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第15話 汝その欲望を解放せよ

今回は少し前からのアウラ視点です。




「待ってください!アウラ様!」


 ケンちゃんの診断を終え、研究所へ戻ろうと歩いていると、背後からラミィ君に呼び止められた。


「おやおや、わざわざ私なんかを追いかけてきてどうしたんだい?」


「お忙しいところ呼び止めてしまい、申し訳ありません。実はお願いが一つありまして……」


「ほぅ……ケンちゃんなでなでタイムを投げ捨ててでも来るということは、よほど大事な案件なんだろうねぇ」


「はい、薄々気づいていると思いますが、私たちは人間族のオスについて全くの無知でございます。ですので、どうかアウラ様が持っている人間族の資料を貸していただけませんでしょうか?」


 なんだそんなことか……


「もちろん人間族の資料は渡せる分だけ渡させてもらうよ。ただ、十年かけて集めた膨大な資料があるから、持ち運ぶのに少し手間取るかもしれないねぇ」


「そんなに多くな資料が……さすがです」


「お世辞はよしてくれ。あ、それと一部の資料には裸体の写真が載っている“魔界禁忌指定資料”もあるから、流出しないように気をつけたまえよ?」



【魔界禁忌指定資料】……これは、地域によっては戦争に直結しかねない危険な代物。


 なぜ危険かは言うまでもない。もし実際のオスの写真が流出すれば、一目惚れしたメスたちが躍起になってその個体を特定し奪い合う争いが起きる可能性が極めて高いからだ。


 そのため、たとえ学問目的の医学書であってもオスの裸体の写真は禁忌とされ、その取り扱いには極めて慎重となっている。


 まぁその反面、オスの絵に関しては全く規制がなく、我々の性欲が暴走しないように魔王自身が増産を監督している。確か各家庭に数百冊は交尾本が保管されていると以前に研究で明らかなっていたねぇ。


「そんな大切なものをいいのですか?」


「ああ、自分の研究結果が実際に役立つことほど嬉しいことはないからねぇ」


 別に直接頼まれなくても、魔王様から食べられない食材に関する資料を渡して欲しいと、さっき泣きながら頼まれたんだけどねぇ。


「ありがとうございます。お預かりする資料はケンちゃんが幸せに過ごせるよう大切に活用いたします」


「そうしてくれたまえ」


 まぁこちらとしても、人間族のオスを直接モニタリングできるのは非常に嬉しい状態だ。これまで集めた資料がすべて無駄になっても構わないくらい価値がある。


 このチャンスを逃さないためにも、あの子に嫌われないよう姿を隠して慎重に行動しないとねぇ。


「あと、ここからはあくまで個人的な話なのですが……」


「何かね?研究というのは、少しの疑問でも後々大きな一歩になる。遠慮せずに言いたまえ」


「わかりました。では……そんなに怯えなくても大丈夫ですよ」






「…………は?それはどういう意味だい?」


 いきなり降ってわいた要領を得ない質問にイラつきが走る。


「そのままの意味です」


 いや........


「ケンちゃんに拒絶されるのが怖いのですよね?」


 このイラつきはそんな単純な不快感からではなく、自分の内心を見透かされたことへの苛立ちだろう。


「......さぁ、どうだろうね?」


「私も体が大きい種族なので、アウラ様の気持ちはわかります」


「…………」


「でも大丈夫です。ケンちゃんは私のような大型魔族を見ても怖がる様子を見せません。それどころか、まるで宝物を見るかのように目を輝かせながら、誘惑もとい警戒心ゼロのまま接してくれます」


「それって、どんな女性にも媚びるように教育されただけなんじゃないかい?それに君の意見はただの個人的な主観に過ぎないし、論理的根拠が欠けている」


「……確かにそうかもしれませんね。なら、正しいかどうか確かめるために、実際に会って彼の反応を見てみてはどうですか?」


 ラミィ君は柔らかい笑顔を浮かべながら、そっと手を差し伸べてくる。


 鬱陶しい……


「すまないが遠慮しておくよ。まぁ……君のその根拠に乏しい仮説未満のアドバイスは頭の片隅にでも置かせてもらうさ。じゃあね」


 ガチャ!


