第29話 生まれて初めてハムスターに負けた
「スぅぅぅぅぅ……先ほどはお世話になりました。あ、自己紹介がまだでしたね。私は愛澤健斗と言います。人畜無害のひ弱な人間なので以後お見知りおきを」
「……」
「なんか身体がガッチリしてますけど、スポーツとかやってたりするんですか?」
さわわさ……
「がう!!!」
「すいません!すいません!勝手に触ってすいません!僕はもう隅っこのほうで小さくなってるんで、どうか気にしないでください!」
少しでも場の空気を和らげようと軽いスキンシップを挟んでみたが、狼が急に噛みつこうとしてきて慌てて距離をとる。
「ぐるるるる……」
顔を見るのが怖くて、頭から毛布をかぶっているけど、低く響く唸り声が毛布越しに伝わってきて心臓がバクバクする。
「どうしてこうなった……」
お風呂のあと、また狭い檻の中で寝るんだろうと思っていたら、この植物があふれる広い部屋に連れて行かれた。
部屋の中には青々と茂った芝が一面に敷かれており、触り心地が気持ちいい。
それに、天井近くまで伸びている木々が揺れる様子は、まるで森の中にいるかのような錯覚を抱かせる。
まぁ、そこまではいい。自然豊かな部屋なんだなって軽く流せるレベルだ。
問題は――
僕は被っている毛布を反射的に握りしめ、恐る恐る顔だけを覗かせて周囲を確認した。
<バサバサバサッ!がぁ! がぁぁっ!
「頭上では見たこともない生き物が飛び回ってるし、遠くでは得体の知れない生物同士が喧嘩してるしで全然落ち着かない。これなら前の小さい檻の方が何倍もマシだ」
なんとこの部屋には、僕と狼以外にもたくさんの生き物が放し飼いにされていた。
唯一の救いは、部屋の端が見えないくらい広いことだろうか。
「僕絶対ここのヒエラルキー最下層でしょ。あの角が生えたドーベルマンみたいなやつなんて、僕の周りをウロウロしては『今ならいける』って顔してるし」
あれだね。人間関係のヒエラルキーで最下層にいるよりもっと嫌なヒエラルキーが存在するんだね。こんなこと知りたくなかったよ。
『(むむむ……ケンちゃんには、この部屋のみんなと仲良くなってほしかったのじゃが、毛布にかくれてしまったのう。仕方ない。人見知りのケンちゃんの為に少し手助けしてやるかのう)』
ガシッ!
「ちょっ!なんですルナさん!やめ!やめろ~」
息を殺して朝までやり過ごそうとしていると、ルナさんに後ろから抱きかかえられる。
そしてそのまま、喧嘩している最中の犬っぽい見た目と猫っぽい見た目をした生き物たちの中に降ろされてしまった。
『(キング!ティアラ!この子が新しくこの部屋で過ごすことになったケンちゃんじゃよ~。お主らと同じ、この部屋で3人目のオスだから優しくするのじゃ!)』
スンスン……スンスン……
まるで何かを確かめるように、僕の身体を執拗に嗅いでくる2匹の動物。
さっきお風呂に入ったばかりだから、さすがに臭くはないと思うんだけど……
スンスン……「「!!!!」」
「ぐううぅぅぅ!!ワァン!ワァン!」
「シャァァァァ!!!!」
「いたたたた!あな!あな開くくらいいたい!」
『(ど、どうしたんじゃ二人とも!いきなりそんな歯をむき出しにして怒って!なんか嫌なことでもあったのか?よしよしよしよし~)』
「くぅぅぅぅぅん」
『(すりすりしてきてほんとにかわいいのう……でも、ケンちゃんが嫌がるほどカミカミするのはダメじゃ!罰としておやつ禁止!)』
「「…………」」
ルナさんに救助され、ようやく安堵の息をつく。
けれど足元にまだ犬がいると思うと、全身がまた強張ってしまう……犬、怖い。
『(よしよ~し。怖かったね~でもあの子たちも悪気があったわけじゃないから許してあげるのじゃぞ~。きっとテンションが上がって、やりすぎてしまっただけだからね〜)』
「がうがう……」
僕に嚙みついていた二匹が、なぜか鋭い目でこちらを睨んでいる。
その目の冷たさに思わず息を呑んでしまったけど、これって大丈夫なんだろうか。
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「【ハイヒール】」
「(こんな時間にケンちゃんを治してくれと言われて大急ぎで来てみれば、何してるんですか……)」
嬉しいことに寝巻き姿で急いでやってきたラミィさんが血が出ている足を回復してくれた。
ラミィさんの恰好はひらひらとした布一枚を羽織っているだけ。
