第14話 諦めていた思い
ガチャ!
「(ふっふっふ。あんなお粗末な鍵かけ魔法で私を止めようなんて笑わせてくれます。戦闘では遅れを取りましたがこういった地味なサポート魔術は私の専売特許ですから)」
「う~ん……」
「(あ~ケンちゃんがちっちゃな口からよだれを垂らして寝てる!これは頭に刻み込まないと……)」
「ふぁぁ……ねむねむ」
「(お♡ チラッと見える丸みを帯びた歯がかわいい!い、一本ぐらい抜いてもバレないかな?いや、ここは臆せず3本くらい回収すべきです!流石の人間族も歯の再生くらいは出来るはずです!)」
ゴソゴソ…気持ちよく寝ているというのに、さっきから隣がうるさい。
隣の病人に面会が来ているのかと思ったが、そういえば個室に移されたんだった。じゃあ……朝の定期検査の準備でもしているのかな?
「(あ! 今、一瞬だけ口をあむあむさせました! くっ、なんてことです! 私としたことが、どうやって歯を抜くかに集中してしまい、尊すぎる瞬間をみのがすとは……お願いです!もう一度口をあむあむしてくだ………)」
「うるせぇ!」
気持ちよく眠っていたのに、騒がしい声で目を覚ます。まったく、病院では静かにしましょうと習わなかったのか?
「って病院は?やたらと薄味の病院食は?」
あたりをきょろきょろ見渡すと、目の前には三角定規のように耳がとんがったダリスさんが佇んでいる。
「ああそうか。僕異世界に転移したんだった」
「(おはようございます。ケンちゃん♡)」
ピコピコ!
せわしなく動く長いに耳を見ていると、改めて異世界に放り込まれたんだと実感して、言葉にできない虚しさが胸に広がる。
「はぁ......お母さんお父さん元気にしてるかな?」
いきなり異世界に来ちゃったけど、元の世界ではどんな扱いになっているんだろう。
行方不明事件とかニュースになってたりして……いや、それは帰りにくいから困る。とりあえず、大事になってなければいいんだけど。
「まぁ、そんなこと今考えてもしょうがないか。ふわぁぁぁ……え?」
大きく息を吸いながら欠伸をしたその瞬間――体に妙な違和感を感じる。
「胸が全然痛くない…… なんで!?」
普段なら欠伸をするたび、胸の奥がチクチクと痛み「あぁ……自分は病人なんだ」と嫌でも思い知らされていた。
それなのに今は、その痛みが影も形もなく消えている。体はまるで新しいものに入れ替わったかのように軽く、子供の頃外を走り回っていた頃の自分に戻ったようだった。
「そういえば、診断するから服を脱げってダリスさんが言ってたな……もしかして治ったのか?」
ありえない話ではない。
ここはスライムにドロドロに溶かされた腕だって、いつの間にか治すことができる世界。なら、僕の世界での原因不明の病も、指先一つで治せる可能性だって十分にある。
「なら……」
この考え方がなんの根拠もない希望的観測だとは理解している。
だが、何年も苦しんできた病に少しでも治る兆しが見えたのだから、期待するなと言われる方が無理な話だ。
「もしそうなら、誰が……気を失う直前に見たあの人だろうか?」
だとしたら、一度あの人に会わないと。会って確かめないと!
グイグイ…
「あ、ちょっと待ってください……【テレパシー】」
【そんなに私の服を引っ張ってどうしたんですか?もしかして……トイレですか!?なら私と一緒に行きましょう!えぇ今すぐに!】
フルフル....
