第16話 白首卒業
「ふぅ……いつの間にか随分と高いところまで登ってしまったねぇ」
ケンちゃんに愛の言葉を囁かれた後、気が付けば両腕でガッチリと彼をホールドし、天井に向かって糸を伸ばしていた。
「地面からだいたい5メートルといったところか。研究資料をたくさん保管できるように天井を高くしてもらったが、まさかこんな形で役に立つとは夢にも思わなかったねぇ」
「ふにゃふにゃ?」
キュン♡
ああ……今でも彼の『大好き』という言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡り、体の奥から熱がこみ上げて仕方ない。
「こんな気持ちはもう捨てたつもりだったが、所詮私もメスらしい……なら愛し合うのは自然の摂理だとは思わないかい?」
「ふにゃ?」
今から私に食べられてしまうというのに、このきょとんとした顔がまた可愛い。
早くその顔をぐちゃぐちゃにして、とろけた顔を見てみたいんねぇ。
「初めてにしては少々地面から高くて怖いかもしれないが、おねえさんがリードしてあげるから安心したまえ」
なでなで……
この高さは人間族のオスにとってきっと恐怖だろう。そう思い、少しでも和らげるようと彼の頭や頬を優しく撫でてやる。
ぎゅっ――!
すると。ケンちゃんは小さな両腕を大きな私の手に回し、まるで「離さないで」と訴えるように全身で抱きしめてきた。
「おやおや、そんなに必死にしがみつくなんて、君はどれだけ私のことが好きなんだい♡こんなことされたら加減が効かなくなってしまうだろ♡」
あまりにも愛くるしい愛情表現に、今からでも体を重ね合わしたい衝動に駆られる。
だが、ここは一度深呼吸だ。
交尾をするにはまだ少し早い。より良い時間にする為には、まずは下準備をしなければ。
プシュ!プシュ!プシュ!プシュ!
私は彼が落下して大怪我をしないよう系を吐き出し、両手両足をしっかりと絡め取りながら彼を大の字に固定する。
だが激しい交尾をするのであれば、これだけではまだ心もとない。
今度は対角線状に何本もの糸を張り、その糸が周囲の糸を絡め取るようにしながら、彼の体をぐるぐると巻き付けていった。
よし……これなら糸が切断されない限り大丈夫だろう。
「それにしても……下準備なんて初めての経験だったのに、案外すんなり形になるものだねぇ」
誰に習ったわけでもないのに、交尾に最適な拘束が完成していたことに我ながら驚く。
「ふむ………きっと適切な繁殖方法というのは、遺伝子に刻まれているのだろうか。実に興味深い。次は遺伝子に基づく繁殖についての研究論文でも書いてみようか。発表の場でケンちゃんと実践しながら説明するのも面白いかもしれないねぇ」
「ちょ、ちょっとアウラさん!何をしてるんですか!まさか、交尾しようとしてるんじゃないですよね?そんなことあり得ませんよね!」
次の研究テーマについてあれこれ考えていると、親指ほどの大きさになったダリス君の叫び声が聞こえてきた。
「ああ……すまない。そういえば君もいたんだったねぇ。ケンちゃんのことばかり考えていて、すっかり失念していたよ」
正直、この高さならダリス君に何をされようと問題ない。だが、魔王様に助けを求められるのは厄介だ。あれは私が策に策を練っても勝てない本当の化け物だからねぇ。
「はぁ……気分が高まっていたが仕方ない。ここで始末しよう」
ちゅ!
「少し待っておくれよ?」
お預けの意味を込めてケンちゃんの額に口づけると、私は彼女めがけて一気に急降下した。
ドスン!....パラパラ......
「ひゅっ!」
落下の衝撃で地面はひび割れ、部屋中が大きく揺れる。
「な、なんですか!体が大きいからってビ、ビビりません!」
この大きな体をずっと疎ましく思っていたが、目の前に立つだけで相手を怯ませられるのなら案外悪くないねぇ。
今でこそ言えるが、十年以上も、こんなくだらないことで悩み続けていた自分が馬鹿らしく思えてくる。
「わ、私だって魔王軍幹部!研究員如きに負けま………うげ!」
杖を構えて戦う体勢をとっていたダリス君に、常備していた対侵入者用の煙玉を叩きつける。
プシュ!
そして間髪入れずに粘着性のある糸を発射し、彼女の体を壁にぺたっと貼り付ける。あんなに息巻いていたのが嘘みたいに、あっさりと戦闘は終了する。
「残念ながら、私は人間族の資料を集める為に様々な修羅場をくぐり抜けていてねぇ。ヒョロガリダークエルフ如きには負けないのさ」
「そんなの聞いて(プシュ!)もごもご!」
大声で助けを呼ばれないよう口も糸で塞いだので、これで完全勝利だろう。
「さぁて、さっそくケンちゃんと続きをするかねぇ。あ、そうそう。頭にこのカメラを貼り付けておくから、私たちの様子をしっかりと撮影してくれたまえ」
プシュ!
「もごもご......(なんでまた目の前で寝とられプレイを見なきゃならないんですかぁぁぁぁ!!!!)」
ガタン!ゆらゆらゆら......
