閑話 魔界からの使者!
「はぁ……はぁ……魔王様……お許しください!」
厳重に密閉された1枚の紙を胸に抱え込みながら、月明かりだけを頼りに夜の街を駆けていく。
私は今日、魔王様の命令に背いた。
同じ部隊の仲間を2人も殺めてしまった。
きっとこの事が上に知られたら、間違いなく処刑されるだろう……だが!
「私にはこのオスの匂いが染みついた紙がある!」
この匂いが私を満たしてくれる限り、どんな困難が待ち受けていても私は生きていける!!
それに、もう表舞台に立てなくても構わない。私が飽きるまでこの匂いを貪りやがて薄れたなら――今度は嗅覚に優れた獣人族に売り渡し、その大金で新たな愉しみを手に入れればいい!
考えただけでも夢が広がる!
「ああダメだ!本当は家でじっくり堪能したかったけどもう我慢できない♡」
バリ!
胸の奥から湧き上がる衝動に耐えきれず、密封用の袋を勢いよく引き裂く。そのまま外の空気が入る隙を与える前に、一瞬で頭を突っこんだ。
「おほ~脳みそを揺らす程の芳醇な香りが……しない!何故だ!」
おかしい……私が長年尊敬していた先輩を裏切るほどに欲していたあの匂いが感じられない!
間違いであってほしいと祈るように袋から紙を取り出し、破けそうなほど強く顔に押し付ける。
だがどれほど強く押し付けても、あの懐かしい匂いは一片たりとも感じられなかった。
「嘘だ!『私をさらって!貴方のよだれでぐちゃぐちゃにして!』とまで主張していたあの匂いはどこに行った!」
込み上げる苛立ちを抑えきれず爆発させていると……
『は~はっはっは!すり替えておいたのさ!』
突然、何者かの声がした。
声の方向に視線を向けると、不気味な赤い仮面をつけた大きな女がゆっくりと姿を現す。
「誰だ!お前は!」
『オスを求めて!世界を股にかける女!コレクターK!』
「コレクターK……オスの情報やグッズを集めていることで有名な、あの!」
人間界に赴けば、一切の痕跡を残さずオスの髪の毛や使用済み食器を集め、魔界に現れては、さまざまな種族のオスが入った残り湯を混ぜて特製カクテルを作るという変態。
確か、指名手配までされている謎の仮面の女だ。
『おや、私を知っているのか……最近は人間界の情報ばかり集めていたから、魔界の住人にも知られていて嬉しいよ』
「そんなことよりその紙は私のものだ!今すぐ返せ!さもないと殺す!」
私は両手をコレクターKに向けて構えて、いつでも魔法を撃てる態勢に入る。
私の風魔法なら一瞬で吹き飛ばせる……私のせいで殉職した仲間の為にもここで諦めるわけにはいかないんだ!
『おっと……怖い怖い。あまり戦闘は得意じゃないからね』
スウぅ......
「な……消えた」
一瞬たりとも女から目を離していなかったのに、姿を消す瞬間を捉えられなかった。
『そもそも、君は何のためにこの紙を欲しているのだ?』
「そんなの、匂いを嗅ぐに決まっているでしょう!」
姿は見えないのに、コレクターKの声がはっきりと聞こえてくる。
一体どういう仕組みなんだ!
『紙に付着したオスの香りを嗅ぐぅ?低い……君のレベルは低すぎる!そんなものは一時の快楽にすぎない!』
いつの間に登ったのか、近くの建物の屋上にコレクターKが姿を現す。
『見ておけ!真の強者はこうするのだ!』」
パク!
仮面を少しずらしたかと思うと、長い舌が素早く紙に張り付き、そのまま口の中へと吸い込まれていった。
もぐもぐ……
「ば、ばかな!紙を食べるなんて!そんなことをしたらもうオスの匂いを嗅げないじゃないか!」
……ごっくん
『あぁ……最高だ。今までの食した物の中でもかなり上物だな』
「お前!今自分が何をしたかわかっているのか!オスの匂いが染みついた物なんて数十年は遊んで暮らせるほど価値があるんだぞ!」
『ふ、まだわからないのか?オスの成分が染みついた物を私は胃の中にいれた。それはつまり!今この瞬間から私の体内にはオスの存在が細胞一つ一つに染み込む!そしてそれは永遠に消えることなく、私と共に在り続けるのだ!』
「なっ、オスの一部を体に入れるなんて……そんなのほぼ交尾じゃないか!」
『そうだ!私はたった今オスと交尾をしたのだ!そしてその数は、すでに30を超えている!もはや私の体に刻まれたオスの存在は、どんな力でも消し去ることはできない!』
頭をガツンと殴られてような気分だった。
私は目先の利益に囚われていた!
なぜ……なぜこの発想を思い浮かばなかった!
「クソ!私の……完敗だ!」
この女は私の数段階も上のステージに立っている。
今の私の力では到底追いつけない、まさに圧倒的な存在だ。
『負けを認めることは成長への第一歩だ。次に会う時は、もっと上のステージで会えることを期待しているよ。では、さらばだ』
そう捨て台詞を吐くと、コレクターKはまた前触れもなく姿を消していく。
「私は……なんて未熟なんだ!」
自分の無力さが悔しくて、思わず地面に拳を叩きつけた。
ガシ!
「よう、さっきはよくも不意打ちしてくれたな……隊を裏切ったんだ。それなりの”覚悟”できてるよな?」
後ろから肩をつかまれたと思うと、顔面を思いっきり殴ったはずの先輩が、ニコニコと笑いながら現れた。
よかった!首があらぬ方向に曲がってたから死んだかと思ってた。
「隊長!私悔しいです!オスに対する想いは絶対に負けないと自負していたのに!あんな!あんな変態がまだ世界にはいたなんて!私は井の中の蛙です!もう一度鍛えなおしてください!」
ゴキ!
顎の骨が砕ける音とともに、私の顔面に強烈な右ストレートが叩き込まれる。
「言われなくてもその腐った性根を叩き直してやるよ!」