今にも食ってかかりそうな勢いに対し、静かに首を横に振る。
どうにかして“あの人”に会いたいことをダリスさんに伝えたい。けど僕は名前も知らないし、言葉も通じない現状がある……一体どうしたらいいんだろう。
「そうだ!」
僕は先ほど年齢を書いた自由帳を手に取り、記憶を掘り起こしながら丁寧に似顔絵を描いていく。
カキカキ……カキカキ……
「よし、出来た!」
完成した絵は、多少線が歪んでいて不格好ではあるが、まぁ……特徴は捉えているだろう。僕はそのままページを破り取り、ダリスさんに差し出した。
「(え、これをくれるのです?ふふふ、とても可愛いらしい絵です。ではこれはありがたく我が家の家宝に……ってこの顔よく見たらアウラさんでは?)」
懐にしまう動作に冷や汗をかいたが、表情から察するに誰を描いたのかは理解してくれたようだ。
「ルーナ!ラみィ!ダりす!」
次にその人の名前を知りたくて、似顔絵を指差しながら、知っている限りの人物名を繰り返し口にする。
「(そんなに連呼するなんて……3Pをしたいのですか?残念ながら獣人族の交尾は激しすぎて、体が傷だらけになるからおすすめしません。犯るならますは私からがおすすめですよ♡)」
「ルーナ!ラみィ!ダりす!」
「うーん何が言いたいんでしょう。この絵関係しているのはなんとなくわかりますが……あ、もしかして……)」
【この人の名前を知りたいのですか?】
コク!コク!
【この人は”ア ウ ラ”さんです。先ほどあなたを診察していたお医者さんです】
アウラ…やっぱりあの人がお医者さんだったんだ!なら本当に僕の体は……
【あ、そういえばこの人から伝言を預かっています。『病は治った、今までよく頑張ったね』だそうです】
「!」
やった........やった!
僕の病は治ったんだ!
とっくの昔に諦めていたけれど、もう一度外を走ることだってできるんだ!
もう母さんの悲しそうな顔も、お父さんの無理な笑顔も見なくていいんだ!
「もう……生きていることに後ろめたさを感じなくていいんだ……う、ぐすっ」
終わりの見えなかった地獄に終止符が打たれ、次々と涙がこぼれ落ちる。
「ひぐっ、よかった……よかった…………」
「(そんな顔をぐちゃぐちゃにするほど泣くなんて、よっぽど苦しかったのですね)」
あたたかく力強い腕が僕を包み込み、背中を軽く叩かれるたびに心がじんわり温かくなった。
「(よしよし、辛かったですよね。今は思う存分泣いていいですよ〜)」
色々な感情が込み上げてくるけれど、今はただ、これまでの苦労や痛みが無駄じゃなかったことが嬉しくてたまらない。諦めなくて本当によかった。
「(それに安心してください!これからは私たちがあなたのことを幸せにします)」
なでなで……
「(では手始めに日々の幸福度を上げる幸せなキッスの方法を伝授しましょう!私が練習台になってあげますので舌を出したまま大人しくしてくださいね!これは医療行為ですからね!)」
ふぅ……♡ふぅ……♡ふぅ……♡
「ぐす……アウラ!アウラ!アウラ!」
「(アウラさんの名前を連呼してどうしたんですか?今は私がよしよししてるんですから甘えた声でダリス♡と呼んでください♡)」
「アウラ!アウラ!アウラ!!!」
「(うーん、私がいるというのにものすごい連呼しますね……ま、まさか!)」
【アウラさんとも………交尾したいんですか!】
ぺチ!
「(いたい!なにするんです!みんなの前でわからせ交尾しますよ!)」
アイラさんに会いたい一心で名前を連呼していると、突然下ネタが脳内に流れ込んでくる。あまりにしょうもないことをするダリスさんにイラつき、思わず太ももを叩いてしまった。
まったく、さっきまでのいい雰囲気がこれでは台無しだ。薄々気づいていたけど、このダークエルフは僕のイメージよりずっと下品だな?
「他の女性たちは、見ず知らずの僕を温かく介抱してくれたのに……」
ダリスさんには、ルナさんやラミィさんを見習ってほしい。二人とはまだちゃんと話していないけれど、あんなに優しいのだから、きっと清楚そのものの人に違いない。
「(う~ん。でもオスが女性の名前を呼ぶなんて交尾以外に考えられないです。一体私に何を伝えたいのでしょうか……全くわかりません)」
【本当に交尾ではないのです?照れなくていいのですよ?】
ダメだ。埒が明かない。
「なら……これでどうだ!」
絵が汚れないよう手に付いた涙を拭いてから、先ほど描いた似顔絵を奪い取る。そして、少し照れくさい気持ちが込み上げるが、そのままぎゅっと守るように絵を抱きしめて。
これなら、どう受け取られたとしても会いたいという気持ちは伝わるはずだ。
【うーん。よくわかりませんが、とりあえず会って何かしたいということですか?】
コク!コク!コク!