「さて、邪魔者が静かになったことだし続きを始めようか」
「ふにゃ?」
天井に戻ってケンちゃんを見つめるが、相変わらず交尾本から飛び出したようなエッチな体をしている。
「ふふふ……実は以前『肉体的に優れているメスに比べて、オスは交尾するために生まれてきた』という論文を書いたことがあったが………」
ぷにぷに………
「この生存競争に適さない肉体を見るに、私の仮説に間違いはないらしい。まったく、二の腕なんてもちもちしててお餅みたいじゃないか。これでちゃんと物が持てるのかい?お腹なんかも……お"っ♡実に美味しそうだ♡」
ジタバタジタバタ
「おや?やっと自分の危機的状況を理解したのかい?君は危機管理能力がなっていないねぇ」
全身を舐め回すようなボディタッチを受け、自分が食べられるかもしれないと察したのか必死にもがいている。
「ふふ、もう指くらいしか動かせない状況だというのに、必死に足搔いて可愛いねぇ♡このまま家で監禁したいくらさ……だが先に愛の告白をしてきたのは君自身だ。つまりこれは純愛だし、結婚初夜ということになる」
ジタバタジタバタ!
「それとも、こんなにジタバタしているのは、交尾が待ち遠しいからかい?まるで『僕の愛情を受け取って』とおねだりしているのかな?」
ぎゅ!
「そういうことならさっそく最終工程を進めるとしよう!ちょっっっと私の神経毒で気持ちよくなり過ぎるかもしれないが、後でちゃんと治療してあげるから安心したまえ」
顎をクイッと持ち上げ、そっと首に顔を寄せる。
ああ、この芳醇な匂いを嗅いだだけで幸せな気持ちが頭いっぱいに広がる♡
あと少し……あと少しで私の全てが報われる!
「今は思う存分蜘蛛族の快楽を味わってくれたまえ♡………いただきまーす♡」
ガブッ!
首元に噛みつき、そのまま毒を注入する。この毒が体内に回ると、毒が抜けるまでオスは発情した魔物のように興奮し、行動を抑えられなくなる。
私は試したことはないが、体全体がとろけるような感覚に包まれて、もう二度と蜘蛛族なしでは生きられない体になってしまうらしい。
「ふにゃ♡………ふにゃふにゃ~♡」
その証拠に、最初は痛くてジタバタと暴れていた彼もたった数秒で大人しくなり、恍惚な表情をしながらよだれを垂れ流している。
蜘蛛族にこれほど強力な毒を備えているのは、数の少ないオスを効率よく虜にするために進化……いや、どちらかと言えば、虜にできた者だけが生き残った結果こうなったののだろう。まさに生存競争というやつだねぇ。
ペロッ……トロトロと垂れ始めた唾液を逃さぬよう、ゆっくりと下から口にかけて舐め取る。
「ふぅ……唾液まで美味しいなんて人間族のオスは本当に魔性だね」
ペロ....♡チュ……♡
「口の中も……んっ………最高だ!」
彼の口は、まるで果実をそのまま齧っているかのように甘い。でも過剰にまではしつこくない味だ。美味しい水を味わっているかのように飲めて、幸せな気持ちになれる。
「この成分は一体何で出来ているんだろうか、一度しっかりサンプルを採取して、実験室で組成を分析してみたいところだねぇ」
「ふにゃ♡……」
「おっと無駄話をしてしまいすまない。ふふ、目がとろんとしてもう限界といったところか……安心したまえ、私も限界だ♡」
遂にオスと交われる……大好きと言って婚約を申し込んでくれたオスと交われる!
オスが非常に貴重なこの世界では、姉妹を作るのはレアケースだ。だが、大きくひとりぼっちだった私の子供時代を思うと、多くの子どもたちに囲まれた賑やかな生活を送りたい。毎日毎日交尾して10人くらいが産みたい♡
そんな幸せな家族計画を考えながら、私の愛で彼包み込もうとしたその時……
【ドラゴンブレス!】
顔のすぐ横を火球が通り過ぎ、天井の至るところが次々と燃え始める。
「あち!あちちちち!ちょ、資料が燃えるからここは火気厳禁のはずだろう!」
「うっせぇ!何抜け駆けしようとしてんだ!ぶっ殺すぞ!」
声のした方に目を向けると、拘束したダリス君の他に、火を放った張本人であろう竜族のドラコ君がブチギレていた。
「どうやって私がケンちゃんと交尾していることがばれたんだ?人が駆けつけるほどの物音は出していないはずだが………」
【ふっふっふ。口が開けなくても、私にはこのテレパシーがあるのです!これを使い一番近くにいたドラコさんに助けを呼びました!】
疑問に対するアンサーとして頭の中にダリス君の声が直接響いてくる。
「ああ、そういえば君はテレパシーが使えるんだったねぇ。スリープの呪文をかけるべきだったと後悔しているよ!」
「ごちゃごちゃうるせぇ!いいから私にも交尾させろ!【ドラゴンブレス!!!】」
「危なっ!あと少しで当たるところだったじゃないか!」
メラメラ……
だが不運なことに、2発目の攻撃でケンちゃんを取り囲む糸に引火し、支えていた糸がぐらつき始める。
「まずい!いくら頑丈に縛ったとしても、竜族の炎なら糸はすぐに溶けてしまう!」
蜘蛛族の糸は火に弱い。数秒なら耐えられるとはいえ、このままではケンちゃんの命に危険が及ぶ。
燃え盛る熱気と不安定に揺れる糸の間をかいくぐり、腕にはじんわりとやけどの痛みが走る。それでも躊躇せず必死にケンちゃんへ手を伸ばすと……
バン!!!
『ケンちゃん!もう安心するのじゃ!この私が変態から救いにきたぞ!』
いきなりやってきたルナ君が、部屋を揺らすほど強い力で扉を開けた……開けてしまった。
もちろん燃えかかっていた糸がその衝撃に耐えきれるはずもなく、周りを取り囲んでいた糸ごと地面に向かって落下する。
『ケンちゃーーーーーーん!!!』
耳をつんざくような悲鳴が、魔王城の中に響き渡った。