 私は研究室の扉を開けて、暗闇の中に身を沈める。


「怖がらない……そんなわけないだろう。自分より大きく強大な者には恐怖する、それは生き物の本能であり当然の機能なんだから」


 カタ……


 無意味なことで心をかき乱され苛立ちを静めるため、ひんやりとした紅茶を手元に用意する。


===================




 私の村では多種多様な蜘蛛族が共存していた。


 蜘蛛族は外見こそ似ているが、実際には多くの種類が存在している。


 糸を吐くもの、吐かないもの、足が長いもの、短いもの、太いものなどその種類を挙げたらキリがない。


 そして私は蜘蛛族・女郎蜘蛛ジョロウグモ種に分類され、種族の中で最も大きい種類の蜘蛛族だ。


「それにしても、アウラは大きくなったわねぇ。そろそろ私よりも大きくなったんじゃないかしら?」


 不幸なことに、私は女郎蜘蛛種の中でも特に体が大きく、他の仲間たちと比べても頭ひとつ……いや、それ以上に大きかった。


「ア、アウラちゃん。これ頼まれてた本を取り寄せておいたよ。は、はは……」


 私が村を歩くだけで、みんなが怯えたように視線を伏せる。挨拶をすればぎこちなく返され、物を受け取るときもどこか手が震えていたを知っていた。


 ペラペラ……


 もちろんそんな私に友達ができるはずもなく、毎日家に閉じこもってはページをめくる音だけが日常の友となっていた。


「今日は……これにしようかねぇ」


 毎日毎日……この無駄に大きな体が嫌いになっていく。しかし、どれだけ嫌悪感を抱いても体は小さくならずむしろますます大きくなるばかり。


 どうしようもない現状にイライラが積もって暴れたくなるが、そういう時は本を開きひそかな妄想の世界に没頭していた。



 もし私が違う種族に生まれていたら?


 小柄で、怖がられることもない存在だったら?



 図鑑に載っている魔族の姿を眺めながら別の自分を妄想する。


 私がこの種族に生まれたらきっとこんな生活をするだろう、こんなふうに獲物を捕らえるだろう──想像の世界が膨らむにつれ、私は他の種族に対して強い興味を抱くようになった。


 特に「人間族のオス」の存在を知ったときの衝撃は今でも忘れられない。


 この種族は私とは違って、細くしなやかな小さな体をしているのに、歴史的に最も長く栄え続けている。


 オスの外見は国をも揺るがすほど可愛らしく、不老不死となったオスが建国を成し遂げた逸話や、数々のオス伝説が今なお語り継がれているほどだ。


 だが、見た目よりも私が興味を引かれたのは、どんな生き物とも交配できるという特異性だ。


 本来、魔族は異なる「種」であっても問題ないが、必ず同じ「族」同士でなければ子をなすことはできない。


 例えば、私の場合、同じ「蜘蛛族」であれば「土蜘蛛種」でも「ハエトリ種」でもオスと交尾さえすれば子をなすことができる。しかし、竜族や獣人族など異なる「族」同士ではいくら交尾しても子は産まれない。


