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第67話 あなたの分まで幸せになります

『うぅ……朝起きたら森の中で全裸だったし、頭も喉も痛い。たぶん獣化して遠吠えでもしていたんじゃろうなぁ』


 夜明け直後の薄明かりの中、僕はぼんやりと目をこすりながら眠気を払う。


『これはもう、ケンちゃんの癒しパワーにすがるしかないのじゃ!』


スリスリ……


 そんな僕をルナさんがそっと優しく抱きしめ、体をこすりつけてくる。

 太陽の匂いがする柔らかな体温が心地よくて、なんだか眠ってしまいそうだ。


「ふわあぁ……んぐっ!?」


 だが、気持ちよく欠伸をした瞬間、ルナさんの指が不意に僕の口の中へと滑り込んでくる。

 止めてほしくてガシガシと指を噛んでみるが、ルナさんは微笑んだまま指を引っ込めようとしない。


『おほっ♡ヌメヌメの舌がなかなかに心地よいのう♡交尾をするときの妄想がはかどるのじゃ』


「…………何しているですか?」


『最近ケンちゃんの口の中に指を入れるのがマイブームなのじゃ。アウラによると、人間も獣人も乳を飲んで育つらしいからな。こうしておれば、昔を思い出して癒されると思ってのう』


 ガシガシ!


「それにしてはすごく嫌な顔してますけど………一度ケンちゃんに聞いてみたらどうですか?言葉もそれなりに覚えましたし」


『確かにな……ケンちゃん?これ、どうじゃ?いい感じかのう?』


 指を口から引っこ抜いたと思ったら、悪びれる様子もなく「気持ちよかったか?」なんて聞いてきた。

 まだ言葉は完全に覚えきれてないから、本当にそう言ってるかは確実ではないけど。


『嬉しいかったよな!そうじゃったよな!』


 えっと確か、不機嫌な気持ちを伝えたいときは……


「コロス!」


『おい!誰じゃケンちゃんに物騒な言葉を教えた愚か者は!?ケンちゃんは笑顔がかわいい天使!汚い言葉なんて使わんのじゃぞ!?殺す!そんな悪影響を与えたやつを絶対に見つけて殺す!』


「…………ルナ様が原因では?」


『えっ!?つまりケンちゃんはわしのことを真似して言葉を学んだということか!』


 耳元でルナさんが驚きの声をあげ、その震えが腕を通して伝わってくる。


『ふふふ、そう思うとケンちゃんの罵倒も可愛く感じてきたのう♡ケンちゃん。もう一度コロス………って言ってくれぬかのう♡』


「ルナ………キモい」


 ガシッ!


