第59話 世の中上には上がいる
「ふん、誰かと思えば……引きこもりのフィーリアじゃない。こんなところで何の用かしら?」
薄暗い裏路地の中央。僕を抱きしめる不審者エルフとフィーリアさんが睨み合っている。
「ケ、ケケケちゃんは、わたしにとって大切なお客様です!少しでも傷つけたりしたら、ぜ、絶対に……ゆ、許しませんからっ!」
頼みの綱だったゴンさんの動きが封じられた今、この状況を打開できるのはフィーリアさんしかいない。
何もできない僕は、せめて彼女の無事をただ祈るのみだ。
「許さないって……偉そうな態度取ってるけど、あんた何様のつもり?」
「べ、別に偉そうでは……」
「あ、わかった……あんたもケンちゃんと交尾したんでしょ!でもダメ♡これはケンちゃんに”大好き”って言われた人だけの特権なんだから♡」
ミシミシ……
「イタイ」
腕の中に閉じ込められて骨が悲鳴を上げる。
力を込めすぎたその抱擁は、優しさとは程遠くてただただ痛かった。
もう最悪、性的なことをしてあげるから乱暴なことだけはしないでほしい。
「え、えっと……それは多分思い違いだと思い……ます。ケンちゃんは最近ようやく簡単な言葉を話せるようになったばかりなので、その『大好き』に特別な意味はないかと……」
その言葉を聞いた不審者エルフは、目のハイライトを失い固まる。
「は?……は??そんなわけないでしょ!あの時ケンちゃんはちゃんと私の目をまっすぐ見て“大好き”って囁いてくれたの!?手の握り方だって他のメスよりも優しかったし微笑みかけてくれた!!私が拘束されていた時も何度も何度も励ましてくれた!!!ケンちゃんは私のことが大大大好きなんだ!!!自分がモテないからって都合のいい妄想を垂れ流すな!!!!!」
「ひっ……ひぃっ!いくら自分が恥ずかしい勘違いをしたからって、八つ当たりやめてくださいぃ」
「ッ!うるさい!黙れ!ケンちゃんは私のこと好きだよね……好きって言ったよね?……おい、なんで黙ってんの!?いつも言ってたでしょ!“私と結婚したい”ってさぁ!早く言いやがれよ!!!」
不審者エルフは、まるで何かに取り憑かれたかのように目を見開き、こちらに詰め寄ってくる。
こ、こわい……この世界の言葉が分からなくてよかったと思うのは、これが初めてかもしれない。もし理解できていたら、大号泣して一晩中眠れなかったと思う。
「くっ……もういい!あの時の言葉が本当かどうかなんてもう答えは出てる!それに今すぐハメれば結果は同じ!案ずるより孕むが易しよ!」
「さ、させません!【ファイヤーボール】」
「チ……【マッドウォール】」
フィーリアさんが手元から火球を放つと、それを遮るように地面が盛り上がり土の壁が現れた。
ボウッ!
轟音が響き火球は壁に激突。炎は一瞬で霧のように散り、空気が熱を帯びていった。
「いいわ……そこまで消されたいならあなたから消してあげる!私とケンちゃんの初夜を邪魔した罰よ。そこの狐のような拘束なんて生ぬるい……水の中で悶え苦しめ!【ウォーターハザード】」
彼女が片手をゆっくりと天にかざした次の瞬間、空気が震えるような気配とともに、水が上空に吸い寄せられる。
ポコポコポコ……
音を立てながら水塊が膨れ上がり、やがて家を丸ごと包み込むほどの巨大な水の球体が出現した。
「こ、こんな場所でそんな大技を使ったら大変なことに……えっと、たしかこういう時は水の結合を何かで分解すればいいから……【ダストウィンド】」
それに対抗するかのように、今度はフィーリアさんが掌から小さな風の塊を水球へと放つ。
お互いが魔法が衝突すると、水球はたちまち歪んだ球体に変化して、みるみるうちに崩れ落ちていく。
ザーーー!!!
「な、なんとかなりました……」
激しい雨が降り注ぐかのように、水球が周囲に降り注ぐ。
「(す、すごい……)」
こ、これが異世界の魔法バトル……!