大変にHで、見えてはいけない部分見えそうでちょっと目のやり場に困る
『(いや~、一刻も早くみんなと仲良くなってほしくてつい焦ってしまったのう)』
「(だとしても、もっと冷静に行動してください)」
『(仕方なかろう。かわいい生き物がかわいい生き物にじゃれている様子は極上の空間なのじゃからな!)』
「(はぁ……そんなことよりもルナ様。ケンちゃんはスライムにも負けるくらい弱いですし、さすがに別々に飼育した方が良いのでは?前から感じていましたが、この部屋ちょっと生き物が多すぎます)」
『(まったく……ラミィはわかっておらんのう。これだから魔獣を飼ったこともない素人は困るんじゃ)』
「(はぁ……申し訳ありません)」
『(いいか?魔獣は拾った場所に近い環境で飼うののが定番じゃ。変に整った環境に変えるよりも、木々やほかの魔獣に囲まれたこの部屋こそがあの子たちにとって一番落ち着ける場所なんじゃよ)』
「(ですがその環境だと、誰かが食べたり食べられたりしそうで心配です。先ほどのお話を聞く限り、ケンちゃんが一方的にやられていたように思えるのですが………)」
『(わっはっは!それに関しては心配いらん!いつもお腹いっぱいになるまで新鮮な食事を与えとるし、多少のじゃれ合いはあるが命に関わるようなことは今まで一度も起きておらん。みなちゃんと加減を知っとる、賢い子たちなんじゃ)』
「(そういうものでしょうか?)」
『(そういうものじゃ。それに来週の映画公開に合わせてケンちゃんを一般開放する予定なんじゃぞ?今のうちに生き物に慣れておかんと、いざ本番って時にケンちゃんがびっくりしてしまうからのう)』
あ、そうだ。せっかく足を治してもらったんだから、ちゃんとお礼をしないと。見惚れている場合じゃない。
「ラミィさん!ありがとうございます!」
「もうケンちゃん♡……そんな笑顔で大好きって言われたら照れてしまいます。襲いますよ?(チロチロ)」
ラミィさんはいつも傷を治してくれて優しいから好きだ。
身体を巻かれるのもぬくぬくとして心地がいいし、正直堅い床で寝てもいいから、ラミィさんの部屋でのんびり過ごしたい。
本音を言うと、誰でもいいからこの地獄のような部屋から解放してほしい。
猛獣たちに囲まれるのが怖すぎる。誰か僕より弱そうな奴はいないのか。
もそもそ……
「あ!かわいいハムスターがいる!」
この死亡要因しかない部屋に絶望していると、足元を一匹のハムスターらしき生き物が動いていた。
「よかった、こんな弱そうな子が生きてるなら僕はまだ大丈夫かもしれない……ハムちゃ~ん、こっちおいで~。きみの生存術を教えてほしいなぁ~」
優しく声をかけると、ハムスターは『とことこ』とこちらに向かって歩いてくる……結構でかいな。
「よしよ〜し」
流石は異世界。
少なくとも僕の手よりは大きいハムスターだが、それでも虫以外で初めて見る自分より小さな生き物に思わずテンションが上がる。
「ふわふわでかわいい。ん?腕を伸ばして何をして……ぐはっ!」
傷つけないように慎重に頭を撫でているといきなり視点が180度回転する。
何が起こったのか一瞬の出来事すぎて理解できないが、とりあえず僕は仰向けになっているらしい。
「キュッキュ!キュッキュ!」
先ほどまで触れていたはずのハムスターが、お腹の上で勝ち誇ったように飛び跳ねている。
「え?なに……もしかして今、このハムスターに投げられた?」
自分より小柄な生き物は本来かわいいと感じるはずなのに、僕を軽々投げるのを知ってしまうといきなり恐怖心へと変わっていく。
タタタタッ!
「あ!ちょ!服の中に入らないで!」
慌てて上着の中に手を突っ込み、服の中に侵入したハムスターを捉えようとする。
だがハムスターは元気いっぱいに体を駆け回り、手の間を瞬く間にすり抜けてしまう。
「はぁ……はぁ……疲れた。なにきみ、影分身でも使えるの?5匹が同時にいるかのように感じるんですけど……」
「キュッキュ~!」
体で遊ぶのに満足したのか、首元からひょっこりとかわいい顔を出す。
そしてお尻をフリフリ振って「見て見て!」とでも言うかのようにこちらを煽ったかと思えば、すぐにまたお腹に戻っていく。
「あ……僕って弱いんだ。異世界の危機を救う勇者とかそんな大層なもんじゃないんだ」
僕は生まれて初めてハムスターに負けた。完敗だ。
微かに願っていた異世界無双の夢は、手のひらサイズの小動物によってあっさりと打ち砕かれた。