『そ、それを言われると立ち直れないから二度と口にするんじゃない………わかったかのう?』


 コクコク……


 さっきの言葉は、手つきがいやらしいことへの拒絶のつもりだったけど……どうやらルナさんにとっては地雷ワードだったらしい。


 やっぱり、言語を完全に覚えるまでは、余計なことは言わないほうがいいかもな。


「ケンちゃんも可哀想に……あ、村長様。こちらから準備は整っております。いつでも出発可能です」


 馬車のそばで出発の準備を進める僕たちの前に、見送りに詰めかけたエルフたちの群れをかき分けながら、村長が姿を現した。


「皆さまお忘れ物はございませんか?一度村の外へ出られますと、中へは戻れなくなりますのでどうかご注意ください」


「特には問題ないかと……ケンちゃんも、ちゃんと本物のゴン様を持っていますか?」


「イル……デモ……ヤルキナイ」


「コン……」


 僕は、腕の中で耳と尻尾をしょんぼりと垂らしているゴンさんのお腹をそっともみもみする。


 普段ならいたずらっぽく僕の首にかみついたり、ふわふわの尻尾で顔をくすぐったりしてくるのに、今日は静かに身を任せているだけ。


 誘拐事件以来ずっとこんな調子で心配だ。

 帰ったらお医者さんのアウラさんに相談しよう。僕の病気を治した名医だからすぐに解決してくるはずだ。


「アレ……?フィーリア……イナイ」


『む、言われてみればいないのう』


 村長さんと一緒に見送りに来てくれると思っていたのに、辺りを見渡してもフィーリアさんの姿は見つからない。


「ごめんなさいケンちゃん。先ほどフィーリアに声をかけたのですが返事がなくて……おそらく寝ているかと」


「そうなのですね。せめて最後に、ひと言だけでもお別れを伝えたかったのですが……残念です」


「フィーリア……オワカレ」


 会えないという現実が、静かに胸の中に寂しさを落としていく。


 昨日お祭りが終わったあと、覚えたばかりのお別れの言葉を伝えようとしていたのに、気づけば劇の最中に眠ってしまっていた。

 あんなに親切にしてもらったのだから、ありがとう」だけは伝えたかったな。


『そんなに落ち込まなくて大丈夫じゃ!一生会えないわけじゃないし、またここに戻ってくることになるじゃろ。さあ、ケンちゃん!一緒に馬車に乗ろうね~』


 ルナさんは優しい声でそう言うと、そっと僕を抱きかかえて檻付きの馬車へと運び入れた。


『はぁ……はぁ……♡ 久しぶりの生ケンちゃんの匂いに脳がとろけそうじゃのう。ふふふ、続きは家でゆっくり堪能するかの。早速出発じゃ!』


「この2週間大変お世話になりました。誘拐事件はありましたが幸い一件だけで済んでよかったです。魔王様には、ケンちゃんの慰安が無事に果たせた旨を、ご報告させていただきます」


ガタガタ……

 

 ラミィさんが最後に馬車に乗り込むと、ガタガタと音を立てて馬車が動き出す。


「(どんどん村が小さくなっていくなぁ……ん?あれって?)」


「ま、待ってくださ~~い!わた……わたしもついていきます~寝坊しただけなんですぅぅぅぅ!!!!」


 ガタガタ……


「む……ラミィ。なんか声が聞こえんかったか?」


「いえ、私にはまったく聞こえませんでしたが………」


「はぁ……はぁ……やば……ひ、久しぶりに走ったから横腹が痛い……ま、待って~」


 声のする方に目を凝らすと、青ざめた顔で走るフィーリアさんがいた。バランスを崩したような無様なフォームでこちらを追いかけてくる。

 表情は必死そのものだが、このペースでは一生かかっても追いつかれそうにない。


「はぁ……全くあの子はしょうがない子だね。【ウィングロード】」


 びゅうううううう!!!


「お、お母さん……って……わっ……わわわわああああ!!!」


 ドスーン!


「いたたた………」


 急に突風が吹き荒れたかと思うと、フィーリアさんがロケットのような勢いで突っ込んできて、顔面から馬車に激突する。

 景色が見たくて鉄格子を開けておいてよかった。


「フィーリア~あんたの食費、ばかにならないんだから、もう二度と帰ってくるんじゃないよ~」


「う、余計なことを大声で言わないでほしい……です。まるで私が大食いだとケンちゃんに勘違いされちゃいます。いたたた………腰が」


 ガチャ……


『ケンちゃ~ん、さっきからうるさいけど……って、なんでおぬしがいるのじゃ!』


「あ、ど、どうも!」


『どうも……じゃないわ!何勝手に馬車に乗っておる!すぐに降りろ!』


 ルナさんが腕を掴み、走行中の馬車から強引に引きずり下ろそうとする。


「そ、それはあんまりですよ!今の雰囲気で村に帰ったら今度こそ村中の笑いものです!そ、それに、ラミィさんが付いてこいって言ったから私来たんです!私が馬に乗った時点で返品不可です!」


『む……そうなのか?ラミィ~ちょっと来る……のは体格的に無理か』


「ほ、本当に誘われたんです!”ケンちゃんのお世話係として一緒に来ない?君は魔界でも稀有な才能の持ち主で、ここで逃したら私は一生後悔する”……とかなん言われました!」


