第25話 常識?そこになければないですね
「人を殺めてしまった……」
「人聞きの悪いこと言わないでよ!ただ、ちょっと長めのお昼寝をしてもらっただけじゃない」
「……血を流しながら寝るのは、普通死って言うんじゃ?」
ガラス越しに血だまりの上で横になっている傭兵に目を向ける。まさかガーベラが、警告もなしにいきなり攻撃するとは思わなかった。
一応、受付でチケット確認の際に事情を説明して、倒れている人の救護を頼んだのだが『またですか……まぁでも、オスを想って死ねるなら本望じゃないですか?はい、次の方~』と、まるで日常茶飯事かのように流された。
この町はいよいよヤバいかも知れない。つい昨日までは、強盗が現れただけで大騒ぎするほど平和だったのに。
「引っ越そうかな……」
「もう!そんな悲しい顔しないの!きっと大丈夫よ!傭兵になるほどの人なんだから、足一本くらいじゃどうってことないわよ!」
「もし、逮捕されるような事態になったら恨みますからね」
落ち着いて考えれば考えるほど、傭兵を病院送りにした時点で罪は確定しているような……やっぱり明日引っ越そう。
パチン!
「ハイ!暗い話はここで終わり!映画を楽しむわよ!」
「はぁ.....」
ガーベラは両手を叩いて、「もういいでしょ!」と言わんばかりに、私の腕を引っ張って売店へと向かう。
売店にはドリンクや可愛らしい小物が売られており、恍惚とした表情を浮かべた多種多様な種族が集まっていた……何故かは知らないけど所々地面が湿っており、そこだけ絨毯の色が濃くにじんでいる。
「映画館なんて初めてきたけど、なんだが不思議な空間ですね」
「そうなの?映画はいいわよぉ。最近技術を堪能できるし、まるで本の世界に入った気分になれるの。魔新聞の映画公開お知らせを見るだけでもワクワクするわ」
「へー……ん?なんでしょうあれ?おむつ売り場?映画館ではおむつが必要なんですか?」
映画館とやらをキョロキョロと観察していると、一際大きな人混みを見つける。
そこにはオムツのタワーが堂々とそびえ立ち大勢の人が列をなしていた。
大の大人たちが必死にオムツに群がる様子は、異様でありながらどこか滑稽だった。
「いや、こんな光景私も初めて見るわ。確かに上映時間は2時間もあってトイレ問題はあるけど……わざわざ買うほどかしら?」
「ですが凄い行列ですよ?」
「うーん、気にはなるけどこの行列に並ぶ時間はないわね。ほら、あっちに飲食専用の受付があるから、そっちに並びましょ。チケットをあげたんだからドリンクぐらいおごってよね!
オムツを求める行列をよそに、比較的人が少ない列へと腕を引っ張られて無理やり並ばされる……
「はぁ、仕方ないですねぇ。えーと特性ドリンクが……たっか!」
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ゴクゴク……
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【上映中の自〇行為は声を抑えて周りのお客様に迷惑のかからないようにしましょう!】
【スクリーンに頭を突っ込んでも登場人物と直接会うことはできません。映画館内での飛行行為はご遠慮ください!】
【体液をぶっかけたい気持ちはよくわかりますが、スクリーンが汚れるだけですのでご遠慮ください!】
【竜族が火を吐かれますと……】
【獣人族の遠吠えは……】
【エルフ族が…………】
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通常の物より5倍近くも値段がするドリンクを飲みながら、スクリーンに映し出された注意事項に目を向ける。
各種族に合わせた注意喚起の数々に、これを作った人は大変だろうなと思……ん?
「なんか気になる注意事項があったんですけど。上映中の自〇行為って許可されてるんですね……」
「まーね。ほら!最近獣人族ハイエナ種の男装俳優がデビューしたでしょ?ハイエナ種ってあれがあるから、ちゃんとした交尾シーンがあるのよ」
「うへ……何が悲しくて高いお金を払って女性と女性の交尾シーン見なければいけないですか」
想像するだけでもゾッとする。
好きな人は好きみたいだけど、どうしても私はその気にはなれない。やはりオスの交尾本が一番だ。
「まぁ……そこは個人の趣味嗜好だから強く否定できないわ。問題は、そういうシーンがあるのに自〇行為を出来ないのは、拷問であり人権侵害だ!っていうクレームが魔界中の映画館に多数よこされたことよ」
「なんですかそのクソみたいなクレームは……いや、私の図書館にも月に2回の頻度で自〇行為を許可するようなクレームがきますね。なぜか前向きに検討するらしいですが」
本を読んで興奮したなら、借りるなりして家で楽しんでほしい。
ああ、でもオスの体に関する本は貸し出し禁止でしたね……いや、そもそも学術的な医療模型の本で興奮する方がおかしいのでは?