「(会わせるのはいいんですけど、私、補助魔法しか使えないんですよね。もし襲われたらひとたまりもないです)」
顔に手を当ててうんうんと唸っている。
「(あ、でもアウラさんはケンちゃんの裸を見ても動じていなかったですし大丈夫かな?いや、でもさすがに……)」
「ああもう!しゃらくさい!」
「(あっ、ケンちゃん!勝手に部屋から出るなんて危険です!廊下にどんな性癖モンスターがいるかわからないのです!お願いです、せめて私の手をその柔らかいおててでぎゅっと握って安全確保してください!)」
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コンコン!
「(入りたまえ)」
【入っていいですよ】
ダリスさん経由で入室の許可をもらい、普段使いされているとは思えないほど重い扉を押して中に入る。
「(おや、ケンちゃん。体調はどうかな?)」
この人がアウラさん。
僕を救ってくれた命の恩人……
改めて目の前の女性を見つめると、薄い紫色のショートヘアと、赤く燃えるような美しい瞳をしている。
目の下に薄い隈が出来ているが、相変わらずの美人で、僕を助けてくれたことも相まってか恋に落ちそうだ。
もっと近くでお礼を言わないと!
「(ふむ、その紙は……私の似顔絵かい?ふふ、随分と可愛らしいねぇ。後で研究所に飾っておくからそこの机においてくれ。だからこれ以上近づかな……)」
何かを話しているものの、胸の中で高まる気持ちを抑えきれず、駆け足でアウラさんのもとへ向かう。
「え?」
近づいたことで、机に隠れていたため見えなかった彼女の全体像が明らかになる。
上半身は女性の姿だが、下半身は僕が乗っても余裕があるほど大きく、丸く盛り上がったドーム状になっていた。その丸い胴体からは、昆虫のような8本の足が伸びており、先端は鋭く尖っている。
この姿は………蜘蛛なのだろうか?
あの時は顔だけしか見えなかったので気づかなかったが、今になって僕の数倍は大きい体に驚かされる。
「(見てしまった……)」
いかんいかん、驚いている場合じゃない!病を治してくれたお礼を早く言わないと!
「た、助けてくれてありがとうございます!」
僕は胸の内にある感謝を、精一杯の言葉に乗せて伝える。
たとえ言語や文化が違っても精一杯の心を込めればこの思いは伝わる……そう思っていたのに、アウラさんは喜ぶどころか悲しそうな顔をしていた。
僕にはその理由が分からず、病は治ったというのに胸の奥がキュッと痛む。
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(きっと大丈夫!元気出して!)
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笑顔にしたい一心で考えを巡らせると、両親にかけてもらった励ましの言葉が次々と思い出される。
もしかすると親も同じような無力感を抱えていたのかもしれない。言いたいことはたくさんあるのに、言葉が通じない今はどれも伝えられず、もどかしさだけが募る。
「でも……」
それでも、病を乗り越えた僕はこんなことでは諦めない!
言葉で伝わらないなら……直接行動するまでだ!
ギュ!
「(え?ちょ……何をしているんだい!?君は私のこの大きな体が怖くないのかい?)」
言葉ではダメだと思い、失礼を承知で彼女の体めがけてダイブする。
いきなり異性に抱き着かれてるなんて、拒絶されたらどうしようと心配だったが、すぐに引きはがされないところを見るに嫌われてはいないらしい。
よかった。
「(えっと........これは人間族特有のコミュニケーションだったりするのか?だが、そんなデータは私の資料にはないぞ)」
とりあえず、にっこり笑うことで感謝の気持ちを伝えているが段々と気まずくなってきた。
うーん、抱きついたまでは良かったがここからどうしよう……あ、そういえば。
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【はぁ……はぁ……ラヴァイスは感謝の言葉みたいなものなので気にせず名前の後に発音してください。さぁはやく!】
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そうじゃん!お礼の言葉ならダリスさんに教えてもらったじゃん!
ちょっとまてよ、確か発音は……
「アウラだいすき!」
バキッ!
その言葉を発した直後、僕の体は宙に浮いていた。