自分が危機的状況だと分かっていても、あまりにもファンタジーすぎる光景にワクワクしてしまう。
「チッ……引きこもりのくせに生意気よ。こうなったら……ケンちゃん!夫婦で初めての共同作業よ♡」
「(え?ちょ……んんんんっ!!!!)」
不意打ちのように唇が重なり、彼女の舌が容赦なく口内を貪り尽くす。
「ん……ちゅ♡……くちゅ、んぅ……♡」
それは、漫画やドラマで見た優しいキスとはまるで違い、ただただ相手を支配し蹂躙する自己中心的になキスだった。
「ぷはぁ……ふぅ♡♡すごい魔力が漲る♡自分が自分じゃないみたい♡ふふふ……はははは♡今なら出来る……魔法の極致!!!もう他のエルフも選定の儀も知らない!村ごと全部吹き飛ばす!最上位魔法!【ブルーディザスター】」
そう叫ぶと、先ほどの水球とは比較にならない圧倒的な量の水が集まっていく。
やがてそれは空全体を飲み込むかのような巨大な水の渦へと変貌し始める。
「な……ななな!」
その圧倒的な光景はまさに海の氾濫……天変地異を思わせるものだった。
「ま、まだ……です【ダストウィンド】【ダストウィンド!】【ダストウィンド!!!】」
フィーリアさんの魔法が水流の一部を削り取ったが、水の勢いは衰えない。まるで生き物のように再び一つに集まって迫り来る。
「くっ……ならば……【ファイヤーボール】」
今度は火球を放ったものの、線香の火が消えるかのようにあっけなく消え去った。
「ふはははは!火の魔法で私の水魔法を超えるつもり?それに、エルフ族が最も力を発揮できるのは水魔法。引きこもってる間にそんなことすら忘れたの?」
「うるさい……です」
「なら引きこもりのあんたに、優しいあたしが魔法の基礎を教えてあげる。魔法使いの戦いってのは後出しじゃんけんでいかに勝ち続けるかよ」
「火には土、土には水、水には風。もちろん例外もあるけど、相手の魔法を先に無力化できなかった方が負けるの……わかった?」
「【サンダーネット!】」
「あんた本当にバカね……いい?水の最上位魔法に、氷か風で対抗しなかった時点でもうあんたの負けなのよ。そんなことも理解できないなんて、所詮あんたは村から出た落伍者ね。旅に出たのも全部が全部無駄だったのよ!」
ギュッ……
「……じゃない」
フィーリアさんが持っている杖に力を込めて、声を振り絞る。
「なにかいったかしら?」
「無駄なんかじゃない……です!私は100年間外の世界を見て多くのことを見て学びました!」
「ふっ……だけど、あなたは泣きながらみっともなく村に帰ってきたじゃない!」
「た、確かに泣きながら帰ってきたし、後悔もすることもたくさんありました……けど!それと同じくらいあの子との旅でたくさんのものを得ました。私のことをいくらバカにしてもいいけど……あの子を……リーリスとの思い出をバカにすることだけは絶対許さない!」
なおも無意味な魔法を周囲に撒き散らしながら、必死に力強く宣言する。
「……口だけは本当に達者ね。でもそんな偉そうな態度も――私がほんの少し手を下げれば終わり。あなたは一瞬で死ぬのよ?」
不審者エルフは、上空に掲げていた腕を僅かに下げる。
「さっきから必死に撃ってるその魔法だってまるで効いていないみたいだし……イキるくらいなら命乞いでもしてみたらどう?」
「………なら教えて上げます。世の中上には上がいるって!まだそれが限界だと思っている、井の中の蛙のようなあなたたちエルフなんかに、私たちは絶対に負けません!」
「は? ……いい?この魔法はエルフに伝わる最も強力な魔法よ。これ以上に強力な魔法なんて存在するはずがないわ! そんなデタラメを信じるわけないでしょ!」
「ふぅ………」
怒声を浴びせるエルフなど意に介さず、フィーリアは黙したままそっと目を閉じ、ゆっくりと地面に両手をつく。
その動きには一片の迷いも感じられない。
「水…風…火…雷……そして土…………行きます!混成魔法!【エレメントオーバーロード】」
地面全体に複雑で美しい魔法陣が輝きながら広がっていく。
「な、なによこの紋章。こんな魔法見たことも聞いたことも……くっ、【ブルーディザスター】」
シーン……
「なんで!?どうして魔法が起動しないの!?条件は確かに揃っているはずよ!」
「私は決めたんです。たとえお別れすることになってもこの2週間は頑張ろうって!だから……ケンちゃんには何があって絶対に傷つけさせません!」
「お別れってあんた……あれさえ飲ませればケンちゃんは」
「自身の魔法でやられてください【ブルーディザスター】!!!」
「ぎゃあああああ!!!???」
頭上に渦巻いていた水の一部がバケツの水をひっくり返したかのように降り注ぎ、僕たちに襲いかかってくる。
まずい……このままでは僕も巻き込まれて……
「わぁぁぁぁ……あ、あれ?」
大量の水が僕にも直撃したはずなのに、傷一つつかず濡れた様子すらない。
一体どういうことだ?
【ケ、ケンちゃん大丈夫ですか……周囲の生き物を魔法の対象から外しましたが怪我はありませんか】
気絶しているエルフの身体を押しのけて、フィーリアさんが僕をぎゅっと抱きしめる。
不審者エルフの激しい抱擁とは打って変わり、彼女の抱きしめは柔らかく温かい。
先ほどの味わったギャップもあってか、彼女の腕の中にいると自然と安心感が心に満ちてきた。
コク……
「ふふふ……よかった……です」
「ッ……!」
不意に見せたフィーリアさんの満面の笑み。
そのどこか少女のようなあどけなさすら感じさせる表情に、思わず心臓がドキッとする。
【ケンちゃん?顔が赤いけど大丈夫ですか?もしかしてこのエルフに何かされたんじゃ……】
フルフル……
「(なんでもない……ってフィーリアさん!?)」
タラー……
「え?あ、やばい鼻血が……それに久しぶりに魔力を大量に使ったから、吐きそう……うっ!」
「(フィーリアさーーーーん!)」
苦しそうなフィーリアさんを看病しているうちに、気がつけばラミィさんが駆けつける。その頃には、心の奥でドクドクと燃えていた熱い想いも、綺麗に冷めきっていた。
あのまま二人っきりだったら危なかったかも……
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混成魔法【エレメントオーバーロード】
魔法を発動すると床に壮大な魔法陣が現れ、その魔法陣の範囲内にある、あらゆる魔力を帯びた物体を自在に操ることができる。また、対象人物に当たらないように調整することも可能。
この魔法はじゃんけんに例えられる魔法の打ち合いを、一撃で終わらことができる異世界でも最強クラスの魔法。
これはフィーリアが旅の中で培った経験と、エルフ特有の魔力の流れに対する敏感な体質を活かして編み出したもので、彼女以外に使いこなせる者は誰一人としていない。
なお、一日に使える回数は限られており、その制約ゆえに使用時は戦況を見極める慎重さが求められる。