『ラミィがそんな言葉を口にするとは到底思えんが……まあ、フィーリアならいいかのう』


 どこか諦めたようにため息をつき、掴んだ腕を離す。


「ルナさん……私のことをそんなに信頼しているなんて……私今、心から感動しています!」


『いや、ただ単におぬしは隠し事ができるような大層な人物じゃないだけじゃ。エルフ族の刺客にしては頼りないし、すぐボコボコに出来るからな!』


「うぅ……酷い……です」


『あ、でもやっぱりケンちゃん本人からの了承を得ないとダメじゃ。もし拒否られたらそのままぶん投げるからよろしく頼むぞ?』


「そ、そればっかりは仕方ありませんね……わかりました」


 フィーリアさんはルナさんと何か話したかと思うと、ゆっくりと僕の顔をじっと見つめてきた。


 もしかして一緒について来るのかな?そうだとしたら……ちょっと嬉しいかも。


「大丈夫……ケンちゃんとはちゃんと仲良くなってるはず……です」


【テレパシー】


(これから、ケンちゃんのお世話とお勉強のお手伝いをさせていただくことになりました。ふ、不束者ですが、精一杯がんばりますのでよろしくお願いします)


 フィーリアさんが軽く身を屈め、そっと僕に手を差し出した。


「ヨロシク……フィーリア……ボク、ウレシイ」


 僕は、彼女の右手をそっと両手で包み込む。


 指先に伝わるぬくもりが、胸の奥をくすぐるようで思わず微笑んでしまう。


「ふふ、リリース……あなたの分まで幸せになります。だから、どうか傍で見守っていてください」


 フィーリアさんは胸元のネックレスをそっと握りしめる。微かに潤んだ瞳とともに浮かぶ笑顔は、切なさとあたたかさが入り混じっていた。




===================



「皆さま、そろそろお城に着きますよ?フィーリア様も起きてください」


「むにゃむにゃ……ケンちゃん……っていたぁ!誰です!私の頭を叩いたのは!」


『出来立てほやほやの上司の肩にもたれかかって寝るお主が悪いのじゃ……む?あれは?』


 ガタン……


 長いこと馬車に揺られて数時間。


 しょんぼりしているゴンさんをわしゃわしゃと撫でて励まし続けていると、突然ガタンと音を立てて馬車が止まった。


「やぁやぁ!ルナ君にラミィ君に……君は誰だか知ないが長旅ご苦労様だねぇ」


『おお、アウラか。なんだか久しぶりな気がするのう……して、なんでこんな何もない場所でわしらを待ち伏せしておったんじゃ?城で待っていればいいじゃろ?』


「だ、だれですか。あの……でっかい蜘蛛みたいな化け物は!な、なにかの罠ですかっ!?」


「落ち着いてください。こちらはアウラ様、人間族のオスに関する研究で著名な方です。ただ……その……体のことを気にされているので、できれば触れないでいただけると助かります」


「ご、ごめんなさい……」


「ふふ、体のことなんてもう気にしてないよ。たった一人の人物に好まれていたら他の有象無象の意見なんて雑音だからねぇ」


「な、なるほど……です。じゃあ心置きなく化け物っていいますね」


「フィーリア様。別に今のは、化け物呼びをしてほしいという意味ではないかと……」


「え、そうなのですか?」


 フィーリアが目を大きく見開き、驚きの声を上げる。


「こほん……早速で申し訳ないが、いいニュースと悪いニュース、どっちから聞きたい?」


『じゃあ、いいニュースから頼むのじゃ』


「了解した。まずはいいニュースからだが、無事ケンちゃん園のパワーアップ工事が完了した」


『おお、それは良かったのう。これでケンちゃんも安心して生活出来るな!』


 嬉しそうにこちらへ駆け寄ると、その手で僕のほっぺをムニムニと押した。


「私も少しだけ拝見したがあれはすごいねぇ。この魔界でもトップクラスのセキュリティだよ」


「それはかなり期待できそうですね」


「ああ、期待しておいてくれ。さて、続いて悪いニュースだが……ルナ君たちが住んでいるお城があるだろう?」


『ケンちゃんも住んでいる場所じゃな。それがどうかしたんじゃ?』


「実は、その城なんだが……占拠されてしまったよ」






『「……え?」』




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