 それなのに、人間族だけは竜族やエルフといった「族」の垣根を超え、さらには体外受精で繁殖する魚族とも交配できるという。


 一体どういう仕組みなのか、彼らを知れば知るほど興味が湧いて、本をめくる手が止まらかったのを今でも覚えている。


 そこからはあっという間だ。


 さっさと村を出て、古い文献や独自ルートで人間族と取引を重ね、時間を忘れて日々研究に没頭した。


 一時に野生のオスがいるのではないかと聞きつけて、半年ほど洞窟に隠れていたら、魔物と間違われて討伐されかけたのは今では懐かしいくも長い思い出だ。


 まぁ、そんないろいろの努力が実を結び、気がつけば魔王様直々に人間族のオス研究家兼医者としての立場を与えられていた。


 この話を聞かされた時、私のことをしっかり観てくれる人がいたんだと、魔王様の前で嬉し泣きしたのを今でも時々いじられる。




 そんなある日こと。鬼気迫る表情の魔王様から大事な頼み事があると言われ、謁見の場に呼ばれた。


「この前の進軍で人間族のオスを確保した。貴様の手腕を存分に発揮させるがよい」


 魔王様曰く、襲った集落にオスがポツンと取り残されていたらしい。


 私の調査では、人間族のオスは国が一括して管理しているという情報を得ていたため、集落にオスが取り残されるという話にはどうしても疑念を抱かざるを得ない。


 だが、魔王様が嘘をつく理由が思い当たらなかったし、『せっかくオスに会えるチャンス』と魔王様の命令を喜んで受け入れた。



 コンコン!


「入らせていただくよ」


 そして今日は、そのオスと初めて会う日。


 この日のためにいろんな準備をしてきた。


 普段行かない美容院で腰まで伸びた長い髪の毛を整えてもらったり、花柄のフリフリの服を新調したりと、少しでもオスによく見られたい一心で、慣れないことながら頑張って着飾った。


 かなりの費用がかかったが、元々お金の使い道なんて人間族の研究以外にはなかったから痛くもかゆくもない。


「ふふふ……♡」


 さて、この扉の向こうにはどんな神秘的な生き物がいるのだろう。文献に書かれている通りの生き物なのだろうか。


 ずっと資料でしか見たことがなかったオスとこうして対面できるなんて、思わず踊り出したくなるような気分だねえ。


 ガチャ!


「やぁやぁ!こんにち……」


『くるなぁ!くるなぁ!化け物!俺を人間界に帰してくれ!あんな奴らと子供なんか絶対に作らないからな!』


 こちらが言葉を言い終わるよりも先に、私の姿を見た人間族のオスが鬼気迫る表情で捲し立ててきた。


 予想外の事態に驚いたが、きっと突然連れ去られて興奮しているのだろう。まずは会話でもして落ち着かせる必要がある。


「ほらほら落ち着きたまえ。私は君専用の医者だ。こう暴れていては君の体を見れないだろう?ほら、君の国のお茶を用意した。これでも飲んでゆっくりお話しようじゃないか!」


 事前に準備したティーセットに魔力を流し込み、心が休まる温かいお茶をオスの前に差し出す。


 頑張って取り寄せた茶葉だ。喜んでくれると嬉しいな。


「うるさい!化け物の飲み物なんて飲めるか!」


ガシャン!


「あつっ!」


 しかし、そんな思いを踏みにじるように、激情したオスは入れたばかりの熱々のお茶を顔に向かって投げてきた。


「あああ!あぐぐぐぅ!」


 顔全体がヒリヒリとした激しい痛みに包まれ、目を開けることすらままならない。


 恐らく火傷をしているだろう。


「はは……ざまぁみろ!いいから俺を元の場所に戻せ!この化け物!」


「はぁ……はぁ……【スリープ】」


 バタン!


 これ以上は会話にならないと思い、オスに向かって睡眠の魔法をかける。


 ビチョン……ビチョン……


「…………はは」


 部屋の中には、私の体から滴り落ちる水の音が虚しく響き渡る。


「せっかく整えた髪も洋服も、お茶でベトベトになってしまったねぇ」


 頭にかかった熱いお茶とは裏腹に、私の心は急速に冷めていくのが自分でもわかる。


 私は内心期待していた。


 誰とでも交配する人間族のオスなら、体が大きい私のこともすんなり受け入れて愛してくれると。


 村の連中とは違い、楽しく会話もできるだろうと。


「……だけどそれは私の都合のいい幻想だったようだ」


 ようやく開けた目に映ったのは、鏡に映るずぶ濡れの見苦しい化け物の姿。


「所詮いくら着飾った所で私は体の大きい化け物さ」



 その日から私は女であることを捨てた。



===================



 コンコン!


