第66話 あなたの想いを忘れない
「そうです……あんな辛い思いをするくらいなら短命種とは関わらないって決めたはずです」
そう呟きながら、リーリスから託されたネックレスをいつもの場所に戻す。
冒険もオスとの交尾も諦めた今の私には……このネックレスを身に着ける資格なんてどこにも残っていませんから。
「う、なんだかあの時のことを思い出して、胸がぎゅっとして悲しくなってきた……です」
魔力を使い果たした疲れもあってか、少し弱気になっているのかもしれない。
「……よし、こんな時は少し外に出て冷たい風にでも当たりましょう。こんな感情を抱えたままじゃ寝れませんから」
た、たしか……お母さんがこっそり隠してたお酒とお肉が地下の冷蔵室にあったはず。
2週間もケンちゃんの世話をしてたんです。これくらい報われたっていい……です!
「ふふ〜ん♪ 落ち込んだ時は好きなものいっぱい食べて、交尾本読んで元気を……ってお母さん!?」
「ぷはぁぁっ!やっぱり酒は最高だなぁ。とくに一仕事終えた直後の一杯は……くぅ、しみるぜぇ」
地下の扉へ向かおうとしていた私の視界に、外縁の縁石に腰掛けるお母さんの姿があった。
満月の光を浴びながら堂々と酒盛りしている。
「ああ、フィーリアか。大役ご苦労さん。お前も一杯どうだ?」
「え、あ……はい。飲みます」
お母さんに促されるまま私はゆっくりと隣へ向かう。ただし、すぐ横には座れなくて少しだけ間を空けて腰を下ろした。
「ふぅ……途中で失敗するかと冷や冷やしたが、なんとか無事にやり遂げてよかったよ。それにしても、あの堅っ苦しい口調で2週間も過ごすなんて我ながらよく耐えたもんだ」
グビグビ……
「お疲れさまです……あ、すみません、お肉ちょっといただきますね」
「ああ、食え食え。今日はエルフ族の悲願が達成された記念日だ。正式な打ち上げは明日だが、あとはケンちゃんを送り返すだけ、今更しくじることもねぇだろ」
「そうなんですね……モグモグ……」
塩味がしっかり効いていて、普段なら美味しくて幸せになれるはずの肉串。でも今日はどこか物足りなくて味気なく感じる。
「はぁ……」
ケンちゃんが帰ってしまったら、また食事が喉を通らなくなりそう……です。
心がぽっかりと空いたまま、お気に入りの交尾本を読んでは寝るだけの、あの退屈な毎日に逆戻り……です。
「はぁ…………………」
「……さっきから元気ねえな。いつものお前なら私の分の肉串を黙って食い尽くすのに」
「いえ……別にたいしたことでは」
「言ってみろ。今は村長じゃなくて一人の母親だ。お前とこうして話すのは、村を飛び出して以来だしな」
「じゃあ……」
普段なら怒られるのが嫌で、適当にごまかして逃げるところだけど……今日はお酒のせいか、それともケンちゃんと離れることに耐えられなかったのか、自分のことを話したくなった。
「実は今日ラミィさんから、一緒に城に来ないかって誘われたん……です。そこでケンちゃんの世話係にならないかって」
「ほぅ……別にいけばいいじゃねぇか。どうせお前は村を一度出てるんだ。二度目だろうが三度目だろうが大して変わらねぇだろ」
「村を出ることには悩んでいません。ただ、怖いんです……短命種と関わることが」
満月が映る酒を見つめながら、リーリスとの穏やかな日々が脳裏に浮かぶ。
昔、彼女ともこうしてお酒を飲みましたっけ。
グイ……
「ひっく……今でも胸が苦しくて吐きそうなのに、これ以上ケンちゃんと親しくなって、また死別するのが怖いんです。もう――大切な人の死には耐えられそうにないんです!」
リーリスの死から私は何度も何度も泣いて、苦しんで……何もできなかった自分を責め続けました。
胸が張り裂けそうな後悔を抱えて生きるのはもう耐えられません。
もう、あんな惨めな思いは絶対にしたくない………………です。
「なるほどな……お前の言いたいことはなんとなくわかるよ」
お母さんがそう言うと空を見上げ、どこか遠くを思い出すように酒をぐいっと飲み干した。
「ふぅ……私も村長って立場上、いろんな種族と関わってきた。もちろん、その中にはもうこの世にいない奴もたくさんいる」
空になった酒瓶を手の中でクルクル回しながら、名残惜しそうに見つめる――お母さんも同じ気持ちを?
「なぁフィーリア。もし私が来週死ぬかもしれないって言ったらお前はどうする?」
「え、死ぬのですか!?確かにエルフにしては結構高齢が……」
ドスッ!
「いたい……です」
「失礼なこと言うんじゃねぇよ……これはあくまでたとえ話だ。で、お前はどうするんだ?死ぬとわかって私から離れるのか?」
「そんなの……ギリギリまで一緒にいます」
特に深く考えることもなく、迷いなくそう答えた。
「じゃあ聞くが、それはどうしてだ?いつも私が部屋に入れば追い出そうとするし、皿洗いを頼めば“本が読みたい”って断るくせに……死ぬとわかった途端にそれは都合がいいじゃねぇか」
「当たり前……です!後一週間しか一緒にいられないのなら、その一週間は大事するに決まってます!」
そんな一分一秒が大切な時に、部屋に閉じこもって時間を無駄にするなんて絶対にありえません!
お母さんは私を悪魔か何かだと勘違いしています!
「そうだな……なら、それが短命種と関わることの答えだよ」
「え……?」
「一週間だろうが100年だろうが500年だろうが同じさ。あと100年しか会えないのならその100年で満足できるよう、悔いが残らないよう大事に過ごす……私が思うに、長命種が短命種に出来るのはこの100年を忘れないことだけだ」
「忘れないこと……」
「ああ、死んでいった者たちの想いを忘れずに、あの世で再会したときには胸を張って今までの歩みを自慢する……それこそが、我々長命種に課せられた使命なんだよ」
死んでいった者たち――リーリスの想い
彼女は最後に自ら毒を飲んでこの世を去った。
それはきっと、病に蝕まれてかつての面影が失われる前に、笑顔で私を送りたかったのかもしれない。
震える細い手でネックレスを差し出したその姿は、どんなに辛く悲しくとも、どうか前を向いて生きてほしい――そんな強い願いが込められていたのだと思う。
「リーリス……」
私はリーリスから大切なものを託されている。それなのに私は……
「まぁ……どうするかはお前の自由さ。明日の朝までに悔いの残らねぇ決断をするんだな」
そう言い残すと、お盆に載った晩酌セットを魔法でパッときれいに片付け棚に戻す。
そしてそのまま寝室へと姿を消し、私だけがひとり孤独に残された。
「私は……私がまだリーリスに出来ることは……」




