの中にXXXを入れて“もっと”ケンちゃんの中に私を刻みたいけど……料理人の誇りで抑えてるのよ!!だから!だからぁ……誉めてよぉ……!!


<交尾本で見ました!人間族は年中発情期らしいですね!おかげでこっちは目も見るたびに【あ、急にケンちゃんが駆け寄ってきて、へこへこと交尾アピールされたらどうしよう♡】って想像しちゃうんです!発情期の日じゃないのに毎日発情期ですよ!


<ケンちゃん♡ケンちゃん♡ケンちゃん♡ケンちゃん♡ケンちゃん♡ケンちゃん♡ケンちゃん♡ケンちゃん♡ケンちゃん♡ケンちゃん♡ケンちゃん♡


「あぁ……そうでした。エントランスは今、ケンちゃん上映会の真っ最中でした」


 扉の先では、ルナ様がケンちゃんグッズの売上で購入した射影機によって、まだルーミアさんに渡していない極秘映像が延々と流れている。


「ふふ……ケンちゃん♡」


 みんなが思い思いの道具を手に持ち、映像を見つめるせいで床はもう大惨事。足の踏み場のない程ビチャビチャに汚れていた。


「ケンちゃんがいないだけで……いえ、いないからこそ“オスに見られてる”って意識が消え失せてしまったのでしょう。皆、タガが外れて暴走してます」


 一度肉の味を覚えた獣が二度と草食には戻れないように、私たちはケンちゃんという魅惑を知ってしまった。

 知ってしまったからには、もうケンちゃん抜きでは生きられない。体が勝手にケンちゃんを求めて暴走をする……


【ケンちゃ~んこっちを向くんじゃ。お、モグモグしていて可愛いのう】


【なんじゃ手招きなんかして……何かしてほしいのか?ふふ、ケンちゃんは手も爪も小さくてかわいいのう♡】


 スクリーンには、まるで私を誘っているかのように小悪魔的な笑みを浮かべるケンちゃんが映し出されていた。


「いっそ私も……」


 キュン♡キュン♡……ポチャアアアン♡


 そうだ……みんな変なんだから、我慢している方が変なんだ。


 むしろこれは、私たちへの休暇だ。ケンちゃんの私物をそっと懐に忍ばせ、頭皮の香りにうっとりしながらも、襲わずに耐えてきた――そんな苦しい日常を送ってきた私たちへのご褒美だ。


「グへへ……♡」


 ならば理性など棄て去り、ただケンちゃんという蜜に溺れ尽くす――それこそが、この楽園での唯一にして絶対の礼儀。


「私もさっきのスプーンを取り返して……いえ、一度ここで済ませましょう♡」


 楽に溺れていく皆に習うよう、下半身に手を伸ばしてこの祭りに参戦しようとした時……





 ドカーン!!!





 玄関が爆発した……。



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次回から3章です。


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