 嫌な記憶を呼び起こしていると、扉を叩く音で現実に引き戻される。


 また性懲りもなくラミィ君でも来たのかね。


「入りたまえ」


 入室の許可を出すと、予想外な人物が現れる。


 なんと、ケンちゃんが重い扉を必死に体で押して入ってきたのだ。


「おや、ケンちゃん。体調はどうかな」


 どうしてここに?


 もしかして、体調でも崩したのだろうか。


 いや、でもあの呪い以外におかしな点はないはず…。


 心配が募りながらも、彼がここに来た理由を必死に考える。


 ふと手元に視線を落とすと、ケンちゃんが嬉しそうな様子で紙をパタパタと振っていた。


「ふむ、その紙は……私の似顔絵かい?ふふ、随分と可愛らしいねぇ。後で研究所に飾っておくからそこの机においてくれ。だからこれ以上近づかな……あ」


 声をかけるよりも先に、ケンちゃんがこちらに駆け寄ってくる。


「え?」


 机に隠れていた私の下半身に気づいた途端、ケンちゃんは怯えたような顔をして足を止めた。


「見られてしまったか……」


 それはそうだ。自分の何倍もあるサイズの化け物を目の前にしたら、誰だって恐怖で足を止めるだろう。ケンちゃんの行動は責められるものではない。むしろ悪いのは姿を見せた私。


 病み上がりで心細いだろうに、怖がらせてしまって本当に申し訳ない。


「ふにゃふにゃふにゃふにゃ!」


 ああ......まただ。


 またオスに嫌われてしまう。


 あの日のトラウマが蘇り、体から血の気が引くのを感じる。


 きっと前のように、化け物だとか私を拒絶する言葉を吐いているのだろう。


 その証拠に、彼の顔からは尋常じゃないほどの感情の起伏が読み取れる。


「ふにゃ!」


 唯一の救いは、この子の言語能力が欠如していることだろうか。そのおかげで、今言われている罵詈雑言の意味を私は理解できずに済んでいる。


 もう手遅れかもしれないが、これ以上嫌われる前に一度天井にでも隠れて……


 ギュ!










 は?









「え?ちょ……君は何をしているんだ?私のこの大きな体が怖くないのかい?」


 天井に上るための糸を吐き出そうとしたタイミングで、ケンちゃんが私の胸元に抱きついてきた。


 頭でもおかしくなったのだろうか?


「えっと........これは人間族特有のコミュニケーションだったりするのか?だが、そんなデータは私の資料にはないぞ」


 少なくとも嫌いな相手に抱き着く文化は人間族にはない。


 森でこの子を育てた魔物の習慣?それとも、誰にでも抱き着くよう教育されたのか?


 自分が知っている人間族の行動原理を基に、あれこれ仮説を立ててみるものの、納得のいく解答を導き出すことができない。


 にこ!


 ぐ、それにしてもなんだこの天使のような笑顔は!


 こんな無防備な姿を私に見せて、いったい何を期待しているんだ!ええ!


 他の魔族にこんなことをしてみろ、すぐにぱっくり食べられて生き地獄に突入するだろうねぇ!これはまずい。ああまずい。ケンちゃん専属の医者として、一度身の振り方をしっかりとわからせないと♡


 にこ!


 あまりにも唐突に起こる出来事の連続で、頭の中がパニックになって収拾がつかない。冷静に保とうとしても、目の前に存在する眩しい笑顔によって、一瞬にして理性が蒸発する。


 ええい!ダメだ!私はこの子の専門医なのだ!この子を嫌われたら誰がこの子を診察する!誰がこの子を守ってあげられる!冷静になれ私!


 目の前にいる可愛い生き物を傷つけないよう、自分の心を鼓舞する。


 しかし、そんな私の決意をあざ笑うかのように、わずかに残っていた理性さえも粉々に砕く、圧倒的な特大の一撃が私を襲った……





     「アウラだいすき!」




それは、私が夢にまで見た言葉。



あの日――いや、ずっと前から言って欲しいと願った言葉。



もう無理だろうと諦めていた言葉だった……




 バキッ!



私の中で何かがはじけた。


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