「【興奮するのは種族としての本能だから仕方ない!否定するのは種族全体に対する侮辱だ!】って言われると魔界のルール的に否定し辛いから仕方ないわ」
「……確か以前【竜族の自〇行為は発火の恐れがある為禁止します】って貼り紙をした宿屋が炎上して灰になってましたね」
「あれは悲しい事件だったわね……まぁそういうわけで、周りの客に迷惑さえかけなければ、結構自由にしても問題ないみたいよ。聞いた話では、鳥獣族の子供が卵を産んだりすることもあるとかないとか」
「えぇ……」
「ほら!あの牛族なんて、母乳を収めるための哺乳瓶を持ってきてるでしょう?あ、あっちの獣人族はリード付きの首輪を持ってるわ。みんなやる気満々って感じね!」
「なんか急に席に座りたくなくなりました。立って映画みようかな」
今座っている高級そうな椅子も、得体の知れない液体がかかっている気がして嫌悪感が湧いて仕方ない。なんか気にしだしたら背中と尻尾がムズムズしてきた。
「あ、立って見るのは禁止事項だからダメよ」
「なんで自〇行為がOKで立つのがダメなんですか!狂ってます!さっきからこの施設は狂ってます!」
町の人々はチケットを巡って殺し合いを始めるし、変態のための変態ルールが作られるしで全てがめちゃくちゃです。
「あと、大声は禁止事項だから気をつけてね!皆さんすみません。この子映画館が初めてみたいなの。私が注意しておきますので……」
「ンんんんん!!!!!」
大声を出すなと言われたが、心の中に湧き上がる不条理を発散しようと、うねり声をあげる。
「チッ!場所くらいわきまえろよな……これだから常識がないやつは。あ、ごめんねケンちゃん!ちょっと隣の席に変な女がいただけだよ♡ちゃんと君だけを見てるからね?そんな拗ねた顔しないでね♡」
すると、隣の席に座っていたお客さんに小言を言われてしまう。
よく見ると、その人も新聞の切り抜きを手に持ちながら、意味不明なことをブツブツとつぶやいており、何故か恍惚とした表情を浮かべていた。
え、これ私が悪いのですか?
ほぼ裸みたいな格好をしている奴に、常識だのなんだの言われるの結構屈辱的なのですが。ここ公共の場ですよね?
ブ―――――――!!!!
正直、もう帰ろうかと思ったその矢先、耳を塞ぎたくなるようなブザー音が鳴り響いた。
「はぁ……今度はなんなんですか」
思考が追いつく前に、部屋全体が闇に飲み込まれるように暗くなる。
おそらく映画が始まるのだろう。入り口ドアは重々しく閉ざされ、逃げ道が断たれてしまった。こうなったら無理だと諦めて、仕方なく座席に身を沈める。
「ここは気持ちを切り替えて映画を楽しみますか。そのケンちゃん?という人物も気になりますし」
上映が終わった瞬間、私は軽い気持ちでこの場所に足を踏み入れたことを、心の底から後悔することになった。
もしこうなることを知っていったのなら、最低でもおむつを買っていたというのに……
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【魔界映画館】
魔界の映画館は、魔王の指揮のもと巨額の資金で建設された特別な施設です。映写機の仕組みは我々のものと似ていますが、映像を記録する魔法が施されており、世界に100台もない希少な機械が使われています。
文化レベルが昭和よりちょっと下レベルの為画質はあれですが、昔特有のノスタルジーを体験したい女性にはうってつけの施設です。
なお、男性のみの入場はおすすめできません。仮に入場した場合、いかなる損害も自己責任であることをご了承ください。
2041年版 『異世界の歩き方』より抜